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シネマの話2

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 2月24日(月)20時36分24秒
  通報 編集済
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          シネマの話2 2007-2010





『手紙』   2007/3/8
飯田橋のギンレイ映画館で久しぶりに邦画を見た。東野圭吾原作・生野慈朗監督・
山田孝之・沢尻エリカ主演
兄は弟を大学にやるための学費欲しさに、謝って人を殺してしまい、弟は兄の事件が発覚
する度に差別を受ける。服役中の兄への手紙をベースに物語は進み、加害者側と被害者側
の精神的な苦しみを描いた秀作である。
派手な場面や無理な演技もなく、山田孝之・沢尻エリカの二人もなかなか良い俳優だ。
久しぶりにその切なさに涙がでたね。



映画「ローマの休日」の中で  2007/10/18

◆ イギリス名詩選の中にも、あまりにも直截過ぎたり散文ではないかと思う、これでも
  詩かというものがある。トマス・キャンピオンの「誠実な人間」とかアレクサンダー
  ・ポウプの「隠栖の賦」等々。だが口ずさむと英語独特の韻を含んだ心地よい言葉や、
  我々日本人には判らない感覚があるのかもしれない。
◆ 先日山荘でイタリア旅行でのローマの名所を懐かしく思い、映画「ローマの休日」の
  DVDを見た。その中で、グレゴリー・ペックの部屋を訪れた王女オードリー・ヘッ
  ブパーンが口ずさんだ詩を二人で言い争ったシーンがあった。いやこれは「ジョン・
  キーツ」だ、いや「アルフレッド・テニスン」だと言って。いつかもう一度そのシー
  ンを見て誰の何の詩であったか探したいと思っている。



『マイ・ブルーベリー・ナイツ』 2008/3/30

◆いつものようにポプコーンを頬張りながら日比谷スカラ座で「マイ・ブルーベリー・ナ
 イツ」という映画をみる。ちょうど有楽町あたりの高架下のカフェを舞台にしたような
 ニューヨークの若者の恋愛物である。なかなかの秀作であった。
  解説:恋人に捨てられたエリザベスは彼のことが忘れられず、彼の行きつけのカフェ
 に乗り込む。そんな彼女を慰めてくれたのは、カフェのオーナー・ジェレミーと、甘酸
 っぱいブルーベリー・パイ。それからのエリザベスは、夜更けにジェレミーと売れ残り
 のパイをつつくのが日課になる。しかしそんなある日、彼女は突然ニューヨークから姿
 を消す。恋人への思いを断ち切れずにいたエリザベスは、あてのない旅へとひとり旅立
 ったのだった…。
◆空間の犯罪・・・武田泰淳、火の記憶・・・・松本清張を読む。
◆湯島図書館より岩波書店「科学」を借りる。



ホームページの名称案  20084/16
◆私は「ニューロン・カフェ」がいいな。
 ニューロン(neuron)とは、脳の中にある神経系を構成する細胞で、その機能は情報
  処理と情報伝達に特化しており、動物に特有である。
 随分昔『バクダット・カフェ』という映画があった。イラクのバクダットにあるカフェ
 かと思いきや、ラスベガスとロサンゼルスを結ぶ道筋にあるモハヴェ砂漠のはずれにあ
る、取り残された様な寂しげなモーテル「バクダット・カフェ」での話である。懐かし
いかの有名な『シェーン』で悪役を演じたジャック・パランスや、『制服の処女』の
クリスティーネ・カウフマンなどの往年のスター達が出演している秀作だ。ジュベッタ
 ・スティールが歌う主題歌“コーリング・ユー”も哀愁があって忘れがたい。
 そのようなカフェに立ち寄る様々な人々が持ち込む、過去や現在や未来の情報を現代の
「井戸端会議」を楽しもうではないかという意味を込めた名称であります。



『僕の好きな先生』  2008/4/23

2002年のフランス映画。
 フランス中部オーベルニュ地方にある小さな小学校に集う13人の生徒とその先生との
生活を追ったドキュメンタリー。子供たちをたった1人で教育するジョルジュ・ロペス先
生は、あと1年半で退職する。
 先生の生徒に対する姿勢や、それを追うカメラの視線がとても優しいのが印象的だった。
先生は終始穏やかで、生徒が言うことをきかないときも、争ったときも、頭ごなしにしか
るのではなく、どうしてそういう行動をとったのか丁寧に問いただし、厳しい言葉で、し
かし優しく穏やかに戒める。
 決して強請はしない、決して答えを出すのを急がせない。子供が結論をだすまで根気よ
く待つという教育の原点を見たような気がする。



