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同人α編集後記集

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 4月 9日(水)17時03分44秒
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                      同人α編集後記集
                        2010年5月(23号)~2013(38号)






23号『蝶の夢』  2010/5

 今年の始めから言葉の持つ重要さに関しての問題で始終し、その認識の違いでもどかし
い思いをさせられたことである。言葉と行動は一致しなければ何人も人の信頼を勝ち得る
事はできないと私は思うのだが、そのように考えない人も結構いるらしい。
 ちょうどこの事に関して、ずっと昔「斜光」という同人誌に初めて書いたフィクション
で「三つの願い」というものを投稿したことがある。たまたま今回万理久利さんが気に入
ってくれて復刻してくれたので、言葉や約束の重さや深さについてSF風の寓話として考
えるにはちょうどいいと思い、投稿してみた次第である。
 それから同人αの同志の多数が退会していったが、今回の百ページを越える作品集にな
ったことは、残った私達の創作意欲は全く衰えることのないことを証明したわけである。
これからは決して人数の多さだけにこだわらず、少数精鋭をめざして着実に活動したいと
思う。そのうち新しい有能な新人の同志も徐々に参加されるであろうことを期待する。





24号 『夢碍无(むげん)』   2010/8

 この暑い夏、独居隻語の癖(へき)あり。
鳥は飛べるものと当然思っていたが、ふと飛べない鳥のことが気に掛かり調べてみた。す
ると飛べる、飛べないという区分けが正しくない事がわかった。本当は飛ぶことが有利に
生きれることでそれを選んだ鳥と、飛ぶことを放棄してもより有利な条件で生きられるも
のとに別れるのだ。
 飛ばない鳥の方が珍しいのでそれ等を列記すると、アフリカのダチョウ、オーストラリ
アのエミュー、ニュージーランドのモア、南極のペンギン等々。総じて天敵の脅威が少な
い地域で生きる事ができたからであろう。飛びたいかどうかは、長い年月を経て選ばれた
本人の意思次第。下世話な世界で揺蕩(たゆとう)う生き方もまたいいだろう。しかしここ
へ集う者は高く遠く宇宙の果てまで真理を求めて飛翔することを好むようである。ここに
そのことを見事にうたいあげた詩がある。
サムエル・ウルマンの詩である。

    青 春

  青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。
  薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
  たくましい意志、豊かな想像力、炎える情熱をさす。
  青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

  青春とは臆病さを退ける勇気、
  安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
  ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
  年を重ねただだけで人は老いない。
  理想を失うとき初めて老いる。

  歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
  苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

  六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、
  驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、
  人生への興味の歓喜がある。
  君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
  人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の
  霊感を受ける限り君は若い。

  霊感が絶え、精神が皮肉の勇気におおわれ、
  悲嘆の氷にとざされるとき、
  二十歳であろうと人は老いる。
  頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
  八十歳であろうと人は青春にして已む。




25号 『颯』   2010/11

 「文芸評論家の伊藤氏貴によると「商業誌」と「同人誌」の作風の違いは、 「商業誌」
は徹頭徹尾リアリズムで通すという作品は減っていて、マジックリアリズムだったり、漫
画キャラ化だったりと、日常的には理解しがたい要素がふんだんに入り込んでいる。
「同人誌」は未だに圧倒的にリアリズムであり、舞台は日常である。かつて「身辺雑記」
と揶揄された私小説作品が多く、そのなかでもとりわけ多い話題の一つは、幼少期の思い
出話である」。 と評している。
 しかし「同人誌」である「同人α」の最近の傾向は、私小説的なものももちろんあるが、
水村早苗が目指す本格小説はエミリー・ブロンテの「嵐が丘」のようなもの、すなわち全
くの「フィクション」だが、我々もそれを目指す傾向にあり、その結果その飛び具合もこ
れからの見物である。
 今回は検索を容易にするためにページヘッダー左部分にページと作品名を記した。また
各作品の最後のページの空白に同人の描いた挿絵を入れることを試みた。このように少し
でも読みやすく美しくするための冊子を目指したいと思う。




