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チンポにワラを結ぶ

 投稿者:付喪神  投稿日:2019年 4月18日(木)14時32分8秒
  先日、私にとってカメラや写真の師匠でもあるTさんの別荘に寄りました。別荘と言っても趣味のための家屋ですが国道沿いの普通の平屋です。Tさんとは写真以外にも色々な世間話や民俗風俗の話をするのですが、その中で、その昔、宮古港から出港したバラメヌケを獲る八丁櫓の漁船の漁師は全裸にチンポにワラを一本結んだだけの出で立ちだったというのです。そんな漁師がいた時代はまだ発動機がない時代で、ダンベに推進力を得る8個の櫓があっただけで、あとは小さな帆を張って沖に出たようです。バラメヌケ漁は閉伊崎沖の大陸だなである宮古堆(たい)付近で行われたのでしょうが、これはもう命がけの仕事です。そのような就労に付く人たちは、戸籍のない「ひにん」たちだったようです。彼らは服を着ることを許されず日常も全裸でしたが、最低限の着衣としてワラ一本が認められていたというのです。チンポのワラは呪いや宗教的なものではなく、最後の着衣なわけです。それでも海上は寒いですから、ズブやドテラのような上着を羽織ることは許されたようですが、下半身はワラ一本のみでした。これは人にも満たない下人風情が服を着る、褌を締めるなどという贅沢を許さなかったのです。そんな今は到底考えられない超差別と超貧困が存在したということでしょう。女性が殿方の寝床で全裸になることを俗に「一糸まとわぬ」と表現しますが、ワラ一本チンポに結ぶことで、全裸ではないという自負があったのかも知れません。となると、チンポにコンドームをつけた状態でうろついても、最後の一枚はちゃんと着ているんだと主張できるわけです。まっ、屁理屈ですから猥褻物うんぬん罪で捕まりますけど。あと、Tさんと話した重要な部分はワラを結んだという逸話や記録はあるのですが、チンポのどこへどのように結んだかは不明です。包茎状態にして皮に結んだか、カリ首に結んだか、ふぐりの裏から陰茎付け根あたりを結んだか、その形態が不明のままです。ちなみに、海水浴状態のチンコなら棒部分に結ぶのは無理ですから、ふぐりの裏から根本あたりを結んだのではないか?と推測しています。
 
 

まんちんの事

 投稿者:付喪神  投稿日:2019年 4月12日(金)10時47分17秒
  まんちんとは何か?そう、その通り、オ◎ンコとオチンコのことだ。何故か女の方は◎で伏せ字にしているが、「◎」は「丸」に通じ女体を表す「乙にょう」に「剣」、すなわと◎を真っ二つに切った地図記号の発電所にも似た「オ◎ンコマーク」なのでした。人気アニメちびまる子ちゃんなんて、あんた、小さなオ◎ンコちゃんじゃないですか、おしょーすーごど。
さて、そんなことは良いとして、先日、石碑取材で和井内の安庭ノ沢に行ってきました。向かったのは安庭ノ沢の支流、湯ノ沢最深部にある薬師神社とそこにある石碑です。その昔、と言っても昭和60年頃までここには、安庭鉱泉・金鶏荘というかなりひななびた鉱泉宿があったのです。ここには電気もなく夜はランプで井戸が冷蔵庫でした。私が今の仕事を始めたかけ出しの頃よく取材に行ったのですが、宿が取り壊されてからしばらく行っていなかったのです。前々日に春雪があって、町中は一日でとけたのですが、和井内のさらに奥の安庭沢は25㎝ほどの雪。しかも支流の湯ノ沢は通行止めなので片道1.5㎞の雪道を歩きました。
湯ノ沢の薬師神社には御神体の薬師如来立像と、約10個ほどの男根を模ったコンセイ様やオ◎ンコを模した女の道具が祀られていました。いわゆる、古代から信仰されるヨギとリンガです。男根が太陽を、女陰が月を表しこの二極が「ケ」と「ハレ」、同様に男と女、生と死、昼と夜、現世とあの世を表します。
このような謂わばエッチな信仰物は温泉地には付きものでよく見かけます。しかし、私は思うのです。オ◎ンコもオチンコも個別に存在し、合体した形状のものが無いのです。まっ、温泉地の今や絶滅危惧種となった温泉スケベ博物館でもある秘宝館などに入ればあるかもしれませんが、信仰媒体として合体型のものはなかなか見かけません。男根は勃起した状態を模しているわけですが、女陰は樹木のうろみたいなものだったり、凹みがある石だったりで、そのオブジェがどんな体勢を表現してるか不明です。遠野とかにも有名なやつがありますけど、単体で合体してはおりません。夫婦和合(恋人同士でも不倫でもオッケー)の合体の御神体、いつかはお目にかかりたいものです。余談ですが、昔、エロ本を熟読し女のアソコが見えないものかと画策しましたが、何てことはない、女のアソコは平常体勢では基本的に見えないんです。本体の周辺には毛もあるしね。ボロっと露出してる男のチンコとは構造が真逆なんですね。
 

