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イタリア旅行記

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 2月21日(金)10時23分20秒
  通報 編集済
  .

                    イタリア旅行記




イタリア旅行決定
2007/3/4
■ 日時:4月30日~5月7日(8日間の旅)
■ 場所:ミラノ・フィレンチェ・ベネチアその他
■ 費用:33万円/1人
■ 旅行社:H.I.S(プランタン百貨店地下2階)


「海外用携帯電話」 2007/3/9
海外用携帯電話の使用はドコモでレンタルがある。105円/1日 但しドコモの携帯電話の契約が必要。
au解約には予約番号を貰う。解約金?円、転出料2,000円。ドコモ:3,240円/月


「パスポート申請」 2007/3/7
有楽町交通会館にてパスポート10年用を申請。1週間後受け取り。
旅行に必要なものの調査とリスト
☆ デジタルカメラの容量を調査。512MBのSDで何枚撮れるか?
  エコノミー:612コマ撮影可能
☆ シエーバー・デジタルカメラの充電の方法、イタリアの電圧の調査
  ヨーロッパの電圧:220V  充電器:ニコン製品 PW-EH30E 1,000円


「所得税支払い」 2007/3/12
確定申告完了。所得税約17万円納める。沖村税理士に報酬約8万円支払う。
このあと事業税、市民税と続く。重税感に喘ぐ心境だ。

フロイト全集4及び戦後短編小説再発見4を購入。
今度のフロイトは夢解釈Ⅰで面白そう。前2巻も早く読破しなければ。

さて今度のイタリア旅行は質素倹約で行こう。携帯電話もなし。翻訳機もなし。
翻訳機は日本語の翻訳はするが、相手の外国語は翻訳しないから半分の機能しかないことが判った。こちらが聞くいっぽうでは役立ちはしない。


「イタリア旅行の準備」 2007/3/31
■ 銀座数寄屋橋阪急のエディー・バウワーにてジーンズと薄手の長袖シャツを購入。
■ 帰りに湯島聖堂を散策。お茶の水駅・聖橋・神田川沿いの土手に一本の見事に咲いた桜の木があった。密集する桜もいいが、常緑の林や山のなかの一本の桜もまたいい。私の住んでいる本郷あたりは意外と桜の木を見ない。東大の校内や上野の方まであえて出掛けなければ桜の並木を見られないのか。今年も思い立たなければ見逃しそうな気がする。
              

「イタリア旅行-1日目」
参加コース名:行こう!観よう!楽しもう!イタリア紀行 8日間(Aグループ)
Veni, Vidi, Vici. (来た、見た、勝った)のもじりか?
添乗員:安井
航空会社:FINNAIR(フィンランド航空)
hotel:ミラノ Hotel Cristallo (3つ星)     Via Scarlatti 22.2014 MILANO tel.02/29.517.555
               

● 午前5時半起床、荷物をゴロゴロ引いて京成上野駅まで歩いて行く。約15分。
成田れたことがあるが、その後ようすが変わっていて当時の記憶と違うようだ。荷物の受け付け及び搭乗券受け取りに約一時間かかり、添乗員である安井さんに飛行機の燃料代一人25,400円を払い辛うじてグループに合流、及び出国手続きに間に合う。しかしあのセキュリティ-のチェックの長蛇の列はどうにかならないか、中には乗り遅れる人もいるのではないかと思われ、空港の処理機能を強化すべきだと思った。

● 滑走路についても、前に飛び立つ飛行機が混んでいて11:00出発のところ12:00と一時間も待たされた。ヘルシンキまで9時間という、ちと長すぎる。この鉄の箱が空を飛ぶはずはないと信じている人がいるというが、私にも本当に飛んでいるとい確信が持てない。

● 機内は金髪の背の高い白人が多く、また幼児を連れた人も多い。エコノミー症候群にならないため機内を歩き回る人もいる。食事は1:00と4:00頃の2 回出た。量も味も以前ヨーロッパやアメリカに旅した時よりも劣るようだ。黒パンの堅くて不味いのには驚いた。北欧の食に対する考え方の違いかも知れない。日本のように味覚にたいする異常な執着はなく、生きるためにはそれなりの栄養を摂取することが主体と思われる。

