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著者前書き集/讃集

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月22日(土)06時23分25秒
  通報 編集済
  .

             著者前書き集/讃集
2007/13号-2009/21号




      氏は「落書き帳」に始まり、万華鏡、言の輪、ニューロン・カフェ等、幾つ
      もの掲示板やブログを作ってきた。そういう人に限って、仲間の資料はきち
      んと保管するが、自分のものは少々スボラになるらしい。
      「掲示板は俺がつくった」とも決して言わないところを見るとあまり所有に
      拘らないようだ。それと同じく自分のコメントや写真にについてもつい扱い
      が雑になってしまうのかもしれない。
      というわけで、苦心の末、やっと13号以降の物を何とか揃えてみた。





『シリーズ・歪んだ風景-異星人』 13号

        

「なぜか時間がなくなった」 2007/11/27

 数年前までは都心から随分離れた狭山まで毎月2回市民講座のエッチング教室に通い作
品も多少造る心の余裕があったのに、仕事の量は今も昔も変わらないのだが、なぜか分か
らないまま気持ちがせわしくなって些事に追われる今日この頃であり、自分は人のペース
に惑わされない職業を選んだはずなのに、30数年の間そのリズムでやって来たのにと思
いつつもいつの間にか世間の風の中で漂わされて、机の前に座っても考えることや趣味の
ことをするのが億劫で、仕事をしている方が楽に思えてついつい頭を使わない方へ傾いて
ゆくのであるが、私が望む仕事の進め方はどんなに多くの量の作業でも、在る一定の長い
単位の時間の中ではストレスはたまらないように、時間を自分で自由に差配し遊ぶときは
遊び仕事をハードにするときはするということだが、人間貧すれば鈍するで心の余裕がな
いときは頭を使う気持ちにはなれないのは、シモーヌ・ベイユではないけれど、耐えられ
ぬ程の肉体的にきつい労働も一種の慣れという安定に陥って、いわゆる「思考怠惰」が起
きると言っているようにならないために、人間は最低限の思考できる程度の金銭の保障と
適当な量の労働が必要と思うゆえ、いま多忙を我慢するかという樂と苦のジレンマに陥っ
ている今日この頃である。(金井美恵子の「水の色」の1ページに渡っての句点、行変えな
しの文をまねて)

 写真は狭山市の市民展出品のエッチング作品の前で





『シリーズ・歪んだ風景-沈みゆく家 第二回』 15号 (号数不明)

        

2008/5/20
コメント無し

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『シリーズ・歪んだ風景-沈みゆく家 第三回』 16号

        

「ブログの写真はどこですか。古賀さんの写真は隅っこで,風景写真がドーンと大きい
のは,なんか意味があるのですか。どっかに古賀さんが写ってはるのですか」という浪速
びとさんのご質問の答えて・・・。
 最近写真を撮っていないこと。思えば歳をとるとそういう機会が少なくなったせいか
写真がすくない。いざブログに載せようとしても随分前のばかりで、しかも気に入ったも
のがない。身近な人の葬儀に行くといい遺影が飾られているのに感心して、もうそろそろ
この世とおさらばするときのために、最近滅多に着なくなった背広とネクタイしめてきめ
た写真でも用意しなければならないと漠然と思いながら、そうかといってなかなか実現は
しない。
 熊野詣での写真をと考えたが、出発の日から合評が始まるのだから、それでは遅いと
慌てて見繕うのだがなかなかない。それではと昨年の春イタリアに旅行して一番見たかっ
たフォロ・ロマーノを訪れたとき撮した写真と、それに心を馳せて想像している山荘での
写真をフォトショップで合成して面白い物を創ろうとしたが時間と能力不足で、訳の分か
らないものになってしまった。
 イタリアの都市々の贅を尽くした壮大な教会をみると、その民衆からの搾取ではない
かという思いがあった。大きな指輪や煌びやかなローマ法王の様子を見ていると、神の前
では何人も自由で平等であるという宗教の本質と違うところで活動が行われているものに
見えるのは私の僻みであろうか。
 写真はフォロ・ロマーノ(ローマ時代の政治の中心広場)を撮した写真である。まさ
にシーザやブルータスや元老員達が二千年前に活躍した場所である。最近読んだ「ヨーロ
ッパ思想入門」によれば、近代の国家の基本理念がこの時代にすでに出来上がっていた。
民主主義、法治国家、下水道・上水道・道路などの都市の整備等々。専制君主の気まぐれ
の政治ではなく法を基本とした民主主義と共和制の国だったから周辺の異民族も受け入れ
世界に冠たる国家を作ることが出来たのではないか。
 しかしこのフォロ・ロマーノに思いを馳せるツアーのクルーは少なかったように思え
る。なぜなら行程には含まれていなかったからで、殆どが寺院回りで走り回った感があっ
た。今度はキィーツやテニスンやジェームス・ジョイスやバージニア・ウルフなどのイギ
リスの詩人や小説家の舞台を訪れてみたいと思っている。

古賀和彦氏讃
古賀節が生まれつつある。
 人生を俗の世ばかりでなく森羅万象とくに宇宙や地球という天体の中に置き、有限無限
や無の哲理を援用して説く。 big words を用いながらその説くところ生硬に陥らず、万物
の揺らぎの中にたおやかに在り続けるの趣あるは、氏が研鑽を積みその森羅万象をよく感
得していることの証と思われる。それらコントラストの効いた文辞を読むほどにその調べ
のよさ香りのよさに酔い痴れたのは私ばかりであろうか。古賀節はこの後ますます練りこ
なれますます芳醇馥郁となっていくものと思われる。氏よ、病をてなずけ、業を等閑にし、
ますます宏才博覧に努められよ。                北 勲
2008/10/29