子どもたちの心にある奈落

 投稿者:付喪神  投稿日:2019年 4月10日(水)11時00分42秒
  先日、船越方面の取材に行ったのだが、船越にあるという祈祷寺のことを思い出した。なんでそんなことを思い出したかと言えば、今から三年ほど前のことだ。長い付き合いになる私の知り合いの、友だちが困っていると相談された。どうしたのか聞くと「どこかいい拝み屋さんを知らないか」と言うのだ。何?どうしたの?と聞くと、友人の娘に何か取り憑いたらしくて、困っていると言うのだ。症状は多重人格的症状で、突然、人が変わったように騒いだり暴れたりするのだという。娘の歳を聞くと小学生で、最近初潮があったらしいという。女の子はその時期は過敏だから色々あるんじゃないの?と話したら、そんなもんじゃないらしいというのだ。聞けば現れる人格は男女二人で「オレは津波にさらわれた」などと絶叫するというから、おそらくは震災で死んだ人なのではないかというのだ。あの悲惨なあの日、幼くして震災に遭遇し多くの無残な光景を生で見た子どもたちの心の底にはトラウマが潜んでいて、心の中でせめぎ合っているのであろう。あるいは実際に遺体を見たのかもしれない。大人の心は過去や歴史を踏まえて震災と向かい合えるが、過去や歴史も知らない子どもたちにとって、普段は普通でも深層心理の奥底に相当大きな真っ暗な奈落が出来上がっているのだろう。
結局は私が拝みを紹介するまでには至らなかった。(紹介できるのは私の場合も寺なのだが)後から聞いた話では、誰かの紹介で某所の寺でみてもらったということを聞いた。それによると、入口で暴れ泣き叫び、祈祷したところ二人どころではなく何人もの人格がついていたということだった。その後の経緯は聞いていない。
震災を経験した子どもたちの心のケアは重要だ。将来、その子どもたちが精神的に追い込まれたりしたときの反動や犯罪も心配だ。世界的に見れば紛争地などでは日常的に暴力や殺戮が展開されているだろうが、あれほど多くの人命が失われた光景を見た大人でも、精神を病むのだから、子どもはなおさらだ。そんなことを思い出した。
 

同感です。

 投稿者:タカハシ  投稿日:2019年 3月30日(土)00時02分41秒
  それにね、使っていないと弱るだけでなく病気にもなると言いますよ。前立腺とかああいうあたり。
前立腺がんになった人にそれとなく聞くと、あっちは「ごぶさた」「おすぱらぐ」だっけもんな。
使っている中高年はそっち方面のヤマイは寄って来ないみたい。
空き家になると天井が腐るのと同じ。腐らないように囲炉裏に火を入れて煙を出して室内や天井を燻してあげないと。
使うための機能として備わっているものは、やはりできるかぎり、血圧を上げようが、いろいろ出にくくなろうが、
使う努力、出す努力をしている方が健康的と言えるのではないでしょうか。
ということで私は極力使うつもりで臨戦態勢キープしてます。
赤玉が出るまで、水分を失い粉だけがパフッと出るその日まで。
 

セックスはいつまでできるのかという疑問

 投稿者:付喪神  投稿日:2019年 3月29日(金)11時00分43秒
  老齢化してくるとチンポは単にオシッコを出すときの蛇口化してしまい、その真価を世に誇張する機会はほとんどなくなる。若い頃、持て余していた性欲をひたすらに撒き散らし、数えることのできる範囲ではあるが、それなりに幾人かの女と関係し、より高見を目指していた。溜まれば目をギラつかせ女とセックスができるなら多少の出費も、嘘も、騙しも平気だった。悪く言えば貞操感が欠落していて女癖が悪いが、逆に言うとチンポに正直で快感を探求する旅人であったかもしれない。今もその感覚に嘘偽りはないのだけれど、近年はセックスにおいてある時点に到達するのは相当な疲労感と血圧上昇を伴う。まして相手に合わせて達するなどもう無理だ。ヘタをすれば精子を出して「生死」を彷徨う状態だ。白いご飯では食が進まないから工夫してふりかけなどかけて飯をかきこむけれど、たまには外へ出て変わった味付けの料理を食いたい。セックスにおいても同様のことが言えるわけで、長年連れ添った女を愛していても、もうそれは食えない。ふりかけをかけても無理な物は無理だ。しかし、チンポも使わず仕舞っておくと前立腺などの病気引き起こす。男は、外食しなきゃ。年取っても使えるようなら機能を確かめなきゃならんと思う。チンポは蛇口に成り下がっちゃいかんな。オレはスケベなとそりになりたいと思う。  

