社交館301号?それとも305号?



カテゴリ:[ その他 ] キーワード: 社交館301号 濱下昌宏研究室


94件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[106] モンクレール 2017 コピー

投稿者: モンクレール 2017 コピー 投稿日:2016年10月 9日(日)09時38分6秒 203.189.235.156  通報   返信・引用

それでしたら、彼との価値観は同じかもしれませんが、。

http://www.001ban.net/?brand-106.html




[105] gucci コピー 激安

投稿者: gucci コピー 激安 投稿日:2016年 9月26日(月)13時03分47秒 203.189.235.156  通報   返信・引用

また最近では、ベスト型の着る感覚の鞄も開発が進められている。

http://kcfx.net/brand-9-c0.html



[104] 猛暑を生き延びた報告

投稿者: hamashita 投稿日:2016年 9月22日(木)14時36分35秒 zaqb4dd5de5.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

皆さま:猛暑を生き延びたご挨拶と報告を送ります。お勤めの方にはすでに短い休暇は終わって残暑の中の連日出勤でしょう。ご自愛ください。また、学校関係者は新学期に入ってまたご多忙の毎日が再開されていることでしょう。台風に襲われましたが何事も被害がなかったことを祈ります。夏休みのブランクがあり、そしてこの夏の猛暑は私も生き延びるのを絶望するほどでした。私はおかげさまで(ふだんの有徳な生活と品行の良さゆえか)何とか生き延びました。しかし、まだわかりません。授業が再開されるというのに、健全な精神と体調かというといささか心もとない日々です。

論文原稿は9月末までに2本、10月末までが1本、が当面の債務です。イタリア美学会で次号の年報を「日本の美」特集にするので寄稿をと頼まれ、日本のイギリスロマン派学会のための原稿は本来は今年4月中に送らねばならなかったもの(「めまい」が起きて断念)、3本目は国際美学会で「東洋美学」の特集号を出すので寄稿を、ということです。私事に関しては書きませんが、皆さんが知ったら私がこの難局を生き延びられるか心配されるでしょう。

天皇陛下が「生前退位」のご意向を表明されたのに倣い、私も「生前お別れ会」を開きたいところですが、その日程調整すらままなりません。11月末で一区切りできるように鋭意努力しますが、それが一段落したら来年2月半ばのカナダの二大学での講演(Univ. British ColumbiaとAlberta)原稿の準備にかからねばなりません。とても「悠々自適」「晴耕雨読」とはまいりません。

しかし今まで何度も申してきたように、「老人さらに老い易く学成り難し」です。どうか皆さんも秋のさわやかさに満足することなく美食の秋に無自覚に暴食肥満に陥ることなく、日々の研鑽を怠りなく続けてください。



[103] 美学的ある対話

投稿者: hamashita 投稿日:2016年 9月14日(水)18時40分48秒 zaqb4dd5de5.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

あいかわらず「哲学者」ですね。お元気そうな様子といい何よりです。私は若干体調不良気味です。猛暑と仕事ゆえでしょうか。「仕事」といっても論文原稿が主ですが、それでも(体力的にはデスクワークに過ぎないと思われがちですが)やはり「創造的」な営みなので、神経や脳みそや体力の消耗はなかなかです。「締め切り」のプレッシャーはそれほどではありませんが、心身ともに困難を極めています。かんたんには老衰ゆえでしょうか。
貴兄のメールに応答式にご返事します。

――このところ美意識とは何だろうかと考えています。
濱下先生の御著書「主体の学としての美学」では、美意識には言及されていないように見受けられます。
「美意識」も翻訳語です(aesthetic consciousness)ので、そのような抽象観念を実在感ぬきに思弁的に考えるとただの思考遊戯になりますね。原語を見ても「美」と「感性」と両義を含みます。私の前著で主題化していないのは、<aesthetics>を(ギリシア語にさかのぼる)原義の「感性学」ではなく「美学」の方向で受容していった明治の先覚者に注目しているからです。

ーーつまり美意識は、多くはある対象、ある 事象との関係性の概念かなと思われます。
厄介なことに、時間の中でうつろい行くことそれ自体に、心を捉えられることがあるということです。
関係性として、快不快があり、それらを含んで移ろい行くこと自体を美と思うというように入れ子構造なのかとも思います。

