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太宰府天満宮参拝

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2018年10月17日(水)11時13分31秒
返信・引用 編集済
  家内の実家へ行きましたら、推定85歳の義母が

『太宰府へ参拝に行きたいけれど、足の具合が悪くて思う様に歩けないので…。』との事でした。


義妹が運転する車で行っても、駐車場から本殿までを自分で歩いて行く自信が無い様でした。

幸い、きょうは天気が良いし暑くも無く寒くも無し。

ココで親孝行のマネゴトをせずに、いつする?と、僕は自問自答し、


『あ~、それならダイジョ~ブ。今から行きまっしょう!万事、このムスメムコに任せて下さい。』と請け合いました。

『え?ホント?』と訝しがる義母に、


『あ~、今から行きましょう。はい、すぐに用意して下さい。お化粧もバッチリ願います。』と答えました。


足が悪くて歩き難いのは分かっていますが、大宰府くらいの観光地であれば、有料か無料かは不明ですが、

レンタルの車椅子は探せば見つかるだろう、と思っての事です。


約20分ほど、母上の外出準備が整うのを『あ~、僕は何と親孝行な男なのだろう?我ながら素晴らしい!』と思いながら、

(↑あのさぁ、そんな事は他の人が考える事であって、自分で思うとナンのネウチも無いけどね、馬鹿!)

義母の準備を待って出発しました。

義母の家から太宰府までは都市高速を走ると40分程で到着です。


さすがに日曜日の昼近い時間ですので、太宰府天満宮の参道近くの駐車場は満車で、少し離れた駐車場に車を入れました。


『よっしゃぁ、こっからが母上に孝行息子を売り込む肝心な時!』と、義母には


『おっかさん、今から車椅子を探してきますからね、どうか転ばない様に、ゆっくりゆっくり歩いて来て下さい。』


義母に家内が付き添うのを確かめて、大股急ぎ足で観光案内所が有る西鉄太宰府駅へ行きました。


観光案内所に入り、揉み手摺り足で案内係の女性に卑屈な作り笑いを浮かべ、

『ヘッヘッへ、お嬢様、恐れ入りますが、この辺りに有料無料を問わず、

レンタルの車椅子を貸して下さる所は有りますでしょうか?』と尋ねますと、

ヤオヨロズの神よホトケよ、その女性は、菩薩様の様な笑みを浮かべて

『はい、勿論、ここに無料のレンタル車椅子が有ります。こちらに必要事項を書いて下さい。』と、書類を差し出されました。


やったぁラッキー!とばかりに書類にミミズが這いつくばるよりも汚い字で記入し、

早速、車椅子を借り出して、道路へ出ますと、義母と家内が元来た道を歩いて来るのが見えました。


『いやぁ、さすがに親孝行なムスメムコには天も味方するわい!』

(↑あのさぁ、そんな事は他の人が考える事であって、自分で思うとナンのネウチも無いけどね、馬鹿!)、


意気揚々と義母に近寄り、『おっかさん、どうぞ乗って下さい!』と義母を車椅子に乗せました。


それからは僕が歩くペースで車椅子を押し、

『ここが太宰府だよ、おっかさん!』と大宰府天満宮の参道を歩きました。


流石に、太宰府の名所である三連の太鼓橋は車椅子で通れそうにありませんでしたので、

迂回しましたが、しかし義母が自身の足で歩くより数倍も早く参道を通る事が出来ました。


本殿前の手水舎で手と口を清め、本殿へ進み参拝の列に並びました。


義母は、『車椅子を押して貰って、すみませんねぇ。有難うございます。』と、何度も言いますので、

その度に僕は『あ~、こげな親孝行なムスメムコは居りませんばい!ど~した親孝行な男ですか?』

(↑何度も言うけれど、そんな事は他の人が考える事であって、自分で思うとナンのネウチも無いけどね、馬鹿!)と答えました。



そんなこんなで無事に参拝を終え、昼食時を少し過ぎていましたが、


『おっかさん、せっかくだから参道沿いの店で何か食べて帰りましょう!』と言い、
行き道に目星を付けていた、義母の実家が有る土地の名前が付いた店に入りました。


注文したのは、お約束の『梅ケ枝餅』と、義母はゴボウ天うどん、

僕らは店の名物らしい『天神そば』(揚げ餅、合鴨のハム等の具が入っています)。

はい、お勘定は、チャッカリと義母の財布で済ませました。

(↑おいおい、その勘定を出すのがムスメムコの役割だろうが、馬鹿!)