26号 『仮面』   2011/2

 古希を前に、昨年のグループ抗争や仕事の不況、視力低下などの三重苦という鬱陶(う
つとう)しい事柄をすべて払拭(ふつしよく)できたと思うから、今年は何かと展望の開け
る年にしたい。斃(くたば)る前にもう一度不死鳥のように甦(よみがえ)って見事な最後
の花を咲かせてみたい。花ならマンセル値 3RP 5/14という色の大輪の牡丹に限る。




27号 『こんとん』   2011/5

 この頃は身の回りのものが神隠しに遭うことが多く、しょっちゅうそれらを探し回って
いる自分にはうんざりする。時々PCの中のファイルや不要と思った品々を思い切って整
理することがあるが、必ず必要なものを捨てたことに後で気づいて悔やむのである。
 また何かの用で隣の部屋に行ったものの、自分が何をしに来たのかわからず呆然とたた
ずむことがある。しかもまとめてやればいっぺんに済む作業も、覚束かなくて一つずつ済
まさなければ捗がいかない。やはり私は確実に非在に向かって歩いているようで、考えて
みれば後十回くらいしか春を迎えられないということに気づいた。だからつまらぬことに
くよくよ思い悩まないで生きようと思った。




28号 『震災列島』   2011/8

 唐の詩人杜甫の詩に「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」に由来する古稀
まで、ついに私も生きた訳だ。若い頃はなぜか六十八歳でこの世に「おさらば」するもの
と心に決めていた。その数字になにか意味があったかどうかはっきりと理由付けしたわけ
ではないが、何となくそんな気がして周りの人たちに言いふらしていたことを思い出す。
将来への不安が昂じて、そのくらいでよかろうと自分で考えていたのだろうか。だから、
ここまで生き延びたことを嬉しいという感慨はないまま、その時の予想と言おうか、希望
と言おうか、それをいま二歳も越えてしまっている。
 若い頃よりいろいろの「?」という疑問符をたくさんポケットにしまい込んでいたのだ
が、この歳になってそれらの少しは解決したであろうか。宇宙の真理、生命の由来、生き
ること、自由、平等、正義、公正等々、私の中で明確な答えの見つからないまま、むしろ
その「?」は増えていくような気がする。ただそのような情況のなかで救いなのは、(棺
桶にはいるまで何も解決していないかも知れないが)自分はいまでもそれらの答えを求め
る気持ちだけは持ち続けてたいと思っていることである。




29号 『兆』   2011/11

時々に己の作品リストを見るに付け、拙(つた)ない文章であったが今まで随分たくさん書
いてきたなという感慨を覚える。
 物事を表現するということは他人の五感を通して、作者の姿なり考えなり生い立ちなり
をつぶさに観察されることを意味すると言える。だが自らその表現を望んでいるとしても、
その反面作者は気づかないうちに裸にされた己に恥ずかしさや戸惑いを覚え、誤解・嫌悪
などの負の印象を与えているかも知れないなどと恐れ、その間で鬩(せめ)ぎ合いをするの
である。
 しかし、作品のテーマに関わらず全体的に滲み出る、作者のロマン的とか現実的とか古
風だとか現代風とかいった匂い、印象は個々の作者にはあるもので、そしてそれが感じら
れない作品はワサビの効かない刺身を食べているようである。夏目漱石だって、森鴎外、
三島由紀夫、太宰治、宮沢賢治の大家はなおさらだ。私にも私なりの個性、匂いがあるの
だろうか、いつか誰かに尋ねてみたい気がする。




30号 『沈黙』   2012/1

 自己と他者などといった認識は、高等な頭脳を持たなければ成り立たないと思っていた
が、哲学的命題以前のもっと単純な生命体のなかでも行われている。それは生命の維持活
動において最も大事なシステムの一つであるらしい。
 免疫系をインターネットで検索してみると
免疫のシステムは生体内で病原体やがん細胞を認識して殺滅することにより生体を病気か
ら保護する多数の機構が集積した一大機構である。この機構はウイルスから寄生虫まで広
い範囲の病原体を感知し、作用が正しく行われるために、生体自身の健常細胞や組織と区
別しなければならない。この認識機構は、病原体は宿主にうまく感染できるように適応し
新たな進化も遂げているので、複雑である。この困難な課題を克服して生き延びるために、
病原体を認識して中和する機構が一つならず進化した。
 即ち自己の細胞と病原体とを認識して的確に排除するという機能に於いて、自己と他者
を識別しているのである。そうなると頭脳明晰で哲学的命題の解答を見つけ出す人も、そ
んなこと一度も考えたことがなく暢気に生き長らえている俗人も、おなじ恩恵に浴してい
ることであり、特別脳を鍛えなくても生きて行けそうだ。
 しかし困ったことに好奇心という奴が心の中に住み着くと、 黙狂の矢場徹吾よろしく
「無限大」、「存在」、「宇宙」、「虚體」、「自同律の不快」などといった難題の数々?
??に溺れそうな私である。そのうちつかまることのできる一片の藁が流れてきてくれる
であろうか。




