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それゃ観んと。

 投稿者:高橋政彦  投稿日:2017年 9月 6日(水)10時07分46秒
  じゃじゃじゃTVすか??
 
 

妖怪で文化祭出演

 投稿者:憑喪神  投稿日:2017年 9月 5日(火)22時00分34秒
  いきなり仕事場に電話が掛かってきた。仕事場の固定で自分宛に電話がくることは苦情以外にほとんどないので、いぶかしげに受話器を取って「はい、電話代わりました、どちら様でしょうか」と探りを入れたら、甲高い声で「IBCの千葉星子です」というではないか。知ってるも何もその昔、星子さんが旅行冊子のモデルで僕がローカルのカメラマンで二泊三日ぐらいでロケ旅をしたのであった。タレントでアナウンサーの星子さんは、田舎のカメラマンなんかもう忘れたろうと思っていたから、こっちの方がびっくりした。「んで、何?」と聞いたらテレビの取材だという。しかも、テーマは大人の文化祭らしい。オレは何すればいいの?そしたら「妖怪」なのだそうだ。妖怪絵師として登場して欲しいというのだ。そういえば、今から10年ぐらい前に、やはり妖怪関連で取材された経緯があった。その時は当時作っていた「妖怪双六」というのがあって、今回もそれを取材したいと言う。しかしながら、そのデータは昨年の台風被害で親会社でもある印刷所のパソコンが被災し、当時のマックos9時代のデータはほとんどが古いマックとともに水没し破棄されてしまったため、双六のデータはない。しかも自分で作ったというのにそのデザインの記憶もない。その後の震災被害の惨状で過去の記憶が飛んでいるらしい。ならば、再度双六を作ろうかとも思ったが、今更どこから手をつけたらいいのかわからない。仕方ないので当時の妖怪イラストを使ってタロットカードのようなものを作った。これと、妖怪イラストをはめ込んだ柱時計で何とか妖怪絵師として文化祭に参加させていただいた。
久々に出会った星子さんはちょっとふくよかになっていたが、昔の笑顔と声は健在だった。そして重そうな爆乳が印象的であった。当時モデルとして撮影していた頃は、そんなに大きいとは思わなかったな。さすが母になっただけあるな。それでのテレビの仕事を続けているなんて、女ってすげえな。やっぱ、星子ちゃんも妖怪なんだな。なーんて、自分だろ、妖怪は。と思った楽しい取材でした。今回は久々に妖怪の話をしたので、忘れていた絵心が少しだけ目をさましたような気がした。
 

豊間根・大谷山鉱山

 投稿者:憑喪神  投稿日:2017年 8月24日(木)22時09分13秒
  欲に駆られれば、人はアリになる。
先日、山田町豊間根の奥地のさらに奥地とも言える、大谷山鉱山跡地に行って、昭和34年当時に稼働したという、マンガン鉱石を掘った坑道を見つけ、そこに入ってみた。坑道を探す計画は今年の春に、林道脇の坑道を発見しそこへ入ってトロッコ軌道などを発見した時から、いずれは川の対岸のズリの上にあるであろう、大谷山鉱山の本命でもある坑道にチャレンジしようと思っていたのだ。しかし、今回、長雨続きで目的の山も行けない状態で、お手軽ではないけれど、移動時間も少ない大谷山鉱山の再アタックとなった。
8月中旬の某日、朝9時に集合し豊間根川を遡り、オソノエラ沢、ネコイノ沢分岐に到着。ここまでなんとか走ってきたウィルが二駆ゆえ、これ以上の走行は無理と見て、車を脇に止めて歩きで探索を開始した。この時期、クマが子育てを終え子離れの時期と聞いていたが、そのクマの恐怖に勝る、アブの攻撃に閉口した。30~50匹はいたと思われるアブとスズメバチは、自動車のエンジンから出る暖かい赤外線に反応するらしく、車から出ての装備や着替えに大変苦労した。
林道を歩き、春に目視確認していた鉱山の遺物やズリを探すも、夏草と樹木の葉でそれが確認できない。仕方なく、途中の沢を足濡れ覚悟で渡り対岸へ。やっとズリや遺稿を発見し標高250mほどを登った。すると大きな花崗岩の露岩を発見、そこを回り込みお目当ての大谷鉱山最大の西二抗、縦穴の西三抗を発見。坑道の入り口で早い昼食を済ませ、西二抗に進入した。中は大きなホールがあり、雨が長かったせいか滴が溜まり水浸しになっていた。それでも縦横無尽に掘られた坑道を実感。改めて、欲は人をアリにするのだなと納得した。
 

