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激甘辛作品評1

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 4月29日(火)10時07分50秒
  通報 編集済
  .

             激甘辛 作品評1
                              9号2007-12号2008



     「友達を無くすなあー俺は!!」とある。
   当たり障りない作品評になりがちな合評の中、この人は感情を入れず、一貫して
   率直な作品評をいれているように読める。褒められて書く気がでる、不足を指摘
   されて発憤する。他方調子にのって手抜きをする、欠点の指摘や疑問に対しバカ
   にされたと思い怒る。要は受け手の資質の問題なのだろう。




  *電子評論集に掲載されていないものをとりあげています。
  *現在の電子作品集に掲載されているものは、下記URIを
   クリックすると当該作品を読むことができます。




同人α9号


親と子         2007/1/23

 これは難解な推理小説のようで、「何んかいな」といいたくなる「名作」か、はたまた
「迷作」なのか。たった四ページの中に、由美、おば様、ママ、ポポ、父、孫、娘、祖母、
昭子の人物が登場する。それぞれの記述、独白が誰を指しているか私には断定できないの
である。理解しようと鉛筆をなめなめ相関図を完成させようと試みるが、決定的な証拠が
なく犯人はするりとフィッリプ・マーロウの目の前をすり抜けて行く怪人二十面相のよう
につかみ所がない。

 しかし一見幸せそうな家族や満たされていて何の不安もないような家庭にも底流には隠
された辛い物語があるものだ。誰の回想や独白か判らずともこの物語にはペーソスがあり
普遍性があり繊細な女性しか書けない世界である。

 英語の先生が突然日本文学に目覚めて、源氏物語のように主語抜きの小説を試みたのか。
それとも理解できない私はもはや認知症の世界に片足を踏み入れてしまったのか。ここは
一つO氏自らその相関図を完成して私の疑問を晴らしてください。





同人α11号


選択五題 碇民治 著   2007/6/18
http://2style.in/alpha/11-4.html

◆ 鉄仮面氏のように物語りを膨らまし、想像の翼の羽ばたくままに語られた物語は誠に
  楽しく、その創造力には脱帽するが、私は評としてはそこまで仮定に基づく憶測や想
  像をすることが、作者にとって果たして望んでいることだろうかといつも評や感想を
  述べる時悩むのである。
◆ またO氏のいうように作者の意図をどう理解したらいいか分からない句もある。
  これは、句に携わる人達の決まり事や用語に対しての私の不勉強のせいかも知れない。
  その一方、説明しなければ素人には分からないものをつくる意味はなんであろうか。
  私は共感の得られる情景や思いを、この短い語句の中にいかに盛り込むかが一番難し
  い作業であろう。その点私はその世界に閉じこめられることをいつも拒否している自
  分がある。
◆ 「選択五題」は確かに作者の生活の中で生ずる「岐路」でどちらの道を選択してきた
  か、またその選択した道ではない別の生き方に思いを馳せるとともに、そのときの決
  断に悔恨めいた感情も微かに感じられるのである。それはまた私の迷いや思いの残照
  と確実に共鳴した。