「関係性」に注目されているのは思考の方向として正しいのでしょう。つまり、快不快でも美意識をめぐっては「美的快」と限定しなくてはならず、他方で「客観性」として対象・事象の本質・性質・条件の規定を考察する必要があります。主客両者の「関係」という場での美・美意識の成立と捉えると、美意識は自己を超越ないし否定し、内向き的自意識(トートロジー、思い込み)を止揚できます。だから「美学」はたんなる「感性学」以上であり、ソクラテス・プラトン的「良く生きる」思想につながっており、明治の先学たちはその要点をきちんと見逃していなったことに感心します。

――恋愛関係はどう考えたらよいのでしょうか。
恋愛関係にある場合は、相手を求めます。
その相手を求める心の状態自体は、やはり美意識として考えるべきでしょうか。

恋愛関係もおもしろいテーマですが、美学的にどう論ずるべきか私はまだ考えが及んでいません。しかし恋愛関係は「対象」は人格的という統合・総合的なので、ある意味では「実践美学」の最適の問題かもしれません。プラトン『饗宴』はすばらしい名著ですが、恋愛の一要素である「肉体」「精神」等々を美の序列の中で廃棄・止揚していくロジックは(イデアという真実在との出会いという「結論先在」的な面もあり)、やや明快すぎるのではとも思われます。とまれ「恋愛」は(友愛・同性愛や親子・夫婦愛と区別して)男女間に限定して考えると、なかなかに面白くかつ深く、「美意識」の一環とおさえられながら問題群は広がります。私ども高齢者には「時分の花」ならぬ「時分の恋愛」もあって、幼い性愛とはちがう奥義が見えるのかもしれません。

ーー1990年に開催されたラカン学派の国際シンポジームが「意味の彼方へ」と題されて一冊の本となって出ています。
ちなみに、このシンポジウムには神戸女学院大学から伊藤良子先生が出席されてい ます。このシンポジウムの中で、北山修氏から症例報告が提出され、その中で「夕鶴」の分析から、日本人に特有なものとして「自虐的役割」(モラル・マゾヒズム)という概念が提出されています。
<・・・>
このような社会が是とする女性の生き方、存在の仕方自体もまた美意識と言えるのでしょうか。

この情報に感謝。伊藤良子先生は(京大、学習院大と職場を変わりましたが)よく存じています。(いずれ神戸女学院に戻って学院経営に寄与すべき方と評価しています。)「日本人特有」というのがおもしろいですね。日本女性特有、というのも。むろん日本人的美意識といってよいのでしょう。私の援用では、いわゆる「自虐史観」とか、国民の恥を海外でさらすのを生きがいにしているようなひとたち(「反日」知識人・活動家というのでしょうか)のメンタリテイを説明するのに適当かと。たとえば歴史的史実としてはかなり無理があるいわゆる「慰安婦問題」についてしゃかりきにプロパガンダの役割を果たす「日本人」の心性をどう説明すべきか考えるのですが(ドイツほかどの戦争国家も似たような施設ややり方があったようですがドイツの場合ドイツ人による「蛮行」研究書はないようです)、私見では、日本人における自立した思索(習慣・能力)の欠如を考えます。つまり、対他関係的に、また共同体のなかでの自分の位置づけ(自意識)から、その程度の思考・行動の営みを以て自己確証しているにすぎないのでは。「夕鶴」の「つう」については、そうした自己献身は必ずしも日本女性特有とも思えず、いずれ諸外国の民話などに類例を探してみます。

ーー理性と無意識との関係性はどう考えればよいでしょうか。例えば、これも恋愛関係を例とすると、理性は相手を嫌っていても、いざとなると手放せない、執着してしまうという心性はどうでしょうか。ここは難しいな、というのが現在の僕の思いです。

「無意識」を論点にあげるのはまさに西洋主知主義・理性主義ゆえでしょう。東洋はうつつと夢、幻想・幻覚をかなり受容しているのは今も変わらないのでは?英語の研究書で近代精神の生成は「こころ」を<soul>から<mind>に還元することによる、という解釈を読みました。たしかに「霊魂」であれば時空心身二元を超えたひとの「霊的」存在を考えますが、「精神」(mind)と捉えると主客・心身二元から理性(意識)・無意識という分析的便宜的な概念が立てられるのでしょう。