砂金は見つかる

 投稿者:憑喪神  投稿日:2017年 8月 6日(日)09時50分33秒
  新田牧場から国道340号線立丸トンネルに向かわず、旧道である中仁沢集落に一軒だけ残る旧家・中仁沢家にアポなしで伺った。その昔、金が取れた川は中仁沢家の前を流れる小国川だという。川の上流である源流部には三吉五郎平という場所があって、そこが砂金取りのメインだったらしい。しかし、今、ここは国道340号線立丸第二トンネルから出るズリ置き場となっていてダンプが運んだズリの山が並ぶ。トンネル建設において周辺がかつての金山であり、そのズリはもちろん、ズリを置いた場所が砂金取りの現場であったことを、工事責任者、いや、発注者である国道事務所は知っているのだろうか。三吉五郎平は新田牧場にかつてあった新田金山から流れる2本の沢と、立丸峠から流れる沢が合流する場所であり、大水が出たり山崩れがあればここに金が集まったのかも知れない。現在は立丸第一トンネルが開通しているので、旧国道340号線に架かっていた新田橋はあまり利用されていないが、この橋から川に降りてみると、なんと川底は一枚の岩盤で、凹みにはピットホールと呼ばれる穴や溝がいくつもある。現在、梅雨時なのでその水量は豊富だが、渇水時にはこの凹みや溝にたまった泥を探れば、山吹色の砂金が見つかる可能性は高い。かつて、大雨があがって数日後、巣金~関根あたりを流れる小国川で村人二人が光る物を発見、のちに鑑定に出し30万円で売却したという逸話もある。中仁沢家によれば明治あたりまで川沿いに水車を仕掛け、石臼で鉱石を挽いては砂金や砂鉄を得ていたという。長者森の柔らかい石英露岩、明治まで稼働したという新田金山、小国川上流部の三吉五郎平、水車での鉱石挽き、などなど、ここにはまだ金がリアルに眠っている。しかも、昨年秋の大型台風で山は大きく崩れ、沢や河川が氾濫した。今まで土中にあったものが流され重い金属がピットホールや溝に填り込んでいるかも知れないのだ。  

長者森の白色の露岩

 投稿者:憑喪神  投稿日:2017年 8月 6日(日)09時49分6秒
   しばらく放置していたから、この掲示板も寂れ、私が書き込むのに丁度良い雰囲気となったようだ。さて、今回は先日登った長者森の話をしよう。長者森は小国の新田牧場からさらに登った大槌町との堺になるピークで、標高は1000mちょっとだ。牧場側にはシカやクマ除けの電柵があるため、こちらから登るには管理小屋に寄って許可を得なければならない。しかし、この小屋はほぼ無人で許可を得るには行政経由の手づるが必要だ。そんな面倒くさいことを好まない私とその相棒は、土坂峠から尾根に沿って続く登山道を歩いた。片道約2キロ程度だったが梅雨時だったこともありいつ雨に降られてもおかしくない天候だった。そして頂上についたあたりで、雨がきた。計画では長者森からその先にある白見山方面へ向かい、途中から新田牧場最上部に降りるはずだった。ここは無理せず三角点を撮影し下山することにした。だが、その途中から白見山方面へ向かう枝道を発見、これを歩いた。道には踏み跡があるけれど単なるシカの通り道の可能性もあり、樹木に一定間隔で目印テープを巻きながら歩く。しばらく歩くと小さな露岩のピークに到着。ここからしばらく下ったが踏み跡は消え迷う予感が濃厚となった。ここで諦め露岩のピークまで戻った。露岩で一休みし周辺を調べると、なんと、粘板岩のような白色の筋がある。白い岩は手で折ることもできる柔らかさだ。これぞ、石臼で挽いて金を得ていた鉱石だ。かつて金鉱山があった新田牧場の鉱脈が露出しているのだ。長者森という名の由来はこの金に関係する鉱脈なのである。しばらくすると雨が強くなってきた、小鎚山の方から濃い霧が迫る。一瞬で周辺は霧に包まれた。目印テープを頼りに歩きテープを回収しながら、やっとのことで長者森の分岐点に到達。濡れたクマザサを漕いでやっと下山した。  