昼食後、義母の希望で大宰府名物の梅干しを探して買いましたが、

昔と違って、梅干しを売っている土産物店は激減しましたね~。


参道沿いの土産物店を覗きながら駐車場へ戻り、義母を車に乗せて、車椅子を返却しました。

義母宅へ戻る道すがら、『いや~、きょうは親孝行したなぁ!我ながら素晴らしい!』

(↑だぁかぁらぁ、そんな事は他の人が考える事であって、自分で思うとナンのネウチも無いんだよ、馬鹿!)

と自己満足のヒトトキでした。




画像一枚目、手水舎を使う義母です。

画像二枚目、お約束の『梅ヶ枝餅』です。

画像三枚目、入ったお茶屋さんの名物らしい『天神そば』です。


 

東亜の空に雲暗し

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2018年10月10日(水)11時30分7秒
返信・引用
  ロシア・中共・北朝鮮の外務次官が協議した、とマスコミが漠然と伝えていますが、その内容は如何なモノだったのでしょうか?

もしかすると、戦中のヤルタ会談の様に、今後の対日政策を話し合っていたのかもしれません。
『あの国な、らしき組織は有るが、変な憲法に縛られているから、ヤルなら今のウチだと思わんか?
俺ンところは、北海道、君ンちは沖縄と九州か?』等と話していなかった、とは誰も断言できないでしょう。


そんな事を考えていましたら、先日、加瀬英明様がコラムに書いて下さったのを思い出しましたので、
無断無許可にて転載致します。
(転載・引用に関しての記述はなされておられませんので、許可は不要、と判断しました。

**************************************************************************************

送信日 : 2018/10/05 (Fri)
題 名 : 国家自立の気概、憲法修正で示せ

 北朝鮮危機が日本のうえに重くのしかかるもとで、北朝鮮によって捕われている拉致被害者を
一刻も早く救い出すことが、悲願となっている。

 それなのに、その糸口を掴むことさえ、まだできないでいる。

 横田めぐみさんが北朝鮮の工作員によって攫われて、北朝鮮に拉致されたのは、1977年11月15日のことだった。
すでに41年もの時が、流れている。同じ時期に、他の多くの日本国民が同じように日本国内から拉致されて、
北朝鮮に捕われたままでいる。

 いったい、拉致被害者は誰の被害を蒙っているのだろうか?

 これは、テレビも新聞も、誰もいわないことだが、拉致被害者は“平和憲法”と呼ばれる日本国憲法の被害者である。
なぜ、それをいう者がいないのか。

 もし、日本が1952年に対日講和条約によって独立を回復してから、数年以内に現行憲法を改正して、
それぞれ日本の人口、GDP(国内総生産)が、ともに半分しかない、イギリスか、フランス程度の軍備を整えていたとすれば、
みすぼらしい小国にしかすぎない北朝鮮によって、多くの日本国民が日本の国土から、拉致されるようなことはありえなかった。

 イギリスも、フランスも、国土と国民を守るために、核ミサイルを搭載した潜水艦や、航空母艦を保有している。
もちろん、イギリスもフランスも全世界から、平和国家として認められている。

 いったい、多くの自国民が隣国によって拉致されても、傍観するほかない国を、
「平和国家」と呼ぶことができるものだろうか?

