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お盆ですね。

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 8月16日(水)11時27分46秒
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  8月10日は、0700に家を出て親戚の墓掃除に行きました。

墓石を洗い、植木を剪定し、付近を掃き清めてから、花を供えて線香を上げました。
その後、出勤しまして、故障しがちなエアコンの部品交換と修理に立会いました。
部品交換が必要、と業者が言いましたので、『見積もりをお願いします。』と言いましたが、
来て下さったエアコン修理業者は僕と同じ高校を卒業しているそうで、
『このくらいの修理で、大先輩からお金は頂けません。その位の裁量権は僕も持っています。』との事で、
『確か、会社に部品が有りますので、すぐに取ってきます。』と、
30分も経たない内に往復し、部品を交換して下さいました。
まことに有り難い事です。


翌日は祭日で、お寺様で伯母の初盆法要を営みました。

この日時は、お寺様から指定されていましたので、定刻の一時間前に参上し、
お供え物の段取りやお布施の用意を済ませました。

一時間弱で法要は終わり、その後は10人程の親戚でロイヤルホストへ行き、お茶を飲みました。

翌日は土曜日で、通常の土曜日業務ですが、『敗戦の日』には護国神社へ参拝出来そうに
有りませんでしたので、この日に参拝しました。

(殆ど毎週、参拝しているのですが、この日は特に念を入れたつもりです。)

美術館近くの廣田弘毅先生像に会釈し、神社で手水を使い、掘出稲荷に参拝、
そして本殿に参拝しました。

その後は、通常の土曜日勤務です。

13日と14日は盆休みでしたが、気になる事が有りましたので、伯母の納骨堂へ参拝したり、
伯母の家を点検し、序でに管理している駐車場の清掃を行いました。

15日も伯母の家を点検したり、駐車場の巡回をすると夕方になりましたので、
また伯母の納骨堂に参拝、その後は家内の実家へ家内の母親や妹を迎えに行き、
家内の実家の納骨堂へ参拝しました。

こちらの納骨堂は、昨年から建て替え工事が始まり、まだ外構や駐車場は完成していませんが、
大変立派な納骨堂が完成していました。

そんなこんなで、毎年、自分の直接の親戚への参拝は中々難しく、いつも御仏前を現金書留で送り、
メールが電話での連絡で失礼しています。


画像一枚目は、、『提灯灯し』の準備が行われた護国神社です。

二枚目は、取引先が献灯された提灯です。

三枚目は、新築の納骨堂に安置された家内の御先祖です。
 

五人目。

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 8月 9日(水)11時30分43秒
返信・引用
  二男の嫁は体調が悪いらしく、家事もままならない様です。

病院へ行きましたら、来年4月に三人目が産まれる予定だそうです。

チャイルドシートも古くなりましたし、盆過ぎには姪が子供を連れて来ますので、
今の内に新しいモノを買っておこうか?と、二男一家と買い物に行きました。

買い物前、昼食にしましたが、やはり彼女は食欲が無いらしく、殆ど食べませんでした。


『見ているのも気の毒なので、実家に帰って養生したら?』と、僕は言いましたが、

『子供達は、今の家に慣れていますし、実家の周りは同じ年頃の子供が居ませんので、
遊ばせるのに困りますから、このままでお願いします。』との事でした。


食事を済ませてチャイルドシートを二脚買い、それから僕は通常の日曜日巡回作業をしましたが、
夕方になると、やはり体調が厳しいらしく、二男と子供二人は僕ら夫婦と夕食をする事になりました。

(前日の土曜日も体調が厳しく、二男が子供二人を連れて、
ヘンテコリンなスポーツチームの海水浴兼バーベキューに行ったそうです。)

彼女は、二人の出産の時は殆ど悪阻が無かった様ですが、今回は厳しそうで気の毒です。

当然ながら、僕には妊娠や出産の経験が有りませんので、よく分かりませんが、見ている方も辛くなりますね。

それと同時に、女性の強さと偉大さを実感しています。

こんなに苦しい思いをしているのですから、何とか無事に生まれてきてくれる事を祈る事しか僕には出来ません。

強き者よ、汝の名前は、母親なり。

夕食は、二男と二男の娘の希望で、焼肉になりました。

二男の嫁様、僕らばかり食べていて、すみません。

夕食後は我が家で子供達を入浴させて帰しました。

御蔭様で、来年四月には五人目の孫が登場する予定です。

画像一枚目は、ヘンテコリンなスポーツ・チームの海水浴兼バーベキューにてスイカを食べる、二男の長男です。

二枚目は、焼肉を待つ、二男の長女と長男です。
 

夏越祭

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 8月 2日(水)12時32分49秒
返信・引用
  筥崎八幡宮から、夏越祭(なごしまつり)の案内を頂きましたので、家内と二人で出掛けました。