緊急業務連絡

 投稿者:高橋政彦  投稿日:2016年10月22日(土)10時15分44秒
  緊急と言っても、いつ付喪神様がこれを見るかわからないので緊急にならない可能性は大ですが。

えー、いよいよネット動画を活用した「ふうらいチャンネル」を実行に移します。

内容は、最初はシンプルに無理なく出来るカタチで。

1 オープニング 横田、平谷、高橋(進行役)で。初回は平谷家(BBQ台付近あるいは書斎)にて収録。
2 ロケもの 208、高橋、平谷、岳で。テーマ未定。ロケ技術は岳が担当。
3 ヒラヤヨシキの実録百物語特選集 しかるべき場所で収録。独り語り。
4 エンディング 横田、平谷、高橋で。オープニングと同じ場所で収録。

妖怪のように、不定期に、ふらりと公開されるスタイル。軌道に乗ったらコーナー増やしたり、動画CM作って売り込む広告で稼ぐことを目標にしていきたい。

以上です。

http://kcamiyako.s2.weblife.me/pg559.html

 

タモンタワという地名

 投稿者:付喪神  投稿日:2016年10月 3日(月)22時20分39秒
  地名は大体漢字が割り振られていて、その意味が伝わることが多い。かつて松任谷由実が盛岡の地名がロシア語みたいだと唄ったけれど、博学の彼女らしいセンスだと思う。さて、宮古市川井に、かつて「宿の平」と呼ばれた薬師川中流域に開けたタイマグラという集落がある。この地名が昔からアイヌ語からきていると言われているが、自分はそうは思わない。カタカナ地名は漢字が当てはめられていないだけで、アイヌとは直接関係がないと思うのだ。ま、そりゃ、アイヌ民族の本場的、北海道ならそれもありだけれど、東北のカタカナ地名は、明治期の地図作成の解きに随行した地元民(地域代表者)が文盲だったり漢字の知識が低かったため、従来の呼び名に漢字を当てはめられなかっただけではいかと思う。タイマグラも台間蔵、当麻倉でもいいわけだ。もちろん大麻倉でもいい。ただし大麻は仏教的な意味であり大麻草とは関係はない。さて、そんな川井には桐内(きんない)と呼ばれる集落があって、そこにやはり不可解なタモンタワという地名が存在する。国土地理院地図にもその表記があって、この地名もその由来が不明だ。桐内は奥州藤原氏の時代に産金があった場所で、今でも純度は低いが砂金がとれることがあるという。桐内の近く、江繋集落にはやはり奥州藤原氏の時代に産金に関係していたという旧家・泉澤家がある。そんな背景からタモンタワとは毘沙門天の別称多聞天に関係する地名かもしれない。多聞天は四天王のひとつで北方の財宝を守護する武人を模した仏尊で表される。産金があった地を守る多聞天を祀った沢があるという意味のタモンサワが訛ってタモンタワになった可能性も否定できまい。ちなみにここには実際に沢があって、けっこういい姿の滝があるらしい。地理院地図に滝のマークは見あたらないが、地元で聞き込みをすれば意外と簡単にみつかりそうだ。  