 アメリカは日本が占領下で主権を奪われていた時に、アメリカの平和を守るために、
日本人の精神の非武装化と、日本の物理的な武装解除を企てて、
占領下にある国の基本法を変更することを禁じた国際法を踏み躙って、現行憲法を押しつけたのだった。
そのために、占領軍は日本国民が、この憲法を自主的に制定したという嘘を強要して、体裁を繕(つくろ)った。

 現行憲法は多くの日本国民によって、“平和憲法”と誤まって呼ばれているが、日本の平和ではなく、
“アメリカの平和”をはかったものである。

 現行の「日本国憲法」は、アメリカが対日占領を始めた1年2ヶ月12日後の翌年の1946年11月に公布され、
その翌年5月に施行された。

 ところが、その僅か4年1ヶ月後に、まだ日本は占領下にあったが、朝鮮戦争が勃発したために、
アメリカは日本を“丸腰”にしてしまったことを悔いて、慌てて警察予備隊という、
疑似的な“軍隊”を創設することを、命じた。

 自衛隊、疑似国家の疑似軍隊で良いのか

 占領軍が強いた「日本国憲法」の耐用期限は、4年1ヶ月しかなかったのだ。今日、私たちは耐用年数が、
68年も前に切れている自転車か、自動車に、毎日乗っているようなものであって、危険きわまりない。

 この「日本国憲法」でさえ、第1條で「国民が主権者」であることを謳って、規定している。

 主権者ということは、日本国民が日本の所有主であることを意味している。
それなのに、「日本国憲法」が「戦力の保持」を禁じているために、日本国民は今日に至るまで、自らの手で国を守ることを拒んでる。

 自分の所有物を守ろうとしないのでは、とうてい主権者といえない。主権者のいない国家は、国家に価しない。

 今日の日本は、疑似国家でしかない。
このような国家のありかたは、軍隊ではないとされている自衛隊に、双生児のようによく似ている。

 先の大戦が終わってから、多くの日本国民が現実を直視することを、避けるようになった。
敗戦までの日本が邪しまな国家であったという、ゆわゆる東京裁判史観が、多くの国民によって信じられ、自虐史観にとらわれている。

 産経新聞のソウル駐在客員論説委員として、韓国における生活が長い、黒田勝弘氏が今日の韓国について、
「韓国民の反日感情というのは、日本による朝鮮半島支配が終わった後、
日本においては戦後、彼らにおいては、いわゆる解放後に形成されたものである」
(『それでも私はあきらめない』黒田福美著、あとがき、WAC株式会社)と、述べている。

 日本の朝日新聞社をはじめとする、偏向左翼による自虐的な「反日」も、
敗戦後に形成されたものだから、韓国を笑うことができない。

 また夏が巡ってきた。今年は異常な猛暑が続いたが、
8月になると先の大戦の敗戦を回顧することが、年中行事となっている。

 だが、対米戦争と敗戦は、日本が自ら招いたものではなかった。

 これは、歴史的事実である。日本政府と軍部は開戦の直前まで、戦争を避けようとして、ひたむきな努力を傾けた。
アメリカも日本と同じように、真剣に平和を求めているはずだと誤って信じたために、
ルーズベルト政権が仕掛けた罠に嵌ったのだった。

 もし、異論がある読者がおいでになったら、拙著『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』(KKベストセラーズ)、
私が編者となった『日米戦争を起こしたのは誰か・フーバー大統領回顧録を論ず』(勉誠出版)を、お読みいただきたい。

 今年は、アメリカの対日占領が終わってから、66年以上が過ぎている。

 日本の惨状、いつまで米国のせいにするのか

それなのに、多くの保守派の人々が、アメリカの占領政策のお蔭で、日本国民が自立心を失なったといって、アメリカを批判する。

 これらの人々は、これから10年、20年、いや、30年、40年たっても、アメリカの占領政策によって、
日本の国民精神が歪められてしまったと、アメリカのせいにし続けるのだろうか?