おすぱらぐ

 投稿者:タカハシ  投稿日:2019年 1月11日(金)12時09分26秒
編集済
  2019年である。

また、気まぐれにココを覗いたら
付喪神が投稿してた。
コソーコマゴド。
さすがスタンスがぶれてないナ。

暇だったのでこのBBSの最初に戻って
時系列にひと通り読み直した。
良いとも悪いともどうとも言えない内容が連なってる。

途中、震災があって、
その緊迫感が「あの日々」を思い出させた。
そして、よこたあきらは生きていた。

私も50半ばともなると過去を遡ることを愉しめるようになったようだ。
ま、口からでまかせっぽいですが。
 

宮古耳嚢・アル中女のこと

 投稿者:付喪神  投稿日:2018年12月29日(土)10時10分48秒
  聞いた話だ。
アル中の若い女がいた。その女は6缶パックの缶酎ハイが4パック梱包されたダンボールを一日で飲んでしまう。結婚はしているが別居し実家に戻っていた。女の母も精神的にダメージがあり、女も母も一切家事をしない。そんな一家をなにかと面倒みて世話をしていたのが、女の伯父さんであった。その後、女はアル中が祟って30代半ばでこの世を去った。毎日多量な酒を飲み暴言を吐き暴れるアル中女が逝って、見た目その家は静かになったようだった。
ある日、ガスの集金にその家に行った男の話だ。
「やっと静かになったようですね」
「いや…それが…」
「…えっ?」
「それが、今でも、うるさいんですよ」
「…はっ?」
「今でも、暴れてこまってます」
と、面倒を見ていた叔父さんが言った刹那、
洗い物で重ねていたらしい、台所の食器が崩れた。
ガッシャーン!
集金に言った男は音が聞こえた台所の流しの方を見たい衝動にかられたが、見てはいけないという自制心がそれを制した。集金をして、伯父さんを見たら、かなりやつれていた。
アル中女は、今も、酔ったまま家中を徘徊しているようだった。
 

オオカミと妖怪・魍魎

 投稿者:付喪神  投稿日:2018年12月28日(金)12時08分18秒
  宮古市在住の著述家でありコウモリやニホンオオカミの権威、遠藤公男氏の最新刊『日本オオカミの最後』という本に興味深い記述があった。明治中期まで岩手に存在したニホンオオカミ(以下・オオカミ)は、牧畜の天敵として懸賞金をかけられ駆除され、最終的には種の絶滅に追い込まれた。これはオオカミが家畜や人を襲うからであるが、明治以前からオオカミはおり人間と共存していたようだ。シカやイノシシが大量発生すればオオカミがこれを食い生体バランスを保った。そんな背景からオオカミは「オイノ様」とよばれ、三峰信仰の御神体となった。この御札を厩に貼ればオイノはその厩を襲わないなどと信じられていたようだ。オオカミは漢字で「けものへん」に「良」と書くあたりも、益獣の側面が伺える。しかし、その食性は肉食であり時には死肉も食ったようだ。謂わば、カラスなどと同様の屍を食らうスカベンジャーでもあった。昔は家畜の馬が横死すると、特別に墓を作り塚とした。それは土を盛った饅頭塚であり、これをオオカミが掘り起こし屍を貪った。人の死骸も土中に穴を掘って埋めたが、中には土を盛っただけの粗末なものもあり、やはりこれをオオカミが掘り返して遺骸を貪ったようだ。江戸の妖怪絵師・鳥山石燕画図百鬼夜行に「魍魎(もうりょう)」という妖怪がおり、水木しげるの妖怪図鑑にも墓所で墓から遺体を掘り出す姿で描かれている。おそらくは、この図に描かれた妖怪はオオカミであろう。頭にツノのようなものがあるが、これは尖ったミミをツノに見立てたものだ。全身毛だらけ、大きな口には牙がある。しかし、牙以外の歯は尖っていない。石燕は「身体三歳の小児の如く、色浅黒く…死者の肝を食らう」と説明している。まさにオオカミの習性であろう。ここでも妖怪・山精の説明同様、魍魎を水木氏が現代に妖怪として紹介する際の見解の低さが露呈しているではないか。  