● ロシア上空にて北極圏とみられる地域はいまだ氷と雪に閉ざされた延々と続く不毛の白の世界である。ヘルシンキへと南に航路をとると、緯度が下がるにつれ海が見えた。その中に雲なのか島なのか同じような形をした真っ白なものが見えた。「し」とか「り」を草書の文字で一筆書きような形で、よく見ると細部は入れ子構造のフラクタルな法則のもとに発生したもののようだった。

● 同じくフィンランド航空でヘルシンキからミラノへ二時間半。途中のポーランドと思われる田園地帯の黄色い畑の幾何学的な模様が、人間の生活している場所を現しているようで北極件の様とは対照的であった。あれは麦畑であろうか?ともかくヨーロッパは高い山が無く平地が多いので、農業國という印象であった。飛行機の進行右手に常に蛇行しながら流れる大河は最初はライン川かと想ったが違うみたい。後で調べてみよう。

● イタリアに入る前にアルプスの山々が見えるだろうと期待していたのだが残念ながら雲にわれて見ることが出来なかった。ミラノは曇りでどんよりしていた。ヘルシンキもそうだがミラノの市街の住宅は屋根の色や土地の区画も整然と統一されていて美しかったが、大きさはは日本とあまり違いがないようだった。
高速道路沿いにはアカシア(正式にはニセアカシア)が白い花を咲かせていた。

● 都市の中心には100年以上も経つと想われる欅やスズカケの大木が多い。しかし灌木のようなものは無い。都市の文化的雰囲気は年月を経た木の景観によるところが大きいような気がする。それからミラノだけそうなのか、季節の違いなのかは判らないが想像していたより、街全体がくすんでいて色彩に乏しいと感じた。ゲーテのミニヨンの歌「君よ知るや南の国」のような光輝く太陽の国というイメージはなかった。

● ミラノ中央駅のあたりの治安の悪さは添乗員からスリ、置き引きに注意と言われるまでもなく、黒人や東欧人のたむろしているのを見るだけで判った。夜はできるだけ出歩かないようにということである。ホテルの窓から下の通りを見ても10時、11時ころまで大声をだして4,5人たむろしていた。ホテルの部屋は 8畳くらいの広さではあるが、家具や丁度品はお粗末でこれで星3つのホテルなのか。清潔さや器具の機能、室内の仕上げなど全てにおいて大雑把で繊細さに欠け日本に劣ると感じた。

● 明日の工程:
  モーニングコール:7:30  食事:8:00地下にて(このとき荷物をロビーへ)
  部屋番号:305号室(建物の階数は日本の1階がヨーロッパでは0階)
  日本への電話:0081-局番の最初を取った後の番号 例:0081-3-3812-4002



「イタリア旅行-2日目」
hotel:ベニス Hotel ALEXANDER(4つ星)  Via Forte Marghera 193/C
● ミラノ:5時起床 モーニングコール:7:30
  食事:8:00(コンチネンタルスタイル パン、牛乳、レモンジュース。コーヒー)
  出発:9:00
● 今日の行程:ミラノ→ベローナ→ベネチアの近くのホテル
ミラノの都市は地図の好きな私でも1日ではどこに何があるのか、どの方向へ行けばいのか頭に中に描けなかった。兎に角最初はスフォルツェスコ城を見学。日本から持ってきた
カメラの充電器のコンセントが合わないのでデジタルカメラが使用できなかった。城内の売店でインスタントカメラ(フジフィルム製 24枚撮り)を求める。スリらしい集団に合う。接触したら見事にパスポートや財布などの大事な物を取られるとか。ずっと以前にパリで盛んにジプシーの集団の標的になったことを思い出した。ただ日本の韓国系のスリ集団と違って、刃物を使った強引さはないとか。また今回も一度そのような体験を望んでいたが、そう言うスリルはなかった。