いささか教師的説明でお恥ずかしいのですが、これも職業病でしょうか?濱下



[102] 研究会のご案内

投稿者: hamashita 投稿日:2016年 9月13日(火)18時45分8秒 zaqb4dd5de5.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

皆さま:次回TRSのリマインダーご案内です。8月は夏休みとして、#32 Adam Smith <<TMS>>)は、9月17日(土)13:30-17:00、会場は前回と同じ、阪急・西宮北口駅、南口の「プレラ」内の西宮市中央公民館4F「403室」です。「西宮哲学会」で表示されます。どうぞご都合のつく方はご参加ください。

テキストはPart II, chap. IIから。テキスト(the Glasgow Edition)p.69~、水田訳(上), p.181~、  村井・北川訳、p. 185~。

それにしても猛暑の夏でした。いまだ日中は30°前後の残暑です。皆さまのご自愛を祈ります。このリマインダーは私が猛暑を生き延びたという報告にもなりますが、まこと一時は夏を越せるのか消耗しきっておりました。それでも、7月下旬には広島芸術学会30周年というので寿ぐために久しぶりに広島まで出かけました。ちょうどオバマ大統領による広島訪問の後でもあり原爆ドーム周辺には内外からの見学者が多数、どの町でも再訪の際にはあいさつ代わりに必ず出かける場所がありますが(ボローニャならMuseo di Morandi、花巻なら宮沢賢治記念館、パリならLibrairie J. Vrinなど)、広島はやはりあのチェコ人建築家によるドームの残骸です。現場で見ることは想像力を刺激します。出かけてよかった、と思いました。8月にはチョー猛暑の京都に研究会で行きました。久しぶりの京大吉田キャンパスなので「(神宮)丸太町」で下車、以前気に入っていたソバ屋(二八蕎麦)があるはずと探しましたが見当たらず、仕方なくランチを取ろうと入った店が和食専門でかなり全国の地酒を品揃え、誘惑に勝てず暑気払いになろうかと秋田の冷酒を1本。当の研究会は京大の戸田剛文さん(バークリの岩波文庫版『ハイラスとフィロナスの三つの対話』の訳者)主宰で、参加する気になったのはひとつ仕事を仕上げて少し気分転換をと思いつつ、若い研究者が海外からゲストを呼んで開く研究会 が閑古鳥的では痛ましいのでモラル・サポートの気持ちで、がひとつ。第二の理由はゲスト3名のおひとり、Sarah Hutton先生はケンブリッジ・プラトニストの研究者でお名前だけは存じ上げていたのでどんな方かなという好奇心。第三の理由はゲストは皆ヨーク大学(イングランド)のスタッフで、私的な回想では院生の時にブリテイッシュ・カウンシルの奨学金に応募、ヨーク大学におられたC.A. Patrides先生をsupervisorにと希望していたところ、試験の際に2回目の面接をしてくれたカウンシルの代表の方(イアン・フレーザーさんという方でした)と懇ろになり、むしろケンブリッジのBasil Willeyのところで勉強したら、などと助言してくださったけれど、Patrides先生からの返信がミシガン大学(Ann Arbor)から来て転職した、と。ご著書のかぎりでもスゴイ学者であることがよくわかりました。そんなわけで若い時期の留学は断念、神戸女学院に奉職後、客員教授にヨーク大学からJohn Roe先生がお見えになり。歓迎の席でPatrides先生についてお伺いすると、Roe先生の人事はその後任としてお世話になったこと、Patrides先生はミシガンに移られてしばらくして亡くなられたことなどを聞きました。またヨーク大学には現在イギリス美学会の年報編集長のPeter Lamarque先生もStirlingから移られており(Edinburghにご自宅があってパーテイに2度ほど誘われました)、そんなわけでヨーク・コネクションの復活といいたいところですが私はすでにイギリス美学会は退会、ヨークは大聖堂もすばらしく古代ローマ軍の城塞跡もある良い街ですが、メールでSarah Hutton先生と交流するでしょうが、私も夏を越すので精いっぱいの末期高齢者、よほどの機会がなければヨーク再訪はなさそうかな・・・。(濱下)