古い官舎から漂う気配

 投稿者:付喪神  投稿日:2017年12月25日(月)10時59分55秒
  1年から3年までフル毎期追試でなんとか留年を免れて、私がやっと卒業した岩手県立宮古商業高等学校は俗に国道45号線の「商業の坂」と呼ばれる坂の上にある。この辺りの住所は仏沢という。なんで仏沢なのか知らないが、坂を下ったところに広がる藤の川海岸には、その昔、津波で亡くなった人を埋めたという伝承もある。ただ、藤の川という地名は「淵の川」が転訛したもので、今は砂浜だが昔は淵がある沢(川)が流れていた場所ということらしい。現在そこに津波の防潮堤を建設中だが基礎となる岩盤までパイルを打ち込むには砂を約25mほど掘らねばならないらしい。さて、そんな商業の坂のピークには三陸国道工事事務所へ向かうため信号があって、その先は藤の川団地だ。その信号手前の西側に古ぼけた三階建ての集合住宅がある。これは県職員用の官舎で警察や学校などに勤める人たちの住居として今も現役で使われいる建物だ。その風貌は昭和時代、しかも40年代あたりのモルタル住宅を今に残すレトロな風貌で辺りの風景に同化している。だが、その敷地に入り込みその風貌を眺めるとなんだか古さというより別の雰囲気を感じてしまう。なんとなく重く淀んだ気配が漂うのであった。噂によれば「開かずの間」として長い間使われていない部屋もあるという。その部屋から物音がしたり、人が影が見えたりもしたという。また、三陸国道工事事務所にも似たようなうわさ話があり、感のいい人が書庫に行くと激しい頭痛に襲われ体調が崩れたり、残業していると誰もいない部屋からグラインドを叩くような音が聞こえたりするのだという。ダテではないな、仏沢周辺。  

恩徳の屋敷

 投稿者:付喪神  投稿日:2017年11月 6日(月)15時21分35秒
  近々2000年がやってくるという期待感の中で1999年、わたしも深く関わったイワテミステリーフィールドマガジン『ふうらい』において第2号『遠野物語』で現代の遠野物語として取材した、恩徳の幽霊屋敷。当時、取材班としてわたしも現地取材に行った。当時は茅葺き屋根が抜け落ちそこから天に向かって樹木が生えていて、国道沿いからもその異様な廃屋を確認出来た。しかし、誰もがそこを通過して目視するだけで、その敷地内に立ち入ろうとはしなかった。なにせこの廃屋には昔から幽霊が出ると言われていたのだ。
当時、遠野でクチコミ取材をしたところ、かなり前にあの廃屋で肝試しをやったという若者のグループがあったようだが、その結末は陰惨なものであった。また、有名な心霊マンガ家が取材に来たが、足がすくんで入れなかったとか、霊能者が「自分より徳の高い霊がおり、自分では落とせない」と尻尾を巻いたとか…。どれも人の噂に尾ひれがついた半ばヨタ話であった。取材班は編集長、ADだったわたし、カメラマンの3人でその敷地に足を踏み入れた。庭だった場所は草ぼうぼうで、なんと雑草の根本にはあちこちに何匹もの蛇がいた。マムシかシマヘビはわからないが、カメラマンは怖じ気づいて固まった。編集長とわたしでその藪をかき分け玄関らしき場所へ辿りついたのだった。そこには瀬戸物や割れたガラス瓶が散乱しており、生活感の希薄な不気味な空間が広がっていた。さすがにそれ以上の進入は気が咎め、外観の写真を撮って退散しのだった。
その昔、川井へ抜ける立丸峠は難所で陽が暮れると旅人は仕方なく峠下の恩徳村の宿に泊まったという。その宿で事件が起きたというのだ。それが本当なのか、事実であればいつの時代なのか。それは誰も知らない。茅葺きに白壁のその家がいつの時代に没落したのか、それすらわからない。ただ、現地にはもう屋敷はない。部材と瓦礫が残るのみだ。ただ、蔵は未だに健在だ。表側から見たところ蔵の扉は開いたままで中には何も残っていそうがない。取材当時は古い蔵と思ったが、今見ると蔵に使われている外材や瓦、建築様式から見ても大正から昭和初期の作りと思われる。
最後に今回恩徳橋にバイクを止め、この屋敷の写真を撮りに畑の畦を歩き廃材を集めたサイロ付近まで行った時、不意に髪の毛が焼けるような臭いがした。錯覚ではない。もっとリアルな表現だと焼き場の臭いだった。見渡すと10mほど先の民家の薪ストーブの煙突から煙が出ていた。風向きはこちらだ。おそらくゴミでも燃やしたのか。しかしその臭いは一瞬だけ鼻腔を過ぎてゆき、その後は晩秋の山の匂いしかしなかった。
この空間が人の来訪を拒んでいるのは確かなのかもしれないと思った。
 

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