『シリーズ・歪んだ風景-沈みゆく家 第四回』 17号

        

コメントお待ちしてます

2009/2/26





『シリーズ・歪んだ風景?沈みゆく 家-第五回』 18号

        

皆さんのように若かりし頃の凛々しい写真をと思ってはいたが、なにせ引っ越し魔の小生
であるから、そのような写真は散逸して頓んと見あたらない。これは同人 αの立ち上げ
の頃と思われる5年前の、牟田さんの教え子であった宮崎大治郎氏の個展を表敬訪問した
ときの写真である。京橋の奥まった路地のビルの画廊で撮ったものだが、本来なら彼の絵
を中心に撮すべきところ、被写体となっている二人は名うての「我が道を行く」戦士であ
るともっぱらの噂、さもありなんと折りにつけ自分自身を振り返ることがある。
2008/11/21





『シリーズ・歪んだ風景-沈みゆく家 第六回』 19号

        

作家池田あきこの描く、猫のダヤンを主人公にした「わちふぃーるど」で織りなす不思
議な世界を展示した、河口湖木ノ花美術館の建物の前で撮った写真である。皆さんと張り
合おうとばかりに、はつらつとした若かりし頃の凛々しい写真をと探したが、どこへ隠れ
ているのか頓と見あたらない。鼻髭、顎髭、頬髭で己の本性を隠していた頃もありました。
それが一枚も残っていないとは、もしや余りにもむさ苦しいので誰かが処分したのではな
いか。
随分前に三歳の頃の息子と電車に乗っていたら、前に座っている二人のうら若き女性か
ら、クスリと笑われた事がある。よほど私のカイゼル髭風が妙だったのか、息子と私がう
り二つだったためか、どっちだったのだろう。
大体髭には二つの意味を込めて男は伸ばすようだと私は断じる。一つは体制側の権威を
誇示するため。もう一つは体制側ではないことをひけらかすためため。私は30代初めか
らドロップアウトしたので、やはり後者だったと思う。今髭をのばしたら真っ白に違いな
い。だからうらぶれた人生の落伍者風の無精髭に違いない。願わくばショーン・コネリー
のような素敵な髭面を夢見るのだが・・・。
2009/7/30





『沈み行く家-最終回』 20号

        

先の浪速びとさんのスピード感とバランスの良さをとらえた写真を見て、羨望の眼差し
を向けたばかりである。一方私は体を動かす事が余り好きではない。病気になって医者か
ら運動を奨励されて来たが、それでも多少数値がよくなると、なるべく忙しいだの時間が
ないだのと言い訳を作っては、サボタージュしているのである。何故そうなのか、ここで
私は私なりに運動嫌いの勝手な理屈を告白する必要があるだろう。

もともと生き物はよほどの必要に迫られない限り、なるべく静かに暮らした方が理にかな
っている、と勝手に思っているのである。原始時代は食糧確保に苦労をしただろうが、一
度大きな獲物にありつくと、それを食い尽くすまで寝て暮らしたに違いない。それが自然
な人間の姿ではなかったろうか。
ましてや健康の為には運動が必要だという風評を信じて、過酷なまでに肉体を虐める根性
は特に嫌いである。また「健全な肉体に狂気は宿る」を見せつけられると、「健全な精神
は健全な肉体に宿る」というのもちといかがわしい。プロの運動選手の七十歳前後で壊れ
てゆく姿を見ていると、読者はかなりこの運動不要論になるほどど賛同されるであろう。

また、自然の中に立つあの見事な大木を見よ、樹木は条件さえよければ寒かろうが熱かろ
うがじっと同じ場所で数百年も生きているではないか。人間は何を求めて走り回っている
のか、必要以上の欲望に支配されているのではないか。いままで感心のなかったおばちゃ
んおじちゃん達が、ある日突然目覚めて走り回るのを見ると、多くの大衆はアルコールや
パチンコ依存症のように、依存する対象を探し回っているという、精神が壊れ始めている
のではないか。
とまあ、自分の怠けの理屈をこね回したのでありますが、ポケットパークを根城にして一
日13時間は寝ているいて仕事をしない野良猫が、私の理想であります。





『鈍色の空-その1』 21号

        

 最近とみに人相が悪くなった。心情もまた悪くなったのか、それとも品性をよく見られ
ようと思う気持ちが無くなったのかどうかわからない。サングラスや帽子などの必要なも

のを臆面もなく身につけようになると、昔のような気取り屋というイメージからだんだん
遠くなって行くようだ。

 このシーン(敢えてシーンと言いたい)はいつもの週末、銀座探訪のおり歩行者天国に
なった車道に置かれた椅子と日傘の前で写ったものである。何十年も前、大映映画の多摩
川撮影所でスタジオを設計監理していた頃、キャットウオークからいろいろの場面の撮影
を見ていたことがある。そのためかこの写真を見て自分ではなんだか監督になってハード
ボイルドの映画でも撮影しているような気分になった。

 髪の毛も若い頃のような太くて硬くて真っ黒ではなく、細くてまばらで銀髪になってし
まい、「鈍色(にびいろ)の空」のような、まだ人生の複雑さのなかで戸惑っている若者
からはほど遠くなってしまった。だから今では「ちょい悪親父」のように世間を斜に構え
ている「食えない人間」になってしまったように見えるのかも知れない。

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