息子達が小さかった頃は一家四人に行っていましたが、今はそれぞれの家庭が有りますので、
あえて誘う事は無くなりました。

土曜日の通常勤務を終え、帰宅したのが1830でしたので、八幡宮から届けられた人形(ひとがた)
という紙に名前を書いて、体の彼方此方を撫で、息を吹きかけると、その人形が身代わりに
なり災厄を引き受けて下さるそうです。

駅まで二人でブラブラ歩き、電車で八幡宮へ向かいました。

参拝客は年々増えてある様で、参道は賑やかです。

露店が出ていますが、本職ではなくて八幡宮に協賛されている企業が出店された
『シロウト露店』ですので、価格や商品は良心的です。

以前は、僕の友人が勤務する企業も出店し、それも楽しみの一つだったのですが、
近年は人手不足らしく、出店されないのが残念です。

手水を使い、参道で四列に並んで順番を待ちます。

本殿の前には『茅の輪』が造られていて、茅の輪を潜ると左へ廻り、また茅の輪の前に来て一旦立ち止まり、
また茅の輪を潜ると今度は右へ廻って、更に茅の輪の前に来て立ち止まり、
また茅の輪を潜って左へ廻り、もう一度、茅の輪を潜って、社殿で拝礼します。

社殿では神職がお祓いをして下さいます。

その後、人形と初穂料を入れた封筒を神職に渡して、参拝は終わりました。


参拝後は、どこかで食事を済ませてから帰宅するのですが、今年は参道脇に在る屋台へ入りました。

こちらの屋台は、あちこちのブログや口コミで『焼き鳥、特に名物のシロ(豚のホルモン)が
絶品!』という噂です。

以前から行ってみよう、と思っていたのですが、こちらも祭の時しか近くに行きませんし、
いつも祭の時は満席の様ですし、何より暑そうですので、いつも横目で眺めながら通り過ぎていました。

今年は、少し前に何かの小冊子にで、この屋台の話題が出ていましたので、家内も興味が有った様です。

家内は参道から屋台を見て、『あら、少し空いているから行ってみよう。』と、屋台の方向へ
歩きましたので、付いて行きました。

四人分ほど空席が有りましたので、そこに座りました。

すぐ前で焼き鳥が焼かれていますが、風が通るので外側から見るほどには暑くありませんでした。

(家内は、かなりの暑がりですが、『思ったよりも涼しい。』と、生ビールを呑みながら言いました。)

献立表を見ると、やはり一番に赤い字で『しろ』と書かれていました。

シロを四本、その他の目ぼしそうな串を二本ずつ注文しました。

串物は他店よりも少し小ぶりで、特に豚バラは半分ほどの大きさでしたが、
値段は150円~400円(牛サガリ)と、ナカナカです。

店内は大賑わいで、注文するのも大変でした。

二人で串物を食べながら、まず生ビールを呑み、家内はハイボールを呑み、僕は焼酎ロックの大を二杯呑み、
最後に家内は店主が直々に作る小ラーメン(500円)僕は普通のラーメン(600円)を食べました。

大賑わいの中で、どうにか店の女性に勘定をお願いすると、彼女は僕らの伝票を店主に渡し、
店主はニコニコ笑いながら、僕らの顔と伝票を見比べて、耳に挟んだ鉛筆で伝票にサインをして、
『は~い、有難う!』と僕らに大声で言いました。

伝票を店主から受け取った女性は僕らの横に来て、金額を告げられましたので、7000円余りを支払いました。

これで来年の夏までは無事に過ごせる、と安心して帰宅しました。

画像一枚目は、筥崎八幡宮の本殿前に設置された『茅の輪』です。作法に従い、これを潜って無病息災を祈願します。

二枚目は、家内が社務所で、『お汐井てぼ』を受けました。

三枚目が、屋台で食べた串物です。左下が噂の『シロ』です。塩焼きで、好みによって生姜醤油をつけて食べます。
(僕の好みでは、カボスですね。)
 