肥と筑 第一回 長岡曉生著 2007/7/12
http://2style.in/alpha/11-9.html

◆ことばへのこだわり
  この一家はことばやものごとなどを世間的なありきたりの解釈に飽きたらず、自ら調
  べ挙げ解明しようという旺盛な好奇心とそれを楽しむ性格が描かれているようだ。私
  もまた色々の出来事に使い古された意味や解釈に反発し、疑いの目を持ち、自らの解
  釈を作り上げようと足掻くのではあるが、それはまるで「こんなものが効くのか」と
  いう旦那にたいして、藤原紀香が「あんたのその疑い深そうな目が好きや」と応ずる
  殺虫剤のコマーシャルが気に入っていてまさに言い得て妙である。
  ついでに、これは私がいままでに評価するコマーシャルの名作の3つ目に付け加えよ
  うと思う。一番目は松平健が西洋人のバックダンサーと踊っている「コナカ」のCM。
  なんとも事大主義的で臆面もなく無意味なことをやっているところ。
  もう一つは「メガネスーパー」のCM。桃太郎と犬・猿・キジの家来達、そして赤鬼
  ・青鬼達が行進するアニメだが、一人として歩調を合わせないところが見る者の脳み
  そを攪乱して、真も善も美も糞ったれというはちゃめちゃさがいい。よくこれで製作
  費を貰えたね。
◆ 問題提起
  ある本で「学問的業績を評価された人は、必ずしも答えを見つけ「真理」に到達した
  人ではなく、より豊かな実践を拓いていく新たな丁番を創り出した人。何かある問題
  に答えた人よりも、むしろ問題を創り出した人である。」というのがありました。そ
  の点同人αの連中は常にピントはずれのような、一笑に付すような提案や計画や思い
  つきを真面目に言い出す人が多い。それが同人αの資格審査の条件であったかと思え
  る節がある。とにかく人と違ったもの、人には無いものを尊ぶ風潮を私は好きだ。
◆ 家庭団欒
  まずは知的で、そうかといって各々が個人主義の固まりでなく、和気合い合いの後藤
  家のような家族は今の日本では希であると思う。その意味では理想的な親子関係で、
  作者の家庭がそうであるとすればうらやましい限りである。我が息子などは、学費を
  貰う間はそれなりに付き合ってくれたが、卒業して就職してしまうと歩いてこれる所
  に住んでいながら、催促されて渋々月に1度位しか顔を見せない。美味いものが好き
  だから、神楽坂の志満金で鰻を食おうとか、銀座のて天丸でてんぷらを等と言って連
  れ出すのだが、最近医者より「1日1,800kcalに押さえないと恐ろしいことになりま
  すよ」とどこかのテレビの番組みたいに脅されたので、息子を連れ出すのに新しい手
  だてを見つけ出さねばならなくなった。「お父さんはもう長くはないぞ」という脅迫
  めいた科白に効果を期待するか。
◆ 「肥と筑」はこれからが楽しみ
  司馬遼太郎の小説は実に面白く読ませるが、語ることが膨大すぎて最後に残る「こと
  ば」がつかめない、というようにならないことを、vacuum headを代表して最後に
  一言申し添えます。





選択、その後    2007/7/22

彼の独特に社会の不条理にたいする憤りとそれに伴う運動の体験は、青年の頃にノンポリ
であった私にとっては貴重な知識を与えてくれるものであり、また私が既に忘れ去ってし
まった正義感を失わず持ち続ける氏の生き方は貴重である。
その一方、物語として見るとき私は多少の小言を言いたくなるのである。それはまだ創作
を始めて日が浅い故であるかもしれないが、語りの中に共感するような心理的な葛藤やあ
るいは自然の色彩や光による微妙な移り変わりの描写などの表現が足りないような、ただ
ひたすらに情況の説明と筋を追うだけのものに見えてくるのである。

◆ P39-8行目:その山あいで自分があたかも主人公になったような気分で気ままに生き
  ている。の意味がわからない、この物語の「私」は常に主人公ではないか。それでは
  この山あいでの主人公は何であるのか?
◆ P39-34行目:離婚の理由は妻が私を嫌いになったのではなかった。今の自堕落な生
  活からむかしの行動的な「私」をもう一度取り戻して欲しいとの願いから、私を発憤
  させるために離婚を突きつけたとある。例え妻も自分自身をあらたに出発させようと
  いう意図があったとしても、それだけで離婚という選択をするであろうか。そこには
  もっと相手に対する嫌悪や憎しみや軽蔑などといった内面の激しい葛藤があるはずで
  ある。その辺の記述が欠けているから読者の深い共感は得られないのではなかろうか。
◆ P40-31行目:繰り返すことになるがの文はいかにも説明的で無駄だと思う。
◆ P41-23行目:(何度も使ってきたが・・・)も同じく不用。
  最後にこの物語があまりにも藤本敏夫・加藤登紀子の生き様と重なり合っているのが
  気に掛かる。
  随分言いたいことを書いたが、才能のある方だから嵐の夜に訪れた「佐久間茜」によ
  って生じる、これからの目の覚めるような新しい世界への展開を期待しよう。