 これでは、韓国が35年にわたった日韓併合時代が終わってから、すでに73年もたったというのに、
日本統治を非難することに没頭して、自立することができずにいるのと、まったく変わりがないではないか。
日本がいつの間にか、“第二の韓国”となってしまったのだ。

 8月に、防衛省が28年ぶりに、自衛官の採用年齢の上限を、今年10月から6歳引き上げて、
32歳にすることを発表した。少子化によって、応募者が減少しているからだというが、いま、はじまったことではない。
陸上自衛隊の定員が15万人と定められているのに、2万人が欠員となっていて、13万人しかいない。

 少子化のために、全国で定員に届かない大学が多いが、このような大学の学生の質は、当然低い。
自衛隊員のなかには、優秀な隊員が少なくないが、定員を満たすことができないために、全体の質と士気が低い。

 海上自衛隊も護衛艦が、定員に満たない人数で、出航している。

 東日本大震災では、予備自衛官に招集をかけたが、1パーセント以下しか招集に応じなかった。
即応予備自衛官も招集に応じた者は、半分以下だった。

 そのうえ、若者が自衛隊に応募しないために、自衛隊は世界のなかで、もっとも高齢化した軍隊となっている。
旧軍では陸軍の中隊長は20代だったのに、陸上自衛隊では40代末か、50歳が珍しくない。

 予算がないので、必要な装備も足りない。

 これも、憲法に自衛隊の存在が書かれていないからだ。

 国防意識回復のため憲法に自衛隊明記を

 国民が国防意識を回復するために、1日も早く憲法第9条に自衛隊を保有することを、書き加えなければならない。

 これは全面的に改定するのではないから、「憲法改正」というより、「憲法修正」と呼ぶべきだ。

 「親中」「媚中」が、戦後の日本の歩みを大きく狂わせた。

 1972年に田中角栄内閣のもとで、日中国交正常化性急に行われた時に、
私は『文藝春秋』『諸君』の誌上で、中国は信頼できないといって、強く反対した。
日本が、日中国交正常化を煽り立てる新聞世論によって、押し流されていた。

 いま、もはや「日中友好」を唱える声がきかれなくなったというのに、
「子々孫々に至る日中友好」を叫んでいた大新聞から、反省の声がきかれない。

 そのかたわら、いまだに議憲派が国論を2分する力を持っている。

 憲政民主党は“憲法解釈”による、
「専守防衛」を堅持すべきことを主張しているが、敵軍が日本国土に上陸するか、
航空機、ミサイルが国土の上に飛来するまで、迎え撃ってはならないと説いているから、
大戦末期に「一億総特攻」「本土決戦」を呼号した、狂信的な旧軍将官の再来でしかない。
 だが、枝野幸男氏をはじめとする議憲派が、そこまで常規を逸しているはずがない。

 議憲派は、どのような状況のもとでも、アメリカ軍が「子々孫々」に至るまで、
日本をしっかりと守ってくれると信じて、疑わないのだろう。

 日本国憲法は、アメリカ軍の保護なしに、成り立たない。

 議憲主義は自立心を捨てて、アメリカへの甘えを表わしたものでしかない。
「日本国憲法」は独立国としての誇りと、自立心を捨てた国民でなければ、憲法として戴くことができない欠陥法だ。

 議憲派は、“媚米派”である。中国であれ、アメリカであれ、外国に媚びるのは、恥しい。
媚びるほど、卑しいことはない。

 このままでは、国家の存在を危ふくする。

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加瀬英明事務所
お問い合わせメール: info@kase-hideaki.co.jp
ホームページURL: http://www.kase-hideaki.co.jp/
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如何でしょうか?
日本に対して良からぬ事を企んでいる国は、日本が覚醒する事を恐れ、
そして覚醒しない事を願いながら行動を始めている、という考えを持つべきです。
沖縄県知事選は残念な結果でしたが、これは前哨戦なのです。


先日の台風、被害に遭われませんでしたか?
こちらは前回の台風を逆方向の風向きだった為でしょうか、後片付けに結構な時間が掛かりました。

画像一枚目、いつも通る道沿いに在る犬小屋が台風に煽られて傾いていました。

画像二枚目、『小屋に住んでいるワン公は無事か?』と思いながら、小屋を戻しました。
ワン公は、どこかへ避難しているらしく、『犬は居ぬ』でした。
 

台風

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2018年10月 3日(水)11時23分5秒
返信・引用
  台風が通過しましたが、被害は有りませんでしたか?