日曜日

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 7月26日(水)11時04分42秒
返信・引用
  基本的に日曜日は休日なのですが、やはり何だかんだの作業をしています。

先日は、拙宅から車で10分程に在る、月極・時間貸し駐車場の清掃と点検を済ませ、
家内と家内の元実家(現在は空家で、売りに出していますが、中々売れません…。)
を見に行き、除草剤を撒きました。

その後、僕が生まれた町の近く、昔は『湊町銀座』と呼ばれていた町で、昔ながらの中華料理店で昼食。

皿うどん600円、炒飯と麻婆豆腐のセット1000円を二人で食べました。

その後、西新の月極・時間貸し駐車場の清掃と点検に行きましたが、当日は『鷹の祭典』の効果で満車でした。

次は、博多駅近くに在る、伯母の納骨堂へ行き、伯母の好物だった菓子を供えて礼拝しました。

毎週、伯母へ礼拝していますので、何だか行かないと気分的にスッキリしませんね。
初盆くらいまでは、毎週の礼拝を続けたいと思っています。

礼拝を終えて、家内が『久しぶりに、どこかへ行こう。』と言いますので、
約二ヶ月半ぶりに、先輩筋が経営してあるティールームへ行く事となりました。

国道385号線で南畑ダムの傍を通り、有料(310円)の東脊振トンネルを抜けて、
家内の希望で道の駅に入りましたが、これといって買うものはなく、更に少し走ると、
先輩が経営されている『オーク・ヒル・ヴュー』が在ります。

先輩の本職は、時計・宝飾・眼鏡店なのですが、英国趣味が高じて、英国で建築資材を買い付け、
英国からカーペンターを招き、地元の棟梁とのコラボレーションで店舗を建築されました。

構想から完成まで、十年以上が掛かっています。

構想が始まった頃から、先輩の奥様は大反対されていましたが、開店されると意外や意外、
店舗責任者として采配を振るっておられます。

この日も、満面の笑みで迎ええて下さいました。

昼食を食べ過ぎたきらいは有りましたが、僕は以前から、こちらの『フィッシュ&チップス』が気になっていて、
家内と二人で食べれば何とかなるだろう、と思い、奥様へ訊ねますと、

『確かにボリュームは有りますが、食べきらなければ持ち帰り出来ますよ。』と、背中を押して下さいました。

果たして出てきた、『フィッシュ&チップス』は、遠い昔に本場英国で食べたモノとは大違いで、
本場モノの様に揚げ油でジットリ、という事はなく、サクサクの歯応えで、あっさりと食べる事が出来ました。

次回は、やはり以前から気になっている、アフターヌーン・ティーセットを頂きたいですね。


画像一枚目は、湊町銀座の中華料理店での昼食。
二枚目は、『オーク・ビュー・ヒル』の店舗外観。前日は、黄色スズメ蜂の巣が建物屋根の裏側で見つかり、
駆除の為に営業を一時中断されて大変だったそうです。
三枚目は、フィッシュ&チップスで、フィッシュとインゲン豆の陰にはサクサクのフライド・ポテトが隠れています。
 

記念日

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 7月19日(水)10時56分47秒
返信・引用
  先日は、僕にとっては最も重要な?記念日でした。

家内と初めて出会った日です。

37年前(だったと思います)、山笠の『集団山見せ』が終わった夕方、
雨が降る中を約束のホテルのロビーへ行きました。

通常の見合いとは違って、事前に写真や身上書の交換も無く、ぶっつけ本番の見合いでした。

ロビーで、本人と両親、仲人さんに会いました。

何れも僕には初対面でしたが、何故か仲人さんはガキの時分の僕を御存知だったのが意外でした。

ホテル最上階のレストランの部屋が予約してあり、席に着くと僕は超下手くそな
自筆の身上書を仲人さんへ差し出しました。

仲人さんは極く簡単に目を通されると、先方の両親へ身上書を渡されましたが、
先方は読んだのか読まなかったのかが分からぬほどの時間で身上書を仕舞われました。

食事の時間は二時間半位だったでしょうか、主に仲人さんが話題を出されて、
どちらも曖昧な返事を繰り返していた様に思います。

食事が終わると仲人さんは、『それでは、二人で山笠見物でもなさると良いでしょう。』と、
仰り、帰っていかれました。

先方の両親は、
『二人で散歩でもして、あまり遅くならない時間にウチへ送って来て下さい。本人の祖母が、
あなたに会ってみたい、と言っていますので。』と言って、やはり帰っていかれました。