31号 『遊び』   2012/5

さて、放浪の旅を終えいよいよ終の棲家(ついのすみか)に収ろうという算段ではあるが、
世の中まだまだ何が起こるか想像も付かない。私は天を指すような富士の高嶺を見る度に
ロケットの噴射台を想像する。天災列島に起こる大地震、大津波、大火災、或いは第三次
世界大戦が勃発して核戦争になって、富士山の火口をカタパルトと見なし、光子ロケット
に乗り宇宙に向かって飛び出す夢を見た。




32号 『造次顚沛』   2012/8

大都会から脱出して山に籠もった訳だが、世間から取り残されるかと思いきや、そうでは
なく肝心な物事の本質は毫も変わらないことが判った。ある程度の批判はしていたにもか
かわらず、いかにくだらない情報が毎日身の回りに飛び交い、それに影響を受けて行動し
ていたかを思い知った。テレビや新聞、週刊誌、人間関係等々。目を患って以来活字をう
まく追えなくなったいま、私はマスコミの情報を避け、むしろ五感のなかの音の世界をも
う一度日々の生活に取り戻そうと思っている。十数年前に田舎に引っ込んだとき、プリメ
インアンプ、CDプレイヤ-、スピーカーなどの高価なセットを、田舎の甥に譲ったまま
上京してきので、オ―ディオのセットの購入を今目論んでいるところだ。求めるべきか否
か、兎に角カタログを眺めているる時が一番楽しいような気持ちになっている。ないよ。)




33号 『無常』   2012/11

 α32号の出版のとき、神野氏より古東哲明著の「ハイデガー=存在神秘の哲学」という
本をもらったので、難解な理論を毎日数ページづつ辛抱して読んだ。古東氏の本で、これ
もまた神野氏からもらった本だが、「あることの不思議」という本はハイデガーの解説書
として初めて読んだためか、より一層難解に感じたものだ。その点後で読んだものは下地
ができているので理解しやすく感じられる。何せ世界内存在、きづかい、非本来的自己、
刻一刻性、ゲシュテルなどの哲学用語は一度解説書を読まない限り、いつまでも理解出来
ない判じ物の看板のようである。
 最近これらの本を読んでいるとニーチェの「ニヒリズム」、ハイデガーの「存在の奇妙
さ、希有さ、不思議さ」、サルトルの「存在と無」などの思想が繋がっていることを感じ
た。
 しかしこんなことに一所懸命考えても、一向に貧乏神は我が家を出て行く気配がない。
困ったものだ。




34号 『息吹』   2013/2
 つらつら自分の作品の傾向を考えて見るに、街や場所、その時代の出来事、特定の人物
像などにおいて、具体的な情景や名称を意図的に描かない物語が多いことに気づく。
「三つの願い」にいたってはバ―ド・ブレイン、グレイ・ブレイン、エヴァ・マリ―・ゼノン
などといった、国籍不明の名前を使ったりしているのは、なんらかの無意識の願望が働く
のだろう。
 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のジョバンニ、カムパネルラ、「グスコ―ブドリの伝記」
のグスコ―ブドリ、「ポラ―ノの広場」キュ―ストなどを意図的に参考にしたわけではな
いが、どうも私が現実的(リアリズム)描写を厭うのは、世間的な既定の印象を与えるな
どの現実に限定された解釈を避けたいという気持ちが強いのだろう。
 これは「鐵橋」に描かれているように、何物にも囚われたくないという少年の頃の私の
性癖がなせる業なのかも知れないし、今現在生きている場所や時代を超えた異国・異界へ
の憧れなのだろう。