台風は本当に嫌ですねぇ。

パチンコ営業をしていた頃は、台風が近付くと当然ながら風雨が強まり、御客様の数が減り、
大当たり回数が多い方が残られますので、必念的に売り上げは頭打ちで、利益率は薄くなります。

また、停電の危険性も有りますので、閉店時間を早める事の判断もしなければなりませんが、
当然ながら出玉を持っておられる御客様は、
『せっかく出ているんだから、通常通りの閉店時間にして欲しい。』という御希望です。

また、遊技を止められた方は、
『この雨風の中、閉店して外へ出されるのは困るよ!』と、仰います。

こちらは、利益率と御客様の事を考えながら、また雨量によっては店内に水が入ってきたり、
風の具合では飛来物が店舗にあたる事も有りますし、また停電の可能性も有りますから、
その際の対策も考えなければならず、本当に悩みが多かったですねぇ…。

今でも夢に出て来て、夜中に飛び起きる事が有り、その際には当時の御客様の顔がリアルに出て来るのですから、
これは一種の職業後遺症ではないでしょうか。

現在は、駐車場と駐輪場の管理もしていますが、駐輪場は片持ち屋根に補強の脚を出したり、
自販機のゴミ箱等が風で飛ばされない様な対策を行います。

台風が通過した後は、また元通りに戻すのですが、色々な飛来物の処理に困る事も有り、
また落ち葉の膨大な量に困惑します。

落ち葉の殆どは地方自治体が植えた樹木からですので、
お役所は『管理責任』を自覚して処理するべきなのですが、電話で連絡しても
『地域住民の皆様に御協力を仰いでおります。』の一点張りで、責任感は有りません。

台風の直撃で被害を蒙られた方々の事を考えますと、実にバチアタリな事ですが、
やはり何とかして欲しい、と思います。

今週末も、また台風が来そうですね…。
どうぞ皆様も御注意をお願いします。

画像一枚目は、普段の夜の駐輪場です。
画像二枚目は、片持ち屋根に補強脚を出したところです。この駐輪場では全部で16本の脚を出します。
 

人生には行列と待ち時間が必要になりました。

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2018年 9月26日(水)10時55分37秒
返信・引用
  先日の日曜日、家内のハンドバッグを修理に出しました。

天神の店舗へ行ったのですが、やはり世の中は景気が良いらしく、店舗内は裕福そうな方達が多かったですね。

やっとの思いで手隙らしい係員に『カクカクシカジカ』と用件を伝えましたら、
上品な頬笑みで、『暫くお待ち下さいませ。』と、家内が差し出したハンドバッグを持ってカウンターの向こうに行かれました。

待つ事十数分、再び頬笑みを湛えて現れた女性は、
『お待たせしまして、申し訳ありません。修理箇所を確認しまして、連絡を取りました。
はい、修理は無料で承りますが、時間が…、はい、長ければ半年ほど預からせて頂く事になりますが、宜しいでしょうか?』
と、仰いました。

家内は、『勿論、構いません。』と応え、預ける事となりまして、伝票を製作して下さる事になりましたが、
なにぶん御来店客が多いためでしょうか、暫く待つ事になりました。

小一時間ほど待って、預かり証を受け取り、
家内は『おそらく修理代金は要らないだろうとは思っていたけれど、半年も掛かるのね、
それに預かり証を作るだけで、あんなに待たされるとは。』と言いましたが、
こちらは昼食の時間でしたので、『何を食べようか?』と、応えました。

少し歩くと、『トマトラーメン・辛麺』という看板が有り、家内が
『トマトラーメンかぁ。』と足を止めて看板を見ましたので、
『ここで食べるか?』と訊ねましたら、『うん』という事になり、10分程の行列で入店しました。