[101] 研究会のお知らせ

投稿者: hamashita 投稿日:2016年 8月 2日(火)22時16分9秒 zaqb4dd5d48.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

皆さま:次回TRSのご案内です。8月は夏休みとして、#32 Adam Smith <<TMS>>)は、9月17日(土)13:30-17:00、会場は前回と同じ、阪急・西宮北口駅、南口の「プレラ」内の西宮市中央公民館4F「403室」です。「西宮哲学会」で表示されます。どうぞご都合のつく方はご参加ください。

テキストはPart II, chap. IIから。テキスト(the Glasgow Edition)p.69~、水田訳(上), p.181~、  村井・北川訳、p. 185~。

[前回(2016.7.23)の記録] 冒頭の頭の体操(brainstorming)ではこのところの世相の喧しいことでトピックは豊富、東京都知事選、イラクのクーデター未遂、等々。本題に入り、まずは濱下が用意した、アルバート・O・ハーシュマン『情念の政治経済学』(The Passions and the Interests)に対する書評(Thomas E. Kaiser, in <<Eighteenth-Century Studies>> 12, 1979)の紹介[ファイル添付]。経歴・思想・学問いずれもユニークなHirschmanによる同書(1977)はたしかに刺激的、政治的視点からの資本主義擁護論は、以前にもふれた中世の賤商観(「卑しき業」)の克服と商業活動における徳(「完全なる商人)についての議論を経て、近世から近代をグローバルに切り開いたが、ハーシュマンはマンデヴィルがいみじくも定式化した<private vice, public benefit>のパラドックスを理論的に整合させようとしている。しかし評者のカイザーは論証典拠の扱いに批判的、アダム・スミス解釈についてもその商業発展の効用(望ましくない社会的作用と政治的不正を抑制する作用との対立)は歴史的実状に合致していたか不明である、と。

日下耕三先生が久しぶりに参加してくださって、さっそくに教育学者としての実践活動(障害のある学生のノート取り支援のボランティア)と、私淑されてこられた安藤孝行(たかつら)に関するエッセイを報告、あらためて人を育てるとはどういうことかについて示唆。安藤孝行については古書店入りびたり人生の私にはすでに数冊を蔵書に、また日下先生からもいただいた本もあるが、白崎秀雄『当世奇人伝』でもお名前は存じ上げていました。「私は京都学派ではない」と言い東大で博士号を取ったのは「変人」というべきかただの偏屈か、しかし英仏独ギリシャ語ラテン語を自由に読解してあのナイホフからアリストテレス論を出版したのだからスゴイ。英米独蘭では彼の業績が評価されているが日本の人名 辞典では載っていないというのは今でもそうだろうか。ネットの古書を検索するとその著書はひどい高値、なお読んでいる人がいるのだから日本も捨てたものではない。「知識の畸型的成長が現代文化の最大の欠陥」「古今東西を通じて俗物は役に立たぬ文化の価値を理解したためしはない」等々の寸言を残せる人だったようだ。同時代の奈良本辰也、林家辰三郎、末川博、湯川秀樹等々の人物評も鋭い。私は彼の実力から、西洋古典学の専門家にみられるような西洋的教養にのみ依拠する体現者というイメージがあったのだが、今回、古書で『唱和の遊び』を入手して読んでみると、これが実におもしろい。漢詩を俳句や和歌に読み下す試み。(ご紹介したい作例をいくつか見つけましたが行方不明なのでまたの機 会に。)土岐善麿が安藤を称して「おぬしは曲者」と言っているのが至言か。(つまり私の考えでは日本の知識人は誠実に生きようとすると戯作的にならざるを得ない・・・。)それでは皆さま、しばしの夏休みをごゆるりと!!(濱下)



[100] #5「問題の所在」懇話会のご案内

投稿者: hamashita 投稿日:2016年 6月13日(月)21時32分45秒 zaq3dcd8a15.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