同人α12号


稲作今昔物語り(1) 碇民治著  2007/8/31
http://2style.in/alpha/12-1.html

◆ いまの世の中はこの食べ物は「美味い」の「不味い」のと言いながらその苦労も考え
  ずに能天気に批評する風潮に染まっています。たしかに私もいつからでしょうか「食」
  を自ら生産することや自ら採取するための知恵も、そしてその原始的な生き方の大切
  さも忘れ去っていることに気づきました。
◆ 「鉄腕、ダッシュ」という、ある東北地方と思われる里山を舞台に、稲や果物や野菜
  を作る過程をさるアイドルグループに体験させる日本テレビの番組があります。これ
  をみると、実に農作業おける先陣から受け継がれたもの作りの知恵なくしては作物は
  満足に育たないことが判ります。
◆ 農機具商を営む父のもとで育った私ですが、今回碇さんの文によりそんなに農作業が
  進歩した機械により「樂」になったのかと、恥ずかしながら40数年前しか知らない
  私には驚きでした。冷房の効いた、GPS付きのすぐれものですか。
◆ くりかえし早苗をつかみ挿しにけり
  昔は梅雨の雨に濡れながら横一線にならんで人力で植えたものです。毎年親類の家に
  手伝いに行っていた頃はまだトラクターもなかった。それは大した仕事もしない子供
  にも辛い作業で、それ以来土をいじる仕事を敬遠した思いがありました。いまは胡瓜
  やなすさえ作れません。いまさらながらその時々に農業の知恵を教わっておけばよか
  ったと思います。





肥若葉は萌えて  三浦和子著 2007/9/26
http://2style.in/alpha/12-5.html

◆ 作者が俳句や和歌だけでなく今回新たに小説という創作の世界に挑戦されたことを高
  く評価します。自分には出来ないと思っていても書いている内になんとか書けてくる
  もので、是非これからも続けて自分の才能とその楽しみを見付けてください。
◆ 私も長岡さんと同じく、先ず「肥若葉」という言葉について興味を覚えました。歳時
  記や季語をいろいろと調べましたが結局判りませんでした。もし既製の言葉であれば
  その出所を、もし作者自身の造語であればどのような若葉を表現したものか詳しくご
  教示ください。
◆ 主人公は定年を迎えて自分の居所を探しに出掛けることから始まる物語は、失われた
  社会との繋がりの部分をどう満たすかを模索するという共通の問題でありましょう。
  その点で多くの人達と共感出来るテーマだと思います。
◆ いよいよ箱根の思い出をきっかけに内証の世界へ入っていく。新しい創作を通して、
  作者が表現する人間や自然にたいする考え方、人と違った個性を見付けることを私は
  楽しみにしよう。





定年後の日々パート4  2007/10/12

下世話に「残り物に福がある」という諺はよほどの運が必要のようで、このところ論ずべ
き良いところは既に賢明な皆さんの筆になってしまっている。いきおい遅れてきた者の話
題に乗れない悲哀やら、冷や飯食いの居心地の悪さを感じているのだが、それでもなお何
か人と違った見方の評を探してみようと努力するという、私がいつも陥るていたらくのパ
ターンである。だからどうしても負の面を探すということで、刺激的な効果を狙って作者
の自尊心にダメージを与えることを承知の上でアルカロイドを仕込むことになる。