僕は最初から『辛麺』でしたが、家内は『トマトラーメンか辛麺?』と迷い、結局、辛麺を二つ注文しました。

平壌冷麺に使われる様な麺かな?と思っていましたが、こちらの辛麺は普通?の小麦粉の麺でした。

辛さの段階で価格が変わるのですが、僕は『小辛』を注文し、これはこれで正解で、僕には丁度良い辛さでした。

食べ終えて、最近、話題になりつつあるパルコのロブスターバーガー?を観に行きました。

僕はロブスターが苦手ですので、買うつもりは有りませんでしたが、
いやはや、千数百円の価格にも拘わらず、十数人の行列でした。

その後、食料品を買うために久山町のコストコへ行きましたが、
こちらも今まで経験した事が無い大行列!で入店するまでに十五分程並びました。

買い物を終えて帰宅し、夕食は家内と小中高時代の同級生が営む居酒屋に行きました。
さいわい、こちらも店内はお客様で盛況でしたが、運良く並ばずに食事?を楽しむ事が出来ました。

我が家から片道、徒歩15分+電車5分+地下鉄20分位の所に在る居酒屋さんですが、何とも言えず和める店ですねぇ。


画像一枚目は『辛麺』

画像二枚目は、コストコの入店待ち行列

画像三枚目は、西新横丁の居酒屋『とみ善』の串焼きです。(うっかり食べる前に撮影を忘れてしまいました。すみません。)
 

息子達からの還暦祝い

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2018年 9月19日(水)09時19分9秒
返信・引用
  二男が提唱したらしく、息子二人が語らって、腕時計を僕の還暦祝いとして贈ってくれました。

『この時計、黄色と赤の文字盤が有ったけれど、還暦祝いだから赤にした。
前から誕生祝いとして、カバンなんかを贈っているけれど、
「もったいない。」って使ってくれないよね。古くなっても構わない、
傷が付いても構わないから、ゴリゴリ使ってよ!』との事です。

こんな息子二人と、そんな息子たちを育ててくれた家内に感謝感激・雨霰です。



すみません、急用が出来ましたので、きょうは、これでお仕舞です。

画像一枚目、時計の箱です。
画像二枚目、時計の表側です。
我王三枚目、時計の裏蓋です。自動巻きのローター等が見える、スケルトン構造です。
 

マゼソバ+オイメシ

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2018年 9月12日(水)11時01分16秒
返信・引用
  元・マンハッタンの御客様の『グロリア心』様が経営されてある『KOMUGI』へ昼食で伺いました。

先週、KBCラジオで紹介されたためでしょうか、少し並びました。

前回は、鶏と煮干しのスープの『トリニボ』を食べましたので、
今回は『マゼソバ』か『冷やし』にしようか?と迷いましたが、『マゼソバ』に決めました。

家内は『冷やし』かな?と思いましたが、曰わく『やはり、前回、迷ったマゼソバでしょう!』との事でしたので、
『マゼソバを二つ!』と注文しましたら、グロ様は『生玉子は大丈夫ですか?』と、赤い玉子を手にししながら、
生玉子が苦手な僕に気遣って下さいましたが、僕は『はい、今回は生玉子入りでお願いします。』と答えました。

待つ暫し、画像一枚目の『マゼソバ』(700円)が供されました。

麺は、トリニボ、マゼソバ、冷やし、それぞれ違う麺ですが、全て自家製だそうです。

グロ様の御指導通りに、よ~く混ぜ混ぜして(画像二枚目)しまして、食しました。

特製自家製麺とダシが相まって美味しいですね~!