#5 Round Table: <ubi sumus (私たちはどこにいるのか?) ;What/where are the Issues?>
第5回「問題の所在」懇話会のご案内
メディアに露出する人物(政治家・評論家・芸能人・・・)がとてもわれわれの代表とも思えませんが、しかし彼らも時代の鏡、われわれに痛烈な反省を強います。彼らに共通するのは低俗教養と品格欠如、揶揄するのはかんたんですが、これもまたわれらが人類同胞と思うと情けなくなります。情報化社会という過誤、教育(家庭から大学まで)という逸脱をいかに克服すべきか、課題は大きすぎます。しかし、ささやかではあっても「問題の所在」を剔抉すべく、われわれは第1回(2014.11.7)を創設全体会として<the state><the sustainability><the rhetoric>という3つの枠組みと視座を提示、そして第2回(2015.7.24)[the state]、第3回(2015.9.17)[the sustainability]、第4回(2016.2.21)[the rhetoric]と続けてまいりました。そして2度目の全体会を開きます。市民社会の分析は経済学に求めるべし、というのは20世紀までの世界システムでしたが、今や世界の激動の要因は実体・仮想をおりまぜて複雑かつ相互関連複合的です。今回は、経済の側面からのグローバリズムについて工藤章氏の基調報告を得て、濱下武志氏には「アメリカ化」に対抗しようとしている華人のグローバル・ネットワークについてもコメントをいただき、また伊藤誠一郎氏からは資本主義的グローバル化が始まった近世からの歴史的視野をふまえて今日的(ポスト・モダーン)な世界のグローバル化についての提題がいただけそうです。
日時:2016年6月18日(土)、11:00 a.m.-17:30(終了後、懇親会を開く予定)
会場:関西学院大学大阪梅田キャンパス 10F 1005教室(K.G.ハブ スクエア大阪)、大阪市北区茶屋町19-19アプローズタワー(阪急インターナショナルホテル隣)(事務室14F、TEL.06-6485-5611) http://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/
基調報告:工藤章[KUDO Akira](経済学、日独経済交流史:東京大学名誉教授)「グローバル化としてのアメリカ化――現代世界経済への一視覚」("Americanization as Globalization: an essay on the view of current world economy")。
討論者(1):濱下武志[HAMASHITA Takeshi](東洋史、近代中国史:中山大学教授、東京大学・香港大学名誉教授)。
討論者(2):伊藤誠一郎[ITO Seiichiro](経済学、17・18世紀イングランド経済思想史:大月短期大学教授)。
主催:<ubi sumus>「問題の所在」委員会(代表責任者:濱下昌宏)masahiroh08@gmail.com(美学:神戸女学院大学名誉教授);(幹事)Hans Peter Liederbach(哲学:関西学院大学教授)
協賛:サントリーホールディングス株式会社



[99] 研究会のお知らせ

投稿者: hamashita 投稿日:2016年 6月 6日(月)21時19分41秒 zaq3dcd8a15.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

皆さま:次回TRSのご案内です。
次回(#31 Adam Smith <<TMS>>)は、7月23日(土)13:30-17:00、会場は前回と同じ、阪急・西宮北口駅、南口の「プレラ」内の西宮市1中央公民館4F「401室」です。「西宮哲学会」で表示されます。(前回の案内で「工作室」とあったのは「工芸室」の間違いでした。私の思い違い。「工作室」では陰謀家集団と間違われそうですね。)
テキストはPart II (Of Merit and Demerit)に入ります。テキスト(the Glasgow Edition)p.67~、水田訳(上),p.175~、  村井・北川訳、p. 179~。
(前回の備忘メモ(i):スミスのストア哲学受容に関して):スミスは古ストアのゼノンやクレアンテスを評価しながら、クリュシッポスに対しては厳しく批判、つまり良識から離れて思弁と衒学に陥った、と。ストア道徳説の貴族主義的観想(apatheia)に対して、スミスが追求したのは市民階級のための実践道徳。それは次回からの第2部でより詳細に議論されていく。

(同、メモ(ii)):篠原老師は講義で使われた資料(アダム・スミスにおけるプラトンとアリストテレス)を解説、おかげであらためて思想史の王道(!)に位置づけられる哲学者にとってはプラトンとアリストテレスに関する知識と、両者への己との距離の再確認が必要であったと理解。『哲学論文集』(邦訳は名古屋大出版会)所収の「哲学研究指導原理:古代論理学と古代形而上学の歴史による例証」は重要必読文献。