『ミリキタニの猫』 2008/7/3

 久し振りにシネマ・デ・ジョイの映画鑑賞につきあった。ここギンレイは6年程前、神
楽坂界隈を散策したときたまたま見付けた映画館だ。その後「CINEMA・DE・JOY(シ
ネマ・デ・ジョイ:シネマを楽しもう、死ぬまで人生を楽しもう)」という同好会をつく
るきっかけになったもので、そのときの日記を取りだしてみた。
 飯田橋の神楽坂をもう一本後楽園へ寄ったところに軽子坂(かるこさか)という路地が
ある。その坂の由来は知らないが、横町を曲がったすぐの所に一軒の映画館をみつけた。
約200席のいわゆる懐かしの名画をみせるという場末の小さなもので、そこは貧乏学生
時代のノスタルジーを彷彿させるに十分な面影を残していて、昔を懐かしむような老年の
人たちや若い学生といった客筋で満ちていた。よき時代の雰囲気がいまだ廃れず存在する
んだなーと嬉しくなった。いままでに「トークツーハー」や「シッピング・ニュース」
「ぼくの神様」「灯台守の恋」「ぼくの好きな先生」「あなたになら言える秘密のこと」等
の商業ベースにのらないような秀作の小品を沢山みた。一年間に50本ほど上映している。
 さて本題の「ミリキタニの猫」について一口でいえば80歳になる日系2世のミリキタ
ニ(三力谷)のドキュメンタリー映画である。女性のリンダ・ハッテンドーフ監督が引き取
って同居し、8年掛けて制作したものである。そこには猫を画くことの好きなミリキタニ
という放浪画家が体験を通して培われた、米国社会にたいする反骨精神に貫かれた生き方
が描かれている。
 「原爆」や「ツールレイク強制収容所」「世界貿易センターの倒壊」などのショットを
はめ込んでミリキタニの精神形成を視覚化し、いかに戦争が不毛であるかを問い詰める。
しかし、リンダ・ハッテンドーフ監督や廻りの善良な人達との交流をもとにその頑なさも
次第に解けてゆく。その最期の見せ場として、絵にはテーマとして描くけれど、何十年も
訪れることの無かった「ツールレイク強制収容所」に立って、「思い出は過ぎ去るだけ」
という言葉とともに、米国社会への頑なな反感を解きほぐしていく・・・という映画であ
った。
 かつて、同人αのルービン・良久子さんが「ツールレイク強制収容所」について書いた
文が有ったと記憶していたのだが、「斜光」や「同人α」の投稿文を全部探したが見つけ
ることができなかった。できれば良久子さんにその投稿カ所を教えてもらいたい。


沼南ボーイさんへ  2008/7/5

 ギンレイをご存じとは、同好の志ではありませんか。「シネマ・デ・ジョイ」はいつで
も入会を歓迎します。それはともかく「隣の第2ギンレイ」に疑問を抱き調べてみました。
たしかに同じビルの地下に「アダルト専門」の映画館があることは知っていました。それ
がそうなのかギンレイに問い合わせてみたら、経営は違うといいいます。名前は「クララ
館」、悩殺の姿態にクラクラするからでしょうか。沼南ボーイさんがあししげく通った映
画館がそこかどうかは判りません。
 そういえば昔渋谷道玄坂の途中に百軒店(ひゃっけんだな)という枝道がありましたが、
その突き当たりに正確な呼び名は失念しましたが、「渋谷SS」と「テアトルSS」とい
うストリップ劇場が隣り合わせにあったと記憶します、さすがは東京だと上京したばかり
の私は感心しまくったものでした。それからひまじんさん、軽子坂の言われどうもありが
とうございました。神楽坂界隈はヒューマン・スケールの町並で、生活小物などの店も多
く本当に暮らしやすい街だと思います。



『あの日の指輪を待つきみへ』  2008/7/27

◆東劇へ映画を見に行く。
 「あの日の指輪を待つきみへ」とういう日本の題名。いかがなものかという日本名を付
 ける洋画が多い。原題は「Closing the ring」シャーリー・マクレーン主演。



『コレラ時代の愛』   2009/1/27
 ガルシア・マルケスの原作を映画化した「コレラ時代の愛」

 久しぶりシネマ・デ・ジョイに参加して映画を見た。
ギンレイ映画館を5年ほど前に初めて発見した時よりも客は確実に増加していて、満席に
近い入りだった。この映画館の「[ギンレイ・シネマクラブ]に入会されますと、その日
から当館で上映する映画を1年間、何度でもご覧いただける[シネパスポート]を発行い
たします。日本で初めての磁気テープ付カードです。」という企画は着実に映画ファンに
浸透したようである。