● スカラ座、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア、ドゥオモなど歩く。次回はスカラ座でオペラを鑑賞したい。高級ブテックのあるガッレリアの買い物には興味がない。ただここにも韓国系と思われる中年の女性が多数、おもちゃを路上で売っていた。どうもそのような露天商の人種によるそれぞれのシンジケートが有るように思えた。これはヴェローナやヴェネチアやローマにおいても、扱う商品によって人種の違いが見られた。

● バスで約2時間走りヴェローナの街にはいる。ローマが支配したガリヤへの街道の街だったそうだ。S字に流れるアディシェ川を中心に出来た街で、美しくコンパクトな街だ。神曲を書いたダンテの墓や、ロミオとジュリエットの物語の舞台となった街で、もう一度ゆっくり訪れたいと思った。

● 高速道路を約1時間半。ヴェネチアの本土側のホテルに到着。途中なだらかな丘陵地帯、ブドウ畑が続く。農作業している人を全然見ない。矩形の単純な家、スペイン瓦とベージュ色の外壁が自然と解け合っていて好感がもてる。それにごちゃごちゃした物(物干しや自転車等の生活物資)が敷地のどこにも見えない。それに反し日本の建物の複雑さはどうだ。1階と2階の大きさが違うため構造上問題が多いし、屋根は複雑、色もまちまち、下手をすると一つの建物の中に4,5数種類もの色を使っている。煩雑で洗練されてなく見苦しい。クライアントのなかには敢えてそうすることが自慢になっているケースもある。

● 泊まったところはラグーナが多いためか、夜中蚊に悩まされた。部屋に一匹、洗面所に一匹。



「イタリア旅行-3日目」
hotel:ベニス Hotel ALEXANDER(4つ星)Via Forte Marghera 193/C

● ALEXANDER:5時起床 モーニングコール:7:30
  食事:8:00(コンチネンタルスタイル パン、牛乳、レモンジュース。コーヒー)
  出発:9:00 ベェネチア見学

● 今日の行程:ヴェニス約4時間→インチーサ泊

● 出発する前にホテルの廻りを散策する。郊外の住宅地で車やバイクなど道路に駐車してある。バラやその他の花が咲いているが、種類は日本の家庭より少ないようだ。バスでチェックポイントまで行く。

● このイタリアの観光の制度は、バスツアーから市内に入るための料金を納めさせる一種の通交税みたいなもので、観光によって成り立つ都市の糧となるものである。しかし、突然別の場所にも設置したり、いいなり放題だと日本人の添乗員は嘆いていた。それにもう一つその都市の資格を持ったガイドを乗せないと罰せられるという制度があり、いくら日本からの添乗員が知識も能力があっても、市内の観光の説明はいっさい出来ないこと。しかし、乗ってくる現地のガイドは何の仕事もしないでいることが多く、その国のためには観光客からせしめることをおもに考えているふしがある。

● そのチェック・ポイントから30人ほど乗れるモーターボートでベェネチア本島のサンマルコ広場までいく。どんよりとした天気である。ガイドによればイタリアの天気は変わりやすいらしい。晴れたかと思うと雨が降ってきた。海は白く濁り、多少匂いもする。下水・雑排水をそのまま放流しているのだろう。これがあの澄み切ったアドレア海につながっているとは思えない。もし透明な海に囲まれていたら完璧な美しい都市となるだろうにと考える。

● 上陸したらすぐにゴンドラでラグーナを30分ばかり遊覧した。いたるところで石の家が沈んで入っている様で、かさ上げする工事が行われていた。年に数度高潮に襲われ広場から数十センチ水を被るそうである。後数十年後はこの都市も住めなくなるかも知れまい。
そんな時、橋の上から「ちょっとまってください」という声と同時にカメラを我々のゴンドラに向けられた。4人のクルーとも思わずポーズを取ったが、あれは後で映った人に写真を売りつけにくるぞ、と話題になった。