雨が降っていましたし、『山笠見物でもしますか?』と本人へ尋ねましたが、
山笠には興味が無さそうでしたので、タクシーに乗り、僕の馴染みの喫茶店へ行きました。

その喫茶店は気を利かせて、僕がいつも座るカウンターから離れた6人掛けのテーブルを用意して下さり、
そこに僕らは座って、コーヒーを飲みました。

小一時間ほど差障りのない話をして、タクシーに乗り、彼女の家へ行きました。

家に着くと、門が開け放たれて玄関は煌々と灯りが光っていました。

玄関から家の中に入ると、和服姿の祖母様が待っておられました。

後から聞いた話ですが、祖母様は僕の訪問に備えて、
和服を数着も出されて其々試着されては鏡に映して確認されていたそうです。

御家族とは、やはり差し障りの無い話を小一時間ほどして、お暇を告げますと、
両親に促された本人と小学生だった彼女の妹がタクシーの通る大通りまで僕を見送りに来ました。

こちらも半分は義理の様な見合いだという感じが有り、きっと先方も同じだろう、
と考えながらタクシーに乗り、彼女達へ手を振って別れました。

恐らく断りの返事が来るだろう、と僕は考えていたのですが、何と!僕の予想は外れて、
仲人さんから『先様は乗り気ですから、話を進めます。』という電話が有ったのは、その翌日でした。


僕は、愚妻の誕生日、結婚記念日、そして見合いをした日には、小さいながらも愚妻へ花を贈ります。

そして、ごく細やかですが、二人で食事をする事にしています。



画像一枚目は、例の如く僕が贈ったフラワー・アレンジメント

二枚目は、家内の希望で行った、『侑久上海 高砂店』の排骨麺(豚肉の衣にはカレー粉が混ぜてありました)

三枚目は、家内の好物である、酸辣湯面ですが、家内には酸味が足りなかった様で、
卓上に置かれていた黒酢を大量に足していました。
 

国を思えば、

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 7月12日(水)11時05分12秒
返信・引用
  国際連合は、何のために存在しているのでしょうか?

昭和初期まで、大日本帝国が加盟していたのは、国際連盟で、
国際連合は第二次世界大戦中の1943年に米国、ソ連、英国の外相会議で構想され、
大戦後に発足した機関で現在では殆どの国が加盟しています。

スイスは『永世中立国』ですので、加盟国と非加盟国の中立を維持するため、長い間、
非加盟でしたが、十数年前に加盟した様ですね。

『永世中立国』とは、随分耳障りが良い言葉で、僕が小学生の頃、
(今にして考えれば)熱心な日教組側教員だった僕の担任教諭は、
『永世中立を宣言して、絶対に戦争しない素晴らしい国!』と絶賛を惜しみませんでした。

純真だった僕は先生の言葉を素直に吸収していましたが、後で考えますと、
確かに自国は戦争をしなくとも、特に戦争に反対する立場でもなく、
あくまでも自国の利益のために中立を宣言していた、と思えます。

険しい山脈に囲まれた国土のスイスは、特に工業力は無く、豊富な水源を利用した発電、
宝飾類の加工、精密時計の製造の他、最も利益を上げていたのは、中立による絶対秘密保持が可能な金融業です。

特に、ヒトラーから迫害を受けていたユダヤ人は、その莫大な富を移住や避難に際し、
世界で最も安全と思われていたスイスの金融機関へ託しました。

しかしながら、御承知の通り、ヒトラーの政策によってユダヤ人は迫害を逃れる事ができず、
多くの人が非業の死を遂げました。

その方達がスイスの金融機関へ託した莫大な財産の行方は、大部分が行方不明だそうです…。


話が逸れましたが、国際連合を運営する費用は、少し前の資料ですが約52億ドル、
米国が最も多い22%を負担し、次が日本で12,5%、3位がドイツ8%、4位イギリス6,6%、
5位フランス6,1%で、中共は3,1%、ロシアは僅か1,6%です。