◆ 構成としては、村上春樹の「羊をめぐる冒険」・「世界の終わりとハードボイルド・
  ワンダーランド」・「海辺のカフカ」などに出てくる山深い僻地にあるこの世とあの
  世の世界へ主人公は迷い込むみ、再び戻ってくるという自分探しの旅の物語のように
  思えた。しかしこの小説はこのまま終わるとすれば行ったきりで、この世とあの世の
  間の三途の川の手前で、六文銭を何処かで落として渡れずに立ちすくんでいるだけの
  主人公になってしまう。読む方もなんだか大好物の食べ物を途中で取り上げられたよ
  うな、血湧き肉躍る映画をこれから本番という時に停電するような割り切れない思い
  になった。
◆ 私は会社に8年間しか勤めず、若いときに自ら会社を去ったので、定年退職者をとり
  まく人々の間でこのような複雑な思いが交差するという記述を非常に面白く読んだ。
  しかし廻りの人たちの思惑を主人公が説明しているような書き方や時系列から逸脱し
  ない、すなわち時間的に過去・現在・未来を行き来したり、空間的な別の場所を舞台
  にした物語の一部を挿入したり、人物だけでなく天然現象や動物や植物などの記述も
  織り交ぜて、立体的に物語を作っていく手法でないように思える。この物語の記述は
  平べったい一次元と一方にしか進まない時間による記述で物語りに深みがない。川の
  流れに瀬や淵や曲がりくねりがあるように四次元のふくらみを表現して欲ししい。そ
  れから「赤目四十八瀧心中未遂」を書いた車谷長吉は、小説とはいかに登場する人物
  を生き生きと表現できるかであると言っている。また博覧強記的な知識も、一度作者
  の頭の中で疑問と共に分解され、再度組み立てられたようなものではなく、通説など
  の匂いがして、どこかで聞いたようなことが多く、作者の個性や人格から発せられた
  ような独特の言い回しや言葉の表現が観じられないのは「観光立国日本」の時もそう
  だった。
◆ とまあ、散々なことを書いてしまった。ここまでくるとさすがの作者も皆さんのよう
  にしっかりとした検証もしないで言いたい放題、批評にもならないものを読まされ、
  怒り心頭に発したでしょう。「大きなことを言っておまえはどうなのか」とブログの
  写真の姿で詰め寄られると、私は二の句も告げられず許しを請うのみにて。
  *◎◎さんごめんなさい。     友達を無くすなあー俺は!!





パロディ2題(出合いと別れ)  2007/10/27

◆ 安倍さんの「坊ちゃん宰相」振りはなかなかよく書けていて、首相になって職務を放
  棄するまでの離散劇は毎日のニュースで私もつぶさに見て知っていました。だから欲
  を言えば私の知らない事情についてのパロディを今度書いてください。
◆ 例えば、山本なにがしの気狂いじみた安倍政権擁立への情熱は何故かとか、平沢 某
  の主君への恋々とした忠誠心はどこから来たのか、等々安倍さんを持ち上げた人々の
  滑稽な三文芝居・狂想曲の顛末はまだ「総括」と「落ち」は着いていないと思われる。
  そして性事と政治の世界では言葉はいらないとばかりに、ついに我々国民の理解でき
  る言語では語られることはなく、永田町の闇の奈落で廻り舞台をどうまわすかを画策
  する影のシナリオライターの暗躍を炙り出してもらいたい。
◆ 安倍さんが自民党の代議士先生達を魅了したのは何だったのでしょうね。
  毛並みの良さが、田舎代議士の卑しい身分にも関わらず貴族の真似事をするというあ
  の「スノッブ」感覚をくすぐったのでしょうか、それとも金の匂いや猟官の思惑から
  か。急がないと与党の天下も危うくなったし、毛並みと見てくれが売りのあの程度の
  人物を担ぎ出した自民党員の見識や感覚がもはや格段に低下しているという思いにい
  たる。実は自民党員は影武者であり、数臆年も連々と我々の中に住み続ける「遺伝子」
  のような「官僚」が本当の支配者なのかも知れない。だから見かけの日本の代表が誰
  であろうと一向に体制が揺るぐことはない、これはもしや一流国の最良の最終の理想
  的な姿かもしれない。