● イタリアで゙は何事も好意で何かをして貰うことはありえない。必ず代価を払わせられるということを肝に銘じる体験をすることとなった。案の定昼食のレストランに現れて1枚千円でその写真を売りに来た。半分一杯食わされたと思いながらも「旅情」の気分を味わう記念にいいかと購入した次第である。ここでイタリアの悪口ばかりでなく、少し擁護しておこう。スリや置き引きなどの犯罪はともかく路上の物売りやチップかせぎのサービスや写真屋などの輩は、客に買い取れと強請はしないのでしつこく言い寄ることはしない。あくまでも客の判断であるところがいい。チップもあまり真剣に考えなくてもいいようで、あくまでも客のサービスにたいする判断のかげんによる。

● ガラス店ではベネッシャングラスを2脚買った。約3万円。安いか高いかは細君の判断に任せて、ヒ-゙ルやワインを飲むために、それとこの旅行の唯一の高価な記念として購入した。

● 添乗員は飛行機の中でイタリアでは「水」と「トイレ」はどこででも求められる訳ではないから、機会がある度に解決しておくようにとくれぐれも注意された。なるほど公衆便所はなく、常に25セント必要な場所ばかりである。水は2ユーロ。これはチャーターしたバスの運転手が積み込んで用意した水を売ってくれた。

● ベネチアを離れインチーサへ向かう高速道路の景色は、畑の区分を示すのか規則的に並ぶ細くて天を突く槍のような糸杉が目立つ。日本にはない景色である。植生や鳥や虫の種類は多くなく、見慣れるとちょっとその単調さが退屈である。それに反し日本の自然は山や谷・川・海と変化に富んでいる。

● 今日はフィレンチェを通り越したインチーサという所に泊まる。
日記用のホテルのレターペーパーをフロントに求めたが無いとのことだった。イタリアの並のホテルは備え付けてないみたいだ。また洗面器の水をためるためのゴム栓がどのホテルも満足に機能しなかった。どうもその辺の修理や管理に対して大まか過ぎるのではないか。日本人が細かすぎるのだろうか。お客さんのためと必死に尽くす、あるいは評判を気にする日本と違って、何事もありのままを受け入れことを要求するイタリア式考え方が多くみられた。



「イタリア旅行-4日目」
hotel:インチーサ Hotel i Ciliegi(4つ星) P.zza G.Amendola.4-REGGELLO(Firenze)
               

● am7:00朝食 8:00フィレンッチェへ出発。約20~30分
イタリアの高速道路はあんなに車がたくさん走っているの都市に入る入り口では全く渋滞しないのは不思議だ。例のチェックポイントで冥加金を払いザッカというアルノ川沿いの公園の橋を左に渡り、高台のミケランジェロ広場へ行く。ここからはフィレンチェの街が一望出来るので、都市の範囲を理解するには絶好の場所である。廻りを緑の山に囲まれ、赤煉瓦色の屋根瓦で統一された美しい盆地の街である。

● ザッカにもどりバスを下りてアルノ川沿いに歩いてウィツイ美術館へ。長蛇の列。膨大な絵画が展示されている。ボッテチェリの「ビナス誕生」「春」、ダビンチ、ラファエロ等の絵をかいつまんで見る。全部見るには2・3日掛かるだろう。フィレンチェの街は1週間滞在が必要だ。

● ヴェッキオ宮殿、シニョーリア広場、サンタ・マリア・デル・フォーレ大聖堂など散策する。思ったより皆近い。ここでフリータイム解散。12:00 昼食を取るため路地裏を歩く。マリーノ・マリーニ美術館近くの路地に迷い込んだらしい。La Spadaというレストランに入る。帰国して改めて地図をみると結構名のあるレストランだったということが判明した。フルコース55.80ユーロ。パスタは大皿に3種類盛り合わせ、堅い味なしの肉は4人分くらいの大盛りに、クウオーターの赤葡萄酒をちびちび飲みながら2時間掛けて挑戦したがさすが私達もそのボリュームに降参した。他のあらゆる面では日本人も負けないが、体力、食欲においてはイタリア人には及ばないと思った。中年のウエートレスも感じよかったし、サラリーマン風の人達が昼食に来るところを見るとなかなか庶民的でいいレストランに違いない。