 さて今度の映画のあらすじはO氏の解説のとおりだが、二つほど私にもどう解
釈したらいいかわからない場面があった。一つ目は男がやっと探し当てた恋人に話しかけ
ると、女は「いま私は、あなたと一緒になる気持ちがないことがはっきりと判った」と冷
たく言い放つ場面。もう一つは女の夫が亡くなって、徐々に男を受け入れるという精神状
態がわからない、その理由なり心情を女が言葉にしていない。




『久しぶりのロードショー』  2009/2/22

 9時50分朝一番の有楽町マリオンのスクリーン3で『チェンジリング』というアメリ
カ映画を見た。
『硫黄島からの手紙』などストーリーテリングには定評のあるクリント・イーストウッド
監督による感動作。息子が行方不明になり、その5か月後に見知らぬ少年を警察に押し付
けられた母親の真実の物語を静かなタッチでつづる。実生活でも母親であるアンジェリー
ナ・ジョリーが、エレガントだが強さを内に秘めた母親を熱演。1920年代当時、堕落し
たロサンゼルス警察が保身のために行った数々の非道な行動が、実際にあったという事実
にがく然とする。という映画評があった。



逆さまの世界 2009/3/30

 最近『ベンジャミン・バトン、数奇な人生』という映画による奇妙な筋の話題で賑わっ
ている。主人公は八十歳の老人として生まれ、だんだん若返って行くという筋である。ど
う考えても時間の矢が過去・現在・未来へと一方向へしか進まないという事実に反する物
語であるが、いろいろな違う世界を想像させてくれるからともかく面白いと思った。
私も以前からこの「逆さまな世界」について興味を持ち、表題を手帳に書き留めていたの
で、遅まきながら私の疑問点を否定的な考えというより、どうも自分の頭では答えの出せ
ない点を書き出してみたいと思う。
 この世界では理論的にパラレルワールドという、いま我々が生きている世界と全く同じ、
鏡に映った様な世界が現存するという説がある。それはビッグバンの時に正物質と反物質
がほぼ同数出現し、相互に反応してほとんどの物質は消滅したが、正物質と反物質との間
に微妙な量のゆらぎがあり、正物質の方がわずかに多かったため、その残りがこの宇宙を
構成する物質となった。そのため現在の既知宇宙はほぼすべての天体が正物質で構成され
ているのだ。それでもなお正物質と反物資の衝突を免れた反物質の世界があるという説で
ある。どうも実感としては納得いかないもので想像できないことではあるが。
 そこで、本や映画に描かれた逆さまの世界はどんなものか。

1.先ず時間が逆行する世界
 何もかも後ろ向きであるから、歩くのも後ろ向きなのか、食べ物は口から限りなく出て
 くるのか。
 「ベンジャミン・バトン」の主人公が八十歳の赤ん坊として生まれるという設定も、逆
 行する時間としては実におかしい。土に帰った原子や分子という無機質から八十歳の老
 人として生き返るべきであろう、という疑問がある。

2.上下左右が逆さまの世界
 上下や左右は相対的なものだから、この世界は有りそうである。
 小さい字がほとんど読めなくなったので、ルーペ専門店へ視力を補完する道具を求めに
 行った時、面白い物を見つけた。リバーサル・ミラーという名称の鏡で化粧するときに
 使うという店員の説明だった。最初その鏡に映った自分の顔を見たときに妙な違和感が
 あった。よく観察すると鼻の右側にある黒子が左に移っているのである。まさに他人か
 ら見た自分の顔が鏡に映っているのである。女性はこんな物が有るということはすでに
 知っているであろうが、化粧と関係ない私には驚きだった。そういえば三面鏡も理論的
 には同じなのだが、それが左右逆になっているとは細君から説明を聞くまではしらなか
 ったのだ。
 もう一つの疑問は、普通の鏡では上下が逆転しないのはなぜか。これは何となく私でも
 判る。足下に置いた水平の鏡の中では上下が逆転する、しかし左右は逆転しない。上下
 左右逆転する鏡ができるか?