これは、国民総所得に基づいて分担が決まりますが、安全保障理事会の常任理事国では無い
日本の負担額が多いですね。

日本は安全保障理事会には参加できず、米国などが日本の意を汲んで提案した事でも、
僅か一国が拒否権を発動するのみで行使不能など、本当に馬鹿げています。

慰安婦問題などでも、日本の意見は殆ど反映されず、むしろ他国の間違った報告が取り上げられるなど、
全く日本の利益には適っていません。

国際連盟を脱退した時の松岡洋右外相(僕個人では全く好きではない人物ですが)の様に、
脱退する事を考慮するのも、国益に適うと思います。
 

また一つ、進みました。

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 7月 5日(水)11時36分26秒
返信・引用
  伯母宅に整理業者が入り、作業は蒸し暑い中で粛々と進みました。

業者にしてみれば日常の作業ですから、それが当然なのですが、
やはり身内の人間から見れば何か物哀しい気がしました。

物品が運び出される度に、『ああ、あれは伯母が愛用していた品物だ。』、
『あれは買ったばかりで、あの時は使い方を何度も説明した。』
『あの洋服と靴は、一緒に買いに行った。』等々、幾らか予想はしていましたが、
やはり思い出す事が多く、僕は途中から業者に任せて、伯母宅を離れました。

幸いに当日は曇りがちながらも雨は降っていませんでしたが、運び出す量を思うと、
『きょう一日じゃ終わるまい。』と思っていましたが、0900から始まった作業は、
ものの見事に1800に終わったそうです。
さすがは専門家ですねぇ。

とてもシロウトでは搬出出来そうに無かった大型冷蔵庫も、
彼らに掛かれば、いとも容易く軽々とトラックの荷台へ積み込まれた、との事でした。

作業終了後、伯母宅へ行きましたが、綺麗に掃き清められた室内は、当然ながらガランとして、
伯母の生活の跡は感じられませんでした。

仕方がない事とは思いますが、やはり伯母の存在を消してしまった様な気がして、
僕は少なからず罪悪感を覚えました。

しかし、これで伯母の遺志を活かす一歩が進んだのだ、と自分自身に思い聞かせました。

伯母さん、あなたの遺志の通り、

『家は解体した方が良いと思う、でもね、孫子の代でも絶対に売ったりしないでちょうだい。
それから、他人を住まわせるのも嫌。何か若い人の暮らしの足しになるようにしてちょうだい。
駐車場が良いかもしれないわね。お願いしますね、あなたに。しっかり頼みますよ。』

を、僕が必ず相続者に伝えて守らせますから、心配しないで下さい。
 

遺品整理

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 6月28日(水)11時14分24秒
返信・引用
  伯母が亡くなってから二か月近くになります。

好むと好まざるとに関わらず、そろそろ遺品の整理をしなければならない時期が来たようです。

最近は、『遺品整理』という業種も世間に認知されている様ですね。

僕の知人にも、それをナリワイとする人がいまして
(実は、引越・骨董品売買・遺品整理・古物売買などの何でも屋の様に思えます。)

その人に声を掛けました。

日時を決めて、伯母宅で待ち合わせ、伯母の家と遺品を見せました。


僕(花瓶を見ながら)『お~、これ、ホンマやったら国宝と違うやろか?』(←何故か怪しげな関西弁)