● ホテル専用のレターペーパーが置いてないホテルが多いので、今日は是非とも文具店を見つけ便箋を買いたいと思った。それからデジタルカメラの充電器のイタリア用のアジャスター(日本のは2口、イタリアのは3口)を持ってこなかったのでそれもどこか電気店を見つけて求めなければならない。食事を終わって近くの紳士服を売る店で日本には無いような色のネクタイを買った後、それらの店を訪ねたら近所に有るらしい。無事2つとも購入することが出来た。便箋はイニシャルのKという文字の入ったものを買った。

● まだゼッカのでの帰りのバスの集合まで6時間ほどあったので、ポンチオ・ベッキ オ橋を渡って、パラティーナ美術館へ行く。アプローチの広さと急な傾斜に疲れた。何のことはない絵画を見るチケットと庭園散策のチケットの区別が判らず、絵の方は見れなかった。この庭園もまた小高い山になっていてほとほと体力のなさを自覚した。

● ベッキオ橋の手前の商店街をぶらぶら歩くうちに路地の置くのパティオみたいな場所にあるテラス喫茶があった。物腰の柔らかい洒落た老人のギャルソンが応対してくれた。コーヒと紅茶を頼んだら、黙ってウインクしながらパイを一皿おまけしてくれた。外国に居るという気分と妙に身近な庶民の生活感の調和した実に心安らぐ魅惑的な時間をであった。

● バスに戻ってきたクルーによると行く店のサービスがことごとく悪かったと言っていたが、私達が接したレストランのウエイトレスもレター屋のすらりとした教養のありそうな女店主も電気屋の店員も白髪の老ウエイターも皆親切であった。



「イタリア旅行-5日目」
hotel:ローマ Hotel GALLIA(4つ星) 00185 ROMA Via di S.Maria Maggirore,143
               

● 今日の行程:インチーサ(3時間)→アッシジ(3時間)→ローマ

● 土砂降りの雨。中世の古都アッシジへ。サンフランチェスコ教会を見学。荘厳な教会で中では声を出してはいけない。12時近くのレストランで昼食。クオーターの赤ワインを飲みながら食事。さすがイタリアのワインは上手い。

● 雨のち曇のち晴れ、とにかく天候が変わりやすい。イタリア人の性格もかくやと思われる。

● ローマへ向かう高速道路から見るオリーブ畑と糸杉と、南に下がるにつれて赤松が混じる。
それにしても農作業をしている人を全く見ない。家々も人や犬や猫が棲んでいる気配もない。夕暮れ時にも電灯がついている家を見なかった。

● 郊外にあるチェック・ポイントに寄って金を払ったらいよいよ念願の2千年のローマの街だ。サン・ピエトロ寺院はとてつもなく大きな建物だ。私にはあの荒々しい石の建物には圧倒されてなじめないと思った。それと恵まれない、貧しい人々を救うべき宗教があのような絢爛豪華で富を蓄積していることに違和感を覚えた。なんであれ組織は真の目的を忘れて組織を守るために肥大化していくのだろう。このへんのところは私達無神論者の考えとは違うだろうから、実際の信者の方の意見が聞きたい。

● もう一つの疑問はキリスト教は偶像崇拝を禁止しているというが、各教会は聖マルコとか聖フランチェスカとか聖ピエトロとかの聖人の名で設立されているのはなぜか。キリストが神では無かったか。どうもギリシャ時代の多神教・神々達への信仰と合体したに違いない。これは唯一神アッラーを信ずる回教徒とは全く違う。