3.夢の中の世界
 変な夢をみた。仰向けに寝て横書きの文章を見ていたが、苦しくなって横向きに体を変
 えた。そうするとその文章も水平ではなく、己の左右の目の方向に横書きの文字が並ぶ。
 これはどうしたわけであろうか。頭のなかでは上下左右の補正を自動的にしているらし
 い。絶対的と思われるの現実の水平、垂直の概念は脆くも崩れ去った。今まで頭の中に
 浮かぶものの位置関係を深く考えたこともなかったのだが、目をつぶって見るものはち
 ゃんと頭の方向に合わせて横向きに映るという、新しい現象の発見をした。
 まさに、現実と虚構(想念)の違いであり、もし目を覚まして見ている原稿と頭の中の
 文が同じ方向であったらもっとおかしいことになるだろうと思った。ものごとの知覚は
 現実そのものでなく、脳を通して認知することで、必ずしも見えたもののそのままでは
 ないということか。知覚の上で自分が自分を瞞したり、瞞されたりしているようでもあ
 る、不思議なことである。

4.携帯電話で画面を縦・横に変えてもいつも水平を保つ物がある。便利そうではあるが、
 夢の中のように横向きに寝そべって画面をみると、顔に平行にならないから返って不便
 な気がする。
 とまあ、「逆さまの世界」が理屈に合うか合わないかは、それぞれのものごとにより違
 うであろうが、今回は「ベンジャミン・バトン、数奇な人生」のお蔭でなかなか面白か
 った。今多迷道氏から「お前は屁理屈ばかり言う」とお叱りを受け、藤沢周平の描く剣
 の達人からバッサリやられそう。



『闇の子供たち』  2009/4/16

 映画「闇の子供たち」を見る。タイ・バンコクの臓器売買というシリアスなテーマの映
画であった。日本など裕福な国の難病の子供を助けるために、貧しい国の子供の臓器が売
買されている、しかも提供する子供は生きたまま健康な臓器を摘出されるので、当然その
子は死ぬことになる。ある子供が生きのびるためにもう一方の子供は殺されるというアン
ビバレント(二律背反)の不条理。原作は梁石日(ヤン・ソクイル)、「血と骨」は以前読
んだことがある。嘔吐を催すような強烈な生への執着をもつ作者の父の物語である。映画
を見た後パンフレットを読み返してなるほどと思った。この作家なら見逃さないテーマだ
と納得したのである。



『天使と悪魔』 2009/5/17

銀座シャンテシネ2に「」を見に行く。
 秘密結社・イルミナティによるヴァチカンへの復讐(ふくしゅう)を阻止するべく、ガ
リレオの暗号コードに挑む宗教象徴学者・ラングドンの活躍を描く。例によって激しいサ
スペンスと大音量の効果音にはいささか閉口したが次の二点については面白かった。

◆ヴァチカンを破壊するためにスイスのセルン研究所(実在する欧州原子核研究機構)で
 反物質を作る。物質と反物質が衝突すると対消滅を起こし、質量がエネルギーとなって
 放出される。これは反応前の物質・反物質そのものが完全になくなってしまい、消滅し
 たそれらの質量に相当するエネルギーがそこに残るということである 。1gの質量は約
 9×1013(90兆)ジュール のエネルギーに相当する。
◆我々にはヴァチカンの内部を見ることは叶わないが、このえいがでそれらの施設(膨大
 な歴史の資料質)やコンクラーベの模様などは興味深かった。



黒猫と青春の感想 2009/9/8

 先日、リチャード・ギア主演のハリウッド映画『HACHI 約束の犬』を銀座マリオンで
見た。「忠犬ハチ公」のリメークで、筋としては実に単純で判りやすい。しかし何年も戻
ってこない主人を待っている犬はじつにバカだなぁと思う一方、我ながらついホロリとし
てしまった。照れ隠しというつもりはないが、それが何故なのかと考えてみた。

 それはこの犬が主人に寄せる絶対の愛・無償の愛だからではないか。
乳飲み子と親の関係に通ずるものだが、児童虐待、尊属殺人などの社会現象をみていると、
もはやこの無償の愛は人間関係に求めることは難しく、動物と人間の間にしか認められな
い時代になってしまったのではないか。無償の愛は実は強者と弱者の間でしか成り立たな
いのではないか。
 弱者は庇護されなければ生きて行けないし、強者はその弱肉強食だけの生き方のみでは
殺伐としていて心が満たされず、弱者の放つ癒しのオーラ・生体エネルギーを必要とする
のではないか。だからこの世の中は強者ばかり、或いは弱者ばかりでは人間社会が衰退に
向かうのではないだろうか・・・と考えた。