『食べ終わる前に、オイメシ出来ますから、言って下さい!』とのグロ様の御言葉に従い、
『すみません、少しだけオイメシ下さい!』と、言いましたら、少なめに『オイメシ』して下さいました。
(画像三枚目、通常はもっと量が多い様です。)
家内は満腹に近いらしく、『オイメシ』は無しでした。

残していた具材と『オイメシ』を混ぜ混ぜして食べましたが、美味しかったです。(オイメシは無料です。)

素敵な奥様と素晴らしい自家製麺で努力しておられるグロ様、御馳走様でした。

御繁盛を心からお祈り申し上げます!


G!様、還暦祝いのお品、確かに拝領仕りました。

有難うございます!
 

恐縮千万に存じます。

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2018年 9月 7日(金)23時16分18秒
返信・引用 編集済
  G!様、御無沙汰しております。

中々、お目に掛れる事ができず、残念に存じます。

また、この度は甚だ結構な御品の御手配、まことに恐縮千万、有難うございます。

申し上げるまでもなく、はい、来年の誕生日までは還暦ですので、御懸念には及びません。
御品の到着を楽しみにしております。

当方も、G!様の御一読頂きたい本を思いついておりますので、11月になりましたら発送致したく存じます。

どうぞ、今後とも宜しくお願い申し上げます。

この度は御配慮、まことに有難うございました。
 

Re: 還暦

 投稿者:G!  投稿日:2018年 9月 7日(金)22時30分17秒
返信・引用
  > No.1082[元記事へ]

遅ればせながらお誕生日おめでとうございます。
いや、「おめでとうございました」でしょうか。

毎年、誕生日には「超」が付くほどの粗品を送付させて頂いておりますが、今年は還暦!、粗品なりにも厳選された粗品(←結局、粗品から抜けていない)と思い、出来るだけお誕生日に配送が間に合うように注文を掛けていたのですが、お誕生日直前に●マゾ●からメールが来て「アンタのカードの有効期限違うばい!」と言われました。

再度、有効期限を登録し直して発送の手続きを行いました。
すると到着は9日~13日の間ということでした。

どうか、到着までお誕生日&還暦の思いを保たれていてもらいませんでしょうか?
↑本当に身勝手なお願いですが

誕生日が過ぎてしまったので、送った画像だけでも見て頂ければと思います。

サイズはXLでよかったでしょうか?
 

還暦

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2018年 9月 5日(水)10時54分52秒
返信・引用 編集済
  息子達が話し合って還暦の祝いを催してくれました。

僕自身は、気が張らない程度の中華料理か焼肉、もしくは行きつけの
(といっても、それほど日頃から通っているわけではありませんが)割烹、と思っていたのですが、
長男の考えで選ばれたのは、有名な高級料理店です。

『なんといっても還暦だ。ちゃんとした所で祝おう。』という事だった様です。

早めに仕事を済ませて帰宅して暫くすると、二男一家が車で迎えに来てくれました。

二男の嫁は酒を受け付けない体質ですので、この様な時は良いですね~。

予約された時間に料理店へ着きますと、『いらっしゃいませ!』の声で迎えられました。

この店に伺うのは何年ぶりでしょうか…。

聞いた話では、この有名な老舗は、三代目の女将さんから料理人、給仕、中居さん、店舗の
殆ど全てが某企業に譲渡された、という事でした。

確かに、店舗の外装は現代的な感覚で改装が施されていました。

こちらの建物は、皇居を設計された高名な建築家の仕事でしたが、やはり時代の流れなのでしょうねぇ。

店舗内もカウンター席が改装されて、以前は待合席だった所はテーブル席に代わっていました。

女将さんと殆どの料理人は変わっていない、という話でしたが、やはり経営者が代わると、
挨拶なども変わるようですね。

二階の座敷へ案内されましたが、やはり座敷も雰囲気が少し違っている様に思えました。

ただ、トイレは昔のままで、僕は少しホッとしましたが、息子達は『旧いね~。』と思ったそうです。

料理は、長男が予約したコースで出されましたが、他に孫達用の料理をお願いしようとすると、
以前とは違って、出来ない料理が少なからずありました。

今では、その様な料理も予約しなければ出して下さらない様ですね。

また、アルコール類の提供も変わっていました。

以前の瓶ビールは氷水で冷やされて水滴を拭って出されていましたが、
今回は冷蔵庫で冷やされた水滴が瓶に付いて、如何にも『冷えています』という感じでした。

また、日本酒も数種類が用意されていましたが、僕が好きな錫製の燗瓶が有るかどうかが分からず、
尋ねても孫達の料理の様な返事をされるのに躊躇しましたので、敢えて尋ねず、長男好みの焼酎に決めました。