● 日本では野球帽や鳥打ち帽やニットの帽子を被る若者が結構いるが、こちらでは帽子を被る人達をほとんど見ない。なぜなのかわからない。私は河野多恵子の小説「後日の 話」のなかに出てくる帽子屋の話などで、イタリアに来たらきっと皆中年は帽子を愛用しているだろうと思って、自分も帽子屋を探して気に入った物を買って帰ろうと楽しみにしていた。しかし思いこみが外れてしまったらサッサとその気も失せてしまった。
幻想を抱くとはそういうことで実に根も端も無いこと憧れを育てることかも知れない。

● ホテル・ガリアはテルミニ駅から5分の位置にあり、今までのホテルでは一番洗練されていて、また清潔である。しかし4つ星といえど、日本のような大ホテルではなく、通りからのみる玄関はつい見過ごしそうな質素な物である。

● 路上おみやげ売りの考察。
  1.針金をまげて自転車やおもちゃなどを作る。
  2.にせブランドの鞄などを白いシーツを広げて売る。→黒人
  3.にせブランドのスカーフをウデにいっぱい掛けて歩き回り売・る。→東洋人の女性(韓国?)
  4.ヒューと鳴るおもちゃを売る。
  5.古代ローマの戦士の服装を着て写真のモデルになる。(男、女共)
  6.修道僧の格好をする。(托鉢?)
  7.レインボーカラーの文字(名前?)を書く。(アラビヤ文字?)
  8.バラ売り。→黒人
  9.リモコンでおもちゃを動かして売る。→東洋人の女性(韓国系?)
  10.物乞い。顔をふせ髪コップだけ差し上げて金を要求する。(アラブ系女性)

● 観光客の考察
   1.赤や緑などのはでなウインドブレーカーを着て、つばだけの日よけ帽子をかぶりサングラス
    を掛ける。→韓国人グループ(男女共)
   2.赤いシャツが多い→中国人



「イタリア旅行-6日目」
hotel:ローマ Hotel GALLIA(4つ星) 00185 ROMA Via di S.Maria Maggirore,143
               

● 今日はフリータイムのローマ市内観光。先ずはHotel Galliaからカンツオーネの夕べの集合地HotelGianaの往き道を確認に行く。 Hotel Galliaからテルミニ駅の方向へ歩いて7・8分だった。その後フォロ・ロマーノへ歩いていく。歩道が狭くしかも石畳が凸凹で荒くて歩くのに苦労する。小型の乗用車が隙間なく駐車しているし、バイクが非情に多くスピードを出して走り回るので、危なくてしょうがない。

● 二千年前の強者共の夢の後であるフォロ・ロマーノを二時間ばかり散策する。シーザがブルータスに刺されたあたりとか政治の中心だった元老院とか、凱旋門とかを見学した。そこは今の都市のレベルから10mくらい下がった所にあり、昔はその位置にあったのが、新しい都市を造るたびに埋め立てしていったためであろう。

● フォロ・ロマーノを西の丘に登っていくとローマ市庁舎があった。更に行くとミケランジェロが設計したといわれるカンピドリオ広場に出る。するどく交差した白い太い線でアクセントをつけた床のタイルは見事である。

● そこで踵を返して左にフォロ・ロマーノを見ながら東のコロッセオへ歩く。その途中レストランで゙昼食を摂る。ピザと野菜サラダとヒ-゙ル中ジョッキを一時間半掛けてテラスで味わう。かなり美味しい。支払いで一寸した行き違いがあったがその原因は何か、そのときは気づかなかった。コロッセオからまた反転してテベレ川まで歩いた。しばらく歩いていたが自分の位置が分からなくなったのでHotel Glliaに戻るためタクシーに乗った。支払いのときまた運転手がその金に納得しない。部屋で良く見たら5ユーロを払うところ500円硬貨を出していたことが判明。そうかあのレストランでもそのことだったかと納得した。そこではOKだったのでユーロと円が混じっていても通用したのであろう。成田を出るとき円は確かに別の場所に区分けしていたのにと不審がった。タクシーの運転手がこれはユーロでないと言ってくれれば気づいたのに、ただイタリア語でぺらぺらとまくし立てるものだから、その時は何が何だか分からなかった。