――スミスが求めた実践道徳は、学問化・体系化・思弁化に転じていく(ストア哲学に範をとる)「講壇道徳説」では満たされなかった。その際に、基礎参照枠としてプラトンとアリストテレスの再読はスミスの思索を前に進ませるものであったろう。



[98] 研究会のご案内

投稿者: hamashita 投稿日:2016年 4月30日(土)22時12分11秒 zaq3dcd8a15.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

皆さま:次回TRSのご案内です。次回(#29 Adam Smith <<TMS>>)は、5月21日(土)13:30-17:00、会場は前回と同じ、阪急・西宮北口駅、南口の「プレラ」内の西宮市中央公民館6F「和室」、です。「西宮哲学会」で表示されます。
テキストは「ストア哲学」関連の箇所を読みます。初版 I.iv.3.(pp.58-60)、水田訳(上),p.149-156。(  村井・北川訳では、6版を底本としているため該当箇所の特定はむずかしい。p.580-614、あたりを参照。);初版 VII.ii.1.39; 47、水田訳(下)p.268-270; p.274。
なお、木宮解説員にはテキストに関して書誌学的解説をお願いしたい。

前回(#28 2016.4.23)の記録抄:内藤さん、戸高さんは西洋古典の読解を堪能(?)、それぞれHugo de Victorとホメロス。前者に関しては濱下もその<philokalia>=philosophyの思想を「美学」的にもいずれ追究したいところ。戸高さん曰く、古典離れの若者には「これぞ読むべし、これぞ規範」と有無を言わせずに読ませるのが一番ではないか、と。原則賛成したいところ、しかし大衆化・世俗化という知性の涵養訓練が劣悪になる時代にどこまで可能か? もっとも、いずれも少数派の勉強であったか。坂田さんは若い学生の悩みの相談について、家庭の貧困問題その他が子供たちの心を蝕むという憂慮。木宮君はイギリス哲学会の席上、ヒューム研究者は増えているがスミス研究者は減っているという話を聞いたと披露。これも考えさせられる、村井・北川訳書の冒頭のアマルテイア・センによるかなり長い序文(オマ ージュ?)を思い出すにつけ。ペーターさんは和辻とハイデッガーの研究会の感想で、和辻の「風土論」ほかはハイデッガーを機縁とすると定式化されつつある日本の和辻理解を批判、ヘーゲルとの関係を注目すべきである、と。日本のハイデゲリアンの問題意識や解釈力の軟弱さに不満を述べる。その不満はTRS終了後の食事会にまで引きずられ、店に滋賀産「杣の天狗」があるのに濱下が「杣」とは<Holzweg>を「野の道」と訳す日本のハイデゲリアンは無知であり「杣の道」が適切と解説(今道先生に習ったこと)、するとペーターさんは美酒「杣の天狗」は注文せず、土佐の「文佳人」をたしなむのみ。たしかに、日本の「学会」組織は、一方で必要悪・不可欠の機能もありながら、明治以降150年の反省はこの 点についても。



[97] 近況、2016.4.22

投稿者: hamashita 投稿日:2016年 4月22日(金)13時55分26秒 zaq3dcd8a15.zaq.ne.jp  通報   返信・引用

新年度が始まりました。そちらの方もなかなかに忙しくなります。受講生の質問への答えを近況報告のかわりにします。(今年の「美学」のテーマは「メランコリーとユーモア」です。その内容も追々お伝えしましょう。)
「・先生は最近、美術館に行かれましたか?
――(2月24日)京都・醍醐寺:宗達「舞楽図屏風」;(3月17日)国立国際美術館:「ECCE HOMO―現代の人間像を見よ」;(3月18日)大阪市立美術館:「日展」;(4月5日)神戸ファッション・ミュージアム「BOROの美学―野良着と現代ファッション」展:田中忠三郎(1933-2013)『物には心がある。』(アミューズ エデュテインメント、2009)[暗く貧しい生活の中でも女として美しくありたい。幸せはゴミ箱からでも拾ってくるもんだい。];(4月12日)兵庫県立美術館「鉄斎」展:富岡鉄斎(1836-1924)
・書道の美はどんなところにあるのでしょう?
・先生は春休みにどこに行きましたか?
――3月20日に堺まで。そのときの主催者のひとりの方のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/rara_pro/e/c133a4e9af0b2fb2128eba807e20ab9f


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