その焼酎も以前は大分の麦焼酎が瓶ごと出されて、飲んだ量を測って計算されていたのですが、
今はグラスかボトルでの販売だそうです。

しかし、息子達の気配りで、実に楽しく過ごす事が出来ました。

最後は、息子達が持ち込んだケーキに蝋燭を立て、お決まりの 『 Happy Birth Day to You!』
を合唱して、蝋燭を吹き消しましたが、もう還暦ともなれば、同じメロディで
 『How Old are You?』 と歌った方が相応しい、とも思いました。

なにはともあれ僕は気分が良くなり、孫達には小遣いを出しました。

(年齢には関係なく、0歳から7歳まで同じ金額です。)

家族って良いもんだ、つくづく思いながら良い加減に酔い、皆の心遣いに感謝した夜でした。


皆さん、ありがとう。

つまらないオヤヂでジジィだけれど、今後とも宜しくお願い致します!


画像一枚目、福岡では超一流と呼ばれた寿司割烹店です。

画像二枚目、その二階の座敷です。

画像三枚目、最初に出された『睨み鯛』と赤飯、栗、煮梅です。
鯛は持ち帰って、京都風で三日後に美味しく頂きました。
http://uototo.sakura.ne.jp/brog/niramidai/
 

お食い初め

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2018年 8月29日(水)10時39分14秒
返信・引用
  いつもでしたら盆は、お墓と納骨堂参りをした後に、親戚一同で夕食をする事になっているのですが、
今年は諸事情が重なりましたので、僕は用事を済ませた後に食事会のみに行きました。

食事会は例年ですと焼肉などの『食べ放題』形式の店舗なのですが、今年は、『いつもとは少し違う趣向で』と、
我が家の二男が幹事を務め、中華料理店でのコース料理に決まりました。

僕は自分用として、鶏の唐揚、ピータン、酒類を注文しましたので、その金額くらいを幹事である二男へ渡しました。

そして、この食事会は、今年の四月に生まれた、我が家の二男の二男、
ちょうど僕とは60歳違いで同じ生まれ年(戊戌)の孫の『お食い初め』を兼ねていました。

やはり、中華料理店ですので、『お食い初め』に用意された料理は中華風で、
清湯、鶏の唐揚、焼売、鯛の姿揚げ、ゴマ団子でした。

また、香椎宮にて初穂料を納めて拝領した『歯固め石』を二男が用意しており、
『歯固め石』の添え書きに従って皆の前で『お食い初め』が行われました。

儀式を執り行うのは一族の年長者、という事ですので、
僕の家内の母親、赤ん坊からは曾祖母が『歯固め石を箸でチョンチョンと触り、
その箸を歯茎に軽く当てる』という事を何度か繰り返し、料理も少しだけ口に運びました。


最近は、少子化のためでしょうか、この様な儀式を料理店で行う家族が増えているようですね。

今回もコース料理のオプションとして用意されていました。

一族郎党が赤ん坊の周囲に集まり、
『お祖母ちゃん、そうじゃなくて…、ホラ、また間違えた。そうそう、まずは石をチョンチョン!』等とニギヤカで、
お祖母ちゃんは其処彼処からのアドバイス?に汗をかきながら進行役を務めていました。

しかし、当の赤ん坊からすれば、まるきり理解できない儀式でしょうねぇ。


画像一枚目、香椎宮にて受けた『歯固め石』です。


画像二枚目、『歯固め石』の添え書きです。


画像三枚目、中華風の『お食い初め』膳です。
 

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