● 午後3時hotelに帰りシャワーを浴び一眠りして、ワイシャツとネクタイとサンド色の上着と洒落て出かける。さて今宵はローマの最後の思いだとして ChaliaというレストランでDine with the  tenors(テノールの夕べ)で過ごす。アリベデルチ・ローマの歌と共に終わる。再び訪れることを願って。
               



「イタリア旅行-7日目」
● Htel Galliaを7:00出発。他のクルーと合流し飛行場へ。
  帰りも来るときと同じくフィンランド航空で、ヘルシンキでトランジット。

● 飛行機の中ではなかなか眠れない。アインシュタインの相対性理論のように距離が遠くなる、或いはスピードが早く移動すると時計は遅れるということが頭に浮かんだ。しばらく眠ったかと思えど1分ぐらいしか経っていない。そんなことを繰り返し成田へやっと着く。この年齢では10時間以上のフライトは堪えた。

● 数日時差でおかしい。やはり若いときのような回復力がないことを痛感した。

● さてこれで、イタリア旅行も無事終わり。思ったより緊張もなく気楽な面白い旅であった。
こんどはアイルランドなどの文学の旅にでも行きたくなった。




付 録

「同人α」11号送付の添え書きより 2007/5/23
拝啓
 さわやかな季節になりました。今月また「同人α」第11号を発行しましたのでお送りいたします。担当はルービン・良久子さん、表紙は彼女が近藤君に依頼したものです。
 「斜光」と「同人α」があのような論争で袂を分かったのに「同人α」のためにデザインをしてくれたとは驚きでありました。彼は我々が思っていたほどそのことの意味を真剣に考えていないのではないかと、その定見のなさが感じさせられます。
 それはともかくこの同人誌は年齢や地域に拘り無く広がっていって居ます。こんど一人の仲間が増えました。13期生・長岡曉生(ペンネーム)さんで高校の時の物理の小柳先生のご子息だそうです。
 6月中旬に歓迎会を催す予定であり、まだ彼の詳しい情報は分かりませんが、筑波大学で研究に携わっていたとか。理工科系らしく緻密な調査の上に成り立つ、理路整然とした論法であります。いままでのわが同人には見られない範疇の人のようで、我々もまた多様な個性の集まりが強みだと喜んでいます。

 電話で話しましたように、ゴールデンウイークの七日間イタリアにいきました。日本と
イタリアの人文的な相違をつぶさに見てきました。二千年の歴史のなかでいかに宗教が人
々を「解放?」・「束縛?」をしてきたかの証として、いたるところに絢爛豪華な教会があ
りました。細君のローマに傾倒するのを尻目に、天の邪鬼の小生は現在の世情に興味をそ
そられました。
 その結果の一部が下記の路上の物売りのデータであります。全部が全部違法ではないで
しょうが、スタイルブックから抜け出たようなかっこのいい二人組の警官が来ると、白い
シーツに並べれれた偽ブランドの商品を素早く繰るんで肩に掛け、すたこら逃げ出すその
素早さは見事というほかありません。警官も慣れたものでけっして深追いはしないで、悠
然と観光客のモデルになっていました。その辺が実に悠長で、なんともいえない「共生」
の心を感じました。
 要はそのような物を掴まされる方が悪いのでしょう。とにかく全てを観光に利用し、観
光で食っているという国であることを認識しました。いやー実に面白かった。
最後に一度財布をすられて見たかった。残念。