同人α13号


性の波紋(その3) 2007/12/11

◆ この手の克明な性描写は、それに対する意識が開放されている現代の若者と違い、
  まだ昔の規範を引きずっている私にとって趣味ではないから言及しないでおきましょ
  う。
◆ 「据え膳食わぬは男のなんとか」について、夏目漱石の「三四郎」のなかに次のよう
    な筋の文があります。三四郎が上京する汽車の中で知り合った女性とよんどころなく
  同衾することになった。彼は一つの布団の真ん中に手ぬぐいを丸めて棒状にして結界
  をつくってその女と寝た。しかしなにも起こらなかった。朝起きるとその女は三四郎
  に「いくじがないのね」と言った。女が交情を望んでいたのか、それともそうなって
  も仕方がないと覚悟の上だったか三四郎にも分からない。女心の分からない三四郎の
  逡巡は美弥子に「strey sheep」と言わしめたようにこの小説全体のテー
  マでもある。sheepは気の弱いという意味もあり、なんとなく煮え切らない男の
  心情を象徴しているようでもある。そう言えば「性の波紋」の主人公も既成秩序への
  全面否定、前世代への全面不振、権威あるものへの全面敵対などにたいして果敢に挑
  む反面、桐子や茜に対しては常に受け身であり、茜との関係にたいしても離婚した桐
  子への後ろめたさを感じる。
◆ 「来週の土曜日には桐子がやってくる。その三日後には合評会があり、いやおうなく
  茜と再会する。私はどのような言葉と表情で彼女らと接すればいいのだろうか」など
  と自戒し、自らの意志による結果としての意識や覚悟がなく、六十歳にもなって自立
  した大人としての人格がいまだに育っていない感じを受けた。
◆ 表現としてはP101行目「前号で述べたように」とか、同16行目「さて茜のことに
  戻ろう」という文は前号でも述べたように、報告書や論文のようで文学的表現ではな
  いと思う。この感覚は私だけのものであろうか意見を問います。





肥と筑 第二回 長岡曉生著 2007/12/21
http://2style.in/alpha/12-6.html

bird・brainの私が「肥と筑」をものにする巨像のような作者の頭脳に対峙するのに、どの
ようなスタンスを取るべきかいまだに決まった見解を持ち合わせていないのである。そこ
で連載の途中だからといって物事の結論を先延ばしにするという私の得意の奥の手を使い
たいのだが、皆さんの努力を見るに付けそうもいきません。逃げることも問題を処理する
方法として一つの文化であるという社会も世界には存在するという本(危機のモラル マ
レクラ島のフィールドから 船曳建夫著)を読んだことがあるが、ここで放棄することは
編集に携わる者として許されるものではないと思った。そこで旅人-Mさんや、長岡さん
の手法に習って、正面からでなく搦め手から迫ろうという魂胆であります。
◆ さて文学とはどのような芸術の範疇に入るかと調べてみると、次のように分けること
  が出来る。
  1.【時間芸術】
    その形式や作品が、純粋に時間的に運動・推移し、人間の感覚にうったえる芸術
    の総称。すなわち、音楽、文芸など。
  2.【空間芸術】
    芸術の分野のうち、平面的あるいは立体的な空間の広がりによって秩序づけられ
    て、人間の感覚に訴えるもの。二次元的なものに絵画、平面装飾、三次元的なも
    のに建築、彫刻が含まれる。
  3.【総合芸術】
    建築・音楽・文学・絵画・彫刻などの分野を異にした諸芸術の要素が、協調・調
    和した形式で表出される芸術。すなわち、舞踏・演劇や映画など。
◆ そこで「肥と筑」が論文か小説かということが話題になっているが、小説とはなんぞ
  や?
  小説とは、散文で作成された虚構の物語として定義される。内容では、随想や批評、
  伝記、史書と対立するものであり、形式としては詩と対立するものである。なお、英
  語でのnovelはスペイン語でのnovelaや、フランス語の nouvelleと同語源であり、
  もともとラテン語で「新しい話」を意味する。
◆ 小説は次のように分類される。
  長さ・発表形式による分類
   短編小説・ショートショート・中編小説・長編小説・連載小説
  内容による分類
   私小説・恋愛小説・青春小説・冒険小説・歴史冒険小説・秘境探検小説・海洋冒険
   小説・推理小説(ミステリー、ミステリとも)・サイエンス・フィクション(SF)・
   ハードSF・スペースオペラ・サイバーパンク・スチームパンク・ファンタジー(幻
   想小説)・ライトノベル・ホラー小説(怪奇小説)・怪談・歴史小説・時代小説・伝
   奇小説・武侠小説・児童文学・童話・絵本・官能小説(劇画系,美少女系,耽美系
   などに分かれる。)・教養小説・鍵小説・企業小説・経済小説・政治小説・ゴシッ
   ク小説・スパイ小説・大河小説・心理小説・芸術家小説
◆ ついでに純文学と大衆文学の区別は
  小説は十九世紀以降純文学的傾向のものと大衆小説的傾向のものとに分類されること
  が一般的となった。それ以前の小説は、セルバンテスやラブレーがそうであるように
  芸術性と通俗性を区分することなくひとつの目標として追及することが多かったが、
  小説の読者がひろがり、技法的な発達を見せるにしたがって、交通整理が行われるよ
  うになってくる。各国の事情によって多少の差はあるが、現代文学では両者の傾向を
  分けて考え るのが一般的である。日本の場合は純文学、大衆文学と呼ばれる。