地獄を作ったのは誰だ

 投稿者:付喪神  投稿日:2016年 9月13日(火)23時39分40秒
  仏の住まう永遠の空間は浄土とか極楽と呼ばれ、人もこの世から脱却し(没し)俗世間と切り離され、しかも、俗世間に残る遺族の追善供養によって浄化し、仏の住まう極楽へ往生するという。では、その逆はどうであろう。成仏を望まぬ者は永遠にあの世とこの世の狭間で永遠に飢えたままの餓鬼として彷徨い続けるという。これが人々にわかりやすくアナウンスされた仏教が語る死語の世界であった。しかし、これだけではリアリティーがない。成仏できぬ者はもっと辛く酷く惨い目に遭うという物語があれば、単純な民衆は仏教のありがたみ、仏への崇拝を強めるのではないか、という発想から、仏の住まう極楽浄土に対して地獄が作られたのではないだろか。すなわち、地獄という世界観を作ったのは僧侶ではなかろうか。そしてその地獄にも罪によって堕とされる段階を作ったりその責め苦のシステムや構図を描いたのも僧侶であろう。しかも、私たちが思い描く地獄の構図は日本特有のものであり、仏教が伝わる他国にはないのではなかろうか。死んだらどうなるか?という不安は世界共通だろうが、それを解き人に伝えてきたのは古今東西どこの国でも宗教者だ。彼らが地獄を作ったのである。そんな考えから、私は宮古の寺、常安寺の地獄絵の作者も絵師ではなく僧侶だったのではないかと考えている。地獄は民衆の恐怖をあおり、仏と極楽を賛美し照らす黒い炎だったのである。あ、ちなみに、常安寺の地獄絵右下には地獄の定番責め苦名所の血の池が描かれていますが、そこで責められるのは女性です。昔は子どもを産めない女性は地獄に墜とされ、生前流した自分の経血におぼれて苦しめられるという構図なのです。血の池地獄には男やオカマは墜とされないのでした。  

洪水は約30年周期

 投稿者:付喪神  投稿日:2016年 9月 8日(木)23時04分8秒
  アイオン台風は昭和23年(1948)その後台風や大雨は何度かあったが、記録的だったのが33年前の昭和58年(1983)の台風15号であろう。そして今年の台風10号。おりしも両台風が宮古下閉伊に被害をもたらしたのは8月30日であった。アイオン台風から35年後に台風15号が、その33年後に台風10号がこの地を襲っている。きっとこれは周期的に閉伊川を洗う天のシステムなのかもしれない。年表を探ればそんな周期で水害が起きているのかも知れない。決壊した河川の堤防はその後の僅かな増水で再び大災害をもたらす。水の力は恐ろしいのだ。そして残されるのが大量の泥。天の気まぐれに人はおののくばかりだ。宮澤先生は「雨ニモマケズ」と奮い立ったが、やはり自然には勝てない。人は尻尾を巻いて嵐が過ぎ去るのを待つばかりだ。  

台風10号の被害

 投稿者:付喪神  投稿日:2016年 9月 8日(木)23時02分35秒
  台風10号の被害は壮絶だ。もちろん、大被害を被ったのは岩泉町の小本川とその支流であろう。しかし、あまりニュースにはなっていないが国道106号線の被害も甚大だ。なんと茂市~蟇目間の大平地区でかなりの規模の道路消失が起こっているのだ。
被災後、国道106号は盛岡と宮古が連絡できなくなった。震災後、支援物資を運ぶとか復興道路とか呼ばれて建設されているというのに肝心な宮古の入り口が増水によってえぐり取られたのだ。その場所は根市~花原市の門神地区であり、そこは復興道路として整備対象外であった。被災二日後、取材のためバイクで現場に行ってみたところ、閉伊川寄りの片側車線がほぼ消失していた。トンネルを通り、今度は蟇目のJR第33閉伊川橋梁付近に行ってみた。そこは鉄道と道路が立体で交差し、かつ、国道の上り線と下り線が別車線になっているところなのだが、閉伊川は増水して道路を流れアスファルトを剥がし深く土をえぐっていた。このカーブには昭和のラブホ、ねむの木があったのだが、その昭和臭漂うコテージは全棟壊滅、流木のアート劇場と化していた。現場から茂市方面には進めずその日は引き返したが、後日、北川目から腹帯に通じる林道川目線をバイクで走行し腹帯へ出た。その足で茂市に向かうと、何と、わらびの沢に架かる橋がない。激流と木材が桁を押し流したらしいのだ。落ちた橋はその他に刈屋川のひかげ橋、和井内の岩穴川に架かる橋などが流失した。問題の蟇目大平地区は約3キロほどにわたり国道の片側が消失しており、その中間にはまったく道路がない部分も存在している。この区間は現在復旧工事車両のみしか通行できないため、直接の確認はできていないが、工事業者が被災後に飛ばしたドローンの画像からも、国道106号線の復旧がそう簡単ではないことを物語っている。
 

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