  1. 針金をまげて自転車やおもちゃなどを作って売る。
  2. にせブランドの鞄などを白いシーツを広げて売る。→黒人
  3 にせブランドのスカーフを腕にいっぱい掛けて歩き回り売る。
    東洋人の女性(韓国系?)
  4. ヒューと鳴るおもちゃを売る。
  5. 古代ローマの戦士の服装を着て写真のモデルになる。(男、女共)
  6. 修道僧の格好をする。(托鉢?)
  7. レインボーカラーの文字(名前?)を書く。(アラビヤ文字?)
  8. バラ売り。→黒人
  9. リモコンでおもちゃを動かして売る。→東洋人の女性(韓国系?)
  10. 物乞い。顔をふせ髪コップだけ差し上げて金を要求する。
    (アラブ系女性)
 どうもこれらの系統をみるに、人種による職種分けが出来ているようで、なにかシンジケートがそれぞれのグループにあるのではと思われました。
 外にも自然や天候や各国から来ている観光客のスタイルによる分類などの考察もありますが、これはまた別の機会にしましょう。             敬具



2007/10/18
「映画「ローマの休日」の中で」

◆ イギリス名詩選の中にも、あまりにも直截過ぎたり散文ではないかと思う、これでも
  詩かというものがある。トマス・キャンピオンの「誠実な人間」とかアレクサンダー
  ・ポウプの「隠栖の賦」等々。だが口ずさむと英語独特の韻を含んだ心地よい言葉や、
  我々日本人には判らない感覚があるのかもしれない。
◆ 先日山荘でイタリア旅行でのローマの名所を懐かしく思い、映画「ローマの休日」の
  DVDを見た。その中で、グレゴリー・ペックの部屋を訪れた王女オードリー・ヘッ
  ブパーンが口ずさんだ詩を二人で言い争ったシーンがあった。いやこれは「ジョン・
  キーツ」だ、いや「アルフレッド・テニスン」だと言って。いつかもう一度そのシー
  ンを見て誰の何の詩であったか探したいと思っている。



同人α16号 ブログより2008/10/29
               
「ブログの写真はどこですか。古賀さんの写真は隅っこで,風景写真がドーンと大きいのは,なんか意味があるのですか。どっかに古賀さんが写ってはるのですか」という浪速びとさんのご質問の答えて・・・。
 最近写真を撮っていないこと。思えば歳をとるとそういう機会が少なくなったせいか写真がすくない。いざブログに載せようとしても随分前のばかりで、しかも気に入ったものがない。身近な人の葬儀に行くといい遺影が飾られているのに感心して、もうそろそろこの世とおさらばするときのために、最近滅多に着なくなった背広とネクタイしめてきめた写真でも用意しなければならないと漠然と思いながら、そうかといってなかなか実現はしない。
 熊野詣での写真をと考えたが、出発の日から合評が始まるのだから、それでは遅いと慌てて見繕うのだがなかなかない。それではと昨年の春イタリアに旅行して一番見たかったフォロ・ロマーノを訪れたとき撮した写真と、それに心を馳せて想像している山荘での写真をフォトショップで合成して面白い物を創ろうとしたが時間と能力不足で、訳の分からないものになってしまった。

 イタリアの都市々の贅を尽くした壮大な教会をみると、その民衆からの搾取ではないかという思いがあった。大きな指輪や煌びやかなローマ法王の様子を見ていると、神の前では何人も自由で平等であるという宗教の本質と違うところで活動が行われているものに見えるのは私の僻みであろうか。
 写真はフォロ・ロマーノ(ローマ時代の政治の中心広場)を撮した写真である。まさにシーザやブルータスや元老員達が二千年前に活躍した場所である。最近読んだ「ヨーロッパ思想入門」によれば、近代の国家の基本理念がこの時代にすでに出来上がっていた。民主主義、法治国家、下水道・上水道・道路などの都市の整備等々。専制君主の気まぐれの政治ではなく法を基本とした民主主義と共和制の国だったから周辺の異民族も受け入れ、世界に冠たる国家を作ることが出来たのではないか。
 しかしこのフォロ・ロマーノに思いを馳せるツアーのクルーは少なかったように思える。なぜなら行程には含まれていなかったからで、殆どが寺院回りで走り回った感があった。今度はキィーツやテニスンやジェームス・ジョイスやバージニア・ウルフなどのイギリスの詩人や小説家の舞台を訪れてみたいと思っている。

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