 私の少年の頃は、犬、猫、兎などの動物との暮らしは身近にあった。屋敷が広かったせ
いか、迷い猫、迷い犬、迷う兎などが常にいた。今までのそれらの動物がいなくなると次
の野良が入り込んで来て、いつものように馴染んで住み着いた。猫の名前はだいたい安直
に「白」とか「黒」とか名付けられていたが、犬は柴犬などの雑種で赤犬がほとんどで代
々「ベル」という名前で呼ばれていた。猫も犬も顔中ひねくり回したり、髭を切ったり、
目がねを書いたりといった悪戯をされたにも係わらず、よくなついていた。だから、もの
言わない動物から癒される経験した私にとって、子供が動物に接する環境を与えてやれな
かったことが今悔やまれるのである。彼に弱いものに対する考え方が育ったかどうかが気
になるところではある。

 動物を擬人化した書き方が色々あって面白い。夏目漱石の猫は人間の行動や思考を鋭く
観察している。気むずかしい苦沙弥先生が雪隠で謡曲を呻ったり、隣接する学校の生徒達
がうるさいと大人げなく本気で怒ったり、寒月君の結婚に纏わる虚栄や功名心などの俗世
間の風潮を見聞きして「人間はなんと滑稽な生きものであるか」などとと揶揄している。
 この黒猫と青春はそんな揶揄や苦笑の目線ではなく、実に素直で暖かい目で描かれてい
るから気持ちいい。きっとみどりさんの廻りには無償の愛が溢れているんだと思った。
 最後に、私の感想が碇さんの江藤晋平の力作まで行きつけなかったことをお詫びします。
ごめんなさい。



*「当世グランマ気質」を読んで 2009/10/26     *同人α21号掲載作品

この作品を読んで、「当世グランマ気質」とはどういうことを意味しているのか、私には
確たるものがつかめませんが、それはともかく良久子さんの創り出す情景描写は、私にア
メリカ映画のシーンを思いださせるものでした。そして書かれている地名を見るに付け、
またアメリカを放浪したいという心を掻き立たせました。
 ベルヴュー市の良久子さんのお宅を訪れたのはもう25年前になりました。シアトルか
ら湖の浮き橋を渡った美しい街でした。庭にあるリンゴの老木が印象に残っています。
 モンタナ は訪れたことはありませんが、長距離バスのグレイハウンドでソートレイク
からシアトルに行く途中で、近くを通ったような記憶があります。

 また『リバー・ランズ・スルー・イッツ』の舞台だったことを思い出しました。模範的
な長男とブラッド・ピットの演ずる破滅的な性格の次男を描いた、とてもいい映画でした。
 ヴァーモントは『ホワイト・クリスマス』という映画の舞台。
クリスマス・イブの日はいつもこの映画を私は見ます。アメリカの一番良い時代、そして
その豊かな暮らしや風景は私の青春時代の憧れの的でした。
 兎に角この作品はまだ若かりし頃の私の夢を思い出させました。有り難うございます。
そしてこのシーンのような時間、私にとっては親しい友人と昼食と一杯のビールを飲みな
がら過ごす時間が一番幸せな時間だと
最近は思えるようになりました。さて、これから目の修繕に行って来ます。



*「BUTTERFLY EFFECT」を読んで1 2010/2/10      *同人α22号掲載作品

   私はまずEFFECTについて日本語のどの言葉を当てたらいいか迷った。英和辞書では
結果; 効果; 影響  感じ, 印象; 趣旨, 意味などがあった。そして一回目にこの作品を最後ま
で読んでも表題とは結びつかなかった。
 そしてさらに調べていたら「バタフライ効果(ばたふらいこうか:butterfly effect)とは、
カオス力学系において、通常なら無視してしまうような極めて小さな差が、やがては無視
できない大きな差となる現象のことを指す。カオス理論を端的に表現した思考実験のひと
つ、あるいは比喩である」という説明を見つけた。作者は確かにこの意味の題名を付けたに
違いないと私は確信した。

 さらに 『バタフライ・エフェクト』(The Butterfly Effect)は、2004年に公開されたア
メリカ映画。日本では2005年5月に公開された。カオス理論の一つ、バタフライ効果を
テーマに製作された。斬新で衝撃的なアイディア、練り込まれた脚本が受け、本国アメリ
カで初登場1位を記録したことも解った。
 そのバタフライ効果を池と小石を使って例えると、小石を池の中に投げるとまずは極小
さな波紋を作るが、次第にその波の輪(同心円)が広がり、最初の波紋と比較にならないよう
な大きな波になるということを言うらしい。
 しかしそれにしても作者がこの作品に込めた意図・メタファが私には未だ解らない。これ
から二度三度読み返してそれについて-その2・その3-で考えてみようと思うが、まずは
とば口で一服・・・・・。

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