さて結論として「肥と筑」は歴史的資料を扱っているが純然たる論文ではなく、登場人物
に語らせるという散文で作成された虚構の連載物語でもあるが史書でもある。だからから
小説が伝記、史書と対立するものであるという定義があるゆえに複雑だ。それは私の書い
た「歪んだ風景-異星人」のように言葉遊びに徹すればそこに描かれている内容はぼやけ
てくるし、内容を重視すれば言葉遊びは余計なものだというジレンマは常に作者に付きま
とうわけだ。一方読者の好きなように解釈すればいいとばかりに開き直ることも出来るの
だが、「肥と筑」の作者は物語と史実のどちらに重きをおくのか、それとも両方をと意図
しているのであろうか。両立出来るものを見事になしたとき長岡氏の頭脳は一層輝きを増
すだろう。





浅野川のほとりで   2008/1/2

◆金沢は私も一度訪れたことがある。しかしここに描かれている浅野川や卯辰山などの場
 所はほとんど縁がなかった。ただ室生犀星の「性に目覚める頃」を読み、犀川のほとり
 にあるという犀星の育った不遇のころの雨宝院を探したことがある。また犀星の詩のな
 かに「青き魚」などといった青色の言葉が多いのに気がついた。そして彼が特別この色
 に惹かれた理由でもあるのか疑問に思い、私が文学を専攻していたら卒論のテーマに選
 んだかもしれないとその時思ったこともあった。
◆「浅野川のほとりで」に描かれている若い頃の忙しくも生き甲斐のある生活は、高度な
 文化と歴史を持つ地方都市の生活がいかに心に残るものであったか、作者は水を得た青
 き魚のように活き活きと描写して居られる。主人公を引き立たせる舞台はまず川がある
 こと、きれいな水が流れていること、人口が多すぎないこと。40~50万人くらいの
 都市が一番暮らしいいといわれている。私も長崎に4年ほど住んだが、高度な文化と歴
 史と人口の条件は満たしているが、残念ながら滔々と流れる清流は揃わなかった。
◆ 最後にこのような疑問を投げかけるのは良くないといつも気をつけていた。本来なら
 悪い話を先にして、最後にいい話で締めくくるべきであろうのにと悔やまれるのだが、
 もし気に障るようでしたら、もう一度前にもどって読み直しし、この文の前で閉じてい
 ただきたい。さて、