35号 『ラビリンス(迷宮)』   2013/5

 先日、梁山泊の仲間の一人が亡くなった。写真の十二人のうち四人が鬼籍に入ったこと
になる。美人薄命、憎まれっ子世に憚るなどという言葉を聞くと、長生きもいい加減にし
なくてはと思うこともある。セピア色の写真に写った前途洋々の少年少女の時代が懐かし
く郷愁も覚えるが、何も嘆くことはない。短命であろうと長生きであろうと皆、自分の人
生を一所懸命生きて来たのだから。しかし幼なじみが一人二人といなくなるのは少々堪え
るなあ。

          




36号 『言葉』   2013/8

 この頃は縦書きの編集、奇数ページ左上のヘッダー設定などに馴れて、手間を取らない
ようになった。また校正においては、長岡さんと万理さん、神野さんの三人で原稿を校正、
その後ゲラ刷原稿を私がつくり、最後にもう一度三人に最終チェックをしてもらう。これ
で完璧。印刷においては、回を重ねる毎に速度の問題も工夫をしたお陰で随分早くなり、
ミスも減った。付属品類においては、コピー用紙、製本テープ、印刷インクなどもネット
ショップで安く購入できるし、特にインクはコピー機メーカーの純正ではなく、リサイク
ル品を使うと純正の半額で求められるから、随分経済的になり助かる。
 そして義理で買わされる人、あるいは真面目に読まない人には無理に買って貰わない
ようにしているので、その結果発行部数や購読者あるいは同人の数も増えず、地味な活動
になっている。まあ敢えて増やす必要もないし、少数精鋭で充実していれば自ずといい作
品の冊子になると確信している。
 それにしても年四回、三カ月に一度、作品を作り冊子を発行するという行為を、足かけ
十年もよく続けたものだと我ながら感心することである。




37号 『古典』   2013/11
 この山荘に移り住んで既に一年半になる。引っ越して来る前に、地元の人達から「ここ
は冬になると零下二十度になるぞ」とばかりにさんざん脅されてきたが、一回冬を過ごし
てみると低い温度であるにも拘わらず、本郷の冬の寒さとさして違わないように思えた。
これも馴れたせいかなのかも知れない。
 そして大工さん、電気屋さん、設備屋さん、植木屋さん、本の編集者、設計者など付き
合いが少しずつ増えてきて、それなりに交流が始まってきた。しかもそれらの人達が折に
触れて椚・楢・アカシヤ・杉・唐松・白樺などの薪材や家の解体材など、薪ストーブ用の
木材をたくさん持って来てくれる。これで厳寒の冬は凍えることなく部屋を暖かくして過
ごせるぞ、という安心感はまことに得がたいものである。ストーブの炎を見ながらうとう
ととうたた寝することは、スヌーピーの問う「幸せとはなにか」の答えの一つなのかも知
れないと思ったりしている。




38号 『心情風景』   2013/11

 山の中での暮らしは退屈で仕方ないだろうと思われるかも知れない。ここに来るまでは
交通量の多さ、様々な機器類から発生する低騒音、ビルの林立で空が小さい、人の多さ等
々、私が大都会の真ん中で忙しい暮らしをしていたことを知っていた人には、そう思われ
ているかも知れない。
 しかしこの山の中に住んでよく観察してみると、様々な不思議がいっぱいそこら中に転
がっている。
 雪の積もった朝の散歩では、数種類の野生動物の足跡を見つけて、その一つ一つに動物
の姿を当てはめて推理するのも又楽しい。この前は杉の木によっての葉の形が違うのを見
つけた。「オモテスギ」と「ウラスギ」である。「オモテスギ」は 太平洋側の雪が降らな
い地方に生えている。「ウラズギ」は北陸や東北と言った日本海側の豪雪地帯に生える。
一口で言えば雪害に強いのが「ウラスギ」、雪害に弱いのが「オモテスギ」ということに
なる。
 そのように自然の不思議な生態を見つけては楽しむのだから、全く退屈な時間などあり
はしないと私は思っている。皆さん、猫には人間のような突き出た頤(おとがい)がないの
に気づいていましたか?

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