 疑問その1
  P26 上段から10行目あたりの「辞令が出た以上は赴任して頑張るしかない。くよ
  くよする性格ではないので、気持ちを切り替え新天地に望みを掛け、おおくの友人に
  見送られて梅田の駅を後にした」という心境は夫の心境と思われるので、作者が言い
  切るのはおかしいのではないか。・・・夫はそういう思いであったろうと憶測する書
  き方でなくては、作者の考えになってしまうのでは。
 疑問その2
  全体的に言い切りの形が多い。例えばP26 1行目「昭和45年3月。大阪万国博覧
  会が開かれた都市。」とか 中段の「泉鏡花・室生犀星・徳田秋声の三大文豪等の生
  地といことでその文学碑が人目を惹く。」等々
  江戸っ子の歯切れの良い言葉使いのように、判りやすい反面いささか蓮っ葉な感じを
  与え、しっとりとした情感が記述出来ないのではないだろうか。「そして」とか「そ
  れから」などの接続詞などの多用も猥雑になることもあるが、適宜に使えばいかにも
  高度な文化の中での暮らしぶりが清い水が流れるような情感をもって伝えられると思
  うのだが。






樹木との付き合い・波乱   あき もとすけ著  2008/1/5
http://2style.in/alpha/13-8.html

◆同人αの合評をしているので評論というものを知りたくて、このところ家にある新潮社
 版の小林秀雄全集十四巻を拾い読みしている。小林は部分的な表現や齟齬を指摘するの
 ではなく、全体的な印象や考え方の評論が多い。それらは本丸に突き進んで結論めいた
 業物を「さあどうだ」とばかりに広げるわけでもなく、搦め手から知らん振りしてじわ
 りと攻めてくるから、なかなか一筋縄ではいかないのである。だからよく読まないと本
 意がどこにあるか、それを見つけるまでに難儀をすること請け合いだ。私もそのうち何
 とかその神髄を会得して合評の質を高めたいと思っている。
◆大木への憧憬
 私も樹木には関心がある。特にイイギリは郷里の九州ではあまり見かけた事がなかっ
 たので、横浜から六本木の会社まで通う東横線の祐天寺駅の手前にあった赤い実をつ
 けた大木は何だろうと思ったのが最初だ。平吉の訪れた国立自然教育園にも沢山ある
 のも知っていたし、立川の昭和記念公園の入り口付近にも大木があった。イイギリは
 冬がいい、真っ白な雪の中であればもっと印象的であろう。廻りの落葉樹の葉が落ち
 てしまった中に大手を広げて仁王立ちした大木が、真っ赤な房状の赤い実をぶら下げ
 て一人自己主張をしている様は擬人的でさえある。
◆さて本文についての感想を書こう。自然のなかの木々の描写や少年の頃の田舎の思い
 出も的確に描かれていて読者を納得させるものである。また株の世界、その売買シス
 テムなど経験のない私にとっては目新しく、ああこういうものかと情況はわかった。
 しかし、次の二点で納得いかないと思った。
 1.プロットにおいては「鶴の恩返し」や「浦島太郎」が見え隠れしている。
 2.人物の性格においては大木に心を寄せる人物と投機に走る人物がどうも性格上しっく
  りしない。世の中にはそういう人もいるとことは否定しないが、この場の平吉の自然
  に対する精神的な清さと、生き馬の目も抜くような非常な世界の人間に違和感がある。
やはりこれは「○○の恩返し」というプロットを意識した設定で、らくさんが言及してい
るように別々の物語にした方がいいのではないかと思った。





楽しみ  2008/1/14

 これは作者が将来本格小説を書くために試みた習作、すなわち人物描写・スケッチとみ
た。だから私はここで評という評は書けそうにもないし、また書くほどの材料も見あたら
ないので、今はメモ的なものを書きとどめて置くことにしよう。
 この「楽しみ」の人物は、馬込村の魔女の一家のことだと私は「惚けて(とぼけて)」
認識しよう。そして先に話題になった「惚」の下記の意味付けを下敷きに解釈すると、
◆「ほれる」:ある異性がたまらなく好きになる。…に恋をする。
◆「ぼける」:知覚がにぶってぼんやりする
◆「ほうける」:夢中になって…する、とことんまで…するの意を表す。
◆「とぼける」:知っていながら、知らない、というふりをする。しらばくれる
 一家は実に「ほれる」・「ぼける」・「とぼける」ほどの破壊的な打ち込みかたもなく、
ごく庶民的な欲望というか、楽しみをお持ちで、一人を除いてそれほどほどの執着をされ
ていない。しかしよく観察するに、血は水より濃いことを図らずも証明している。それは
只一人の血族以外の先夫「弘」だけが家庭を顧みないほど、魔女以外の女に「惚れ(ほれ)」
そして「惚け(ほうけ)」たという事実だ。作者はこの真実に気付き書き分けていたのだ
ろうか。いや気付かなくても書き分けることのできる才能をこの魔女はもっているようだ。






定年後の日々について 2008/1/23

 天衣無縫というか融通無碍と言おうか、著者の豊かな発想のこの小説をじっくり読まな
ければならないのですが、いずれこの物語が大団円にいたった時に纏めて評しましょう。
と言うわけでいつものように走り回っていますので気が付いた部分の質問だけで勘弁して
ください。
◆主人公の廻りの人々が首尾良く昇天しないで今なお冥界と現世の狭間で徘徊している様
 子が書いてあるが、その人達が意図しないであの世に行ってしまったから現世への未練
 があるからなのか、冥界でも食えないで現世で稼がなければならないからか、それとも
 他に隠された重大な目的を担っているのか、いまだ謎である。
◆ 奴隷については社会制度としての奴隷と、個人的な体験としての奴隷感がごちゃ混ぜ
 になっている。前者はそこから抜け出すことは許されないがサラリーマンが奴隷である
 と思う状態は、自らの意思で自由になれる。だから、どんなに奴隷であると主張しても、
 方やその状態にうま味を享受しているかぎり、笑止千万なことである。殆どの自営業者
 が零細で、忙しく一生働かざるをえないか考えると、それもまたサラリーマンと同じ奴
 隷の状態と言えなくもない。その中で一つの救いは、従事する人がその仕事を好きであ
 るということだろう。
◆いつも著者の小説に出てくる主人公は深い悲しみや、喜び、悔しさ、憎しみと言った感
 情が書かれていないようで残念である。そのうち読者の紅涙を絞るような感動的な作品
 を期待する。以上、自ら自覚した訳でもないのに、公的呼称の高齢者の仲間にはいらさ
 れて憤慨しているさる自営業者の呟きであります。






居酒屋「清月」  2008/1/31

◆筋は特別珍しい、刺激的な、謎めいたものではなく、誰にでも何所にでもあるようなも
 のだが、テーマが最後まで一貫していて判りやすい。そして色々の人物を登場させると、
 一般に猥雑になり易く何を言いたいのか、だれがどのように係わっているのか、判じ物
 みたいな物語になるのだが、一人一人の人物の特徴や考え方まで想像できるような描き
 方はみごとである。
◆この物語を貫くテーマは、主人公が弱者に対するやさしさを十分持ちながら、勇気を持
 って救い出すという行動に移せなかったという自分の意気地無さや、欲情に負ける自分
 のいやらしさにたいして痛恨の念を抱いている。それはまた青年の頃の過ぎ去った卑し
 さと思っていたのだが、大人になった今でも「清月」での市役所の役人の醜態と自分も
 あまり変わりはしないのだという思いに苛まれるのである。この辺の描き方はすごいね。
 私も「シリーズ・歪んだ風景」で描きたいと常日頃思っている、隠れた人間の心の襞を
 見事に描き切った小説であると思った。
◆最後にブログの写真のなんとこの小説の圭一の、ハッシュや酒に溺れ、放蕩三昧の満た
 されない日々の生活が見え隠れする、そのようなすさんだ青年の姿を彷彿とさせる、名
 画の一こまのようだ。

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