彼『違いますよ、いい加減な事は言わないで下さい。』

僕(棚の上の壷を手に取り)
『うわぁ~、これ、中島誠之助さんが見たら「イイ仕事していますねぇ!」と太鼓判の重要文化財並みの扱いだろう!』

彼『バカな事を言うと、他の品物の価値も下がってしまいますよ!』

僕(壁に掛けられた中国画らしい絵を見つけて)
『おお!これは某八幡宮で行われている蚤の市で良く似た絵を見た事が有る!確か、ン十万の値が付いていた!』

彼『ンなワケ無いでしょうが!その蚤の市には僕も出店していますから、良く知っています!』

僕(和箪笥を開けて伯母の着物を見ながら)
『遂に出た!この着物の生地を織った人は、近々人間国宝に指定されるらしい!』

彼『あのですねぇ、僕は着物屋のセガレだって、御存知でしょう?』

僕(半ばヤケクソで、棚に置いてあったイノシシの縁起物を指差して)
『これこそマチガイ無い!歴史に残る名品だ!コレが解らぬヤツの眼はフシアナだ!』

彼『時間が有りませんから、邪魔しないで下さい!』


彼はスマホで写真を撮ったり、メモしたり、中空を見上げてはブツブツ独り言を言いながら電卓を叩いたりし、

『え~、そうですねぇ…。本来ですと、お金になるのは2台のテレビ、
IHコンロ、洗濯機位ですが、あなたとの付き合いも長いし、こちらも愛想無しな事は言いません。
不用品搬出と処分費用と相殺して、ズバリ2万5千円下さるのでしたら、手打ちにしましょう。』との事でした。


伯母は酒類とタバコ販売店を営んでいましたので、大きくて古い冷蔵庫が幾つも有り、
2月には彼にタバコの自動販売機を無料で引き取ってもらっていました。

(タバコ自動販売機のメーカーは引き取り費用で税別2万円、他の産廃業者は税別1万円の見積もりでした。)

あの大きな冷蔵庫を産廃業者に処分を依頼すると、
恐らく10万円は下らない費用が掛かりそうでしたので、やはり彼の申し出は魅力的でした。

恐らく彼は、冷蔵庫の転売先に心当たりが有り、中でもコカ・コーラの冷蔵庫には
プレミアを見出しているのかもしれませんねぇ…。

また、壷や食器、その他の品物は蚤の市で売り、残った品物はフィリッピンへ送ると幾らかにはなる、との事でした。

これが『蛇の道は蛇』という事なのでしょうねぇ。

虎は死して皮残し、花は散りても香を残し、伯母は貴重な経験を僕に残してくれた様です。


画像一枚目は、数台が有る業務用冷蔵庫の一台。
置く場所さえ有れば、飲料専用冷蔵庫として魅力的ですが、
恐らく家庭内争議が起こるほど電気使用料が嵩むと思います。

画像二枚目は、50年以上前のコカ・コーラ純正の冷蔵庫。
可動なのか不動なのかは不明ですが、こちらも現在の冷蔵庫と比べれば大量の電気を消費すると思います。
しかし、キチンと掃除すれば、今ハヤリのレトロなインテリアとして好適でしょうね。

画像三枚目は、文中に出てきたイノシシの縁起物です。
金色が神々しく、また愚妻が亥年ですので、何だか偲びがたく、現在は我が家に鎮座ましましておられます。
 

『艦隊は動かず』

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 6月21日(水)10時58分51秒
返信・引用
  畏友、中川秀彦氏が新刊を出されました。

『艦隊は動かず』(牧歌舎)です。

日露戦争に於ける当時のロシア領で、本来はフィンランドであるリバウ港を出港したバルチック艦隊が
出港直後に英国の漁船を日本の駆逐艦と間違えて撃沈し、激怒した英国の外交戦術によって
燃料搭載や補給を予定していた各国の港へ寄港出来ず、
やっとの思いで到着した、仏領ベトナムのカムラン湾で石炭搭載や補給にベトナム人へ
無理を強いた歴史を小説化されています。


♪1、海路一万五千余哩 万苦を忍び東洋に 最後の勝敗決せんと 寄せ越し敵こそ健気なれ♪


中川氏は、この隠れた歴史を書き起こされるべく、十年以上前から家族を伴われてベトナムへ移住され、
現地でベトナム人が日本企業とのビジネスを興す為の専門学校を設立し、
その傍らで歴史資料を調査の上で、今回の出版を行われた様です。

僕が彼を知ったのは、2000年にP-WORLD上にマンハッタンのHPを掲載した頃、
G!様が『こんな海軍のHPが有りますよ。』との紹介を下さったのが始まりでした。

中川氏と初対面の印象は、飄々とした人柄ながら、目標に対しては完遂される強い意志を持たれた方だな、
というものでした。

その後、数回は僕が上京したり、中川氏が福岡へ来られたりしていましたが、
十年ほど前にベトナムへ移住された、と聞いた時には本当に驚きました。

しかし、それは今回の出版を意図されての事だったのですね。

その遠洋壮大な意気と実行力、そして隠れた歴史を書き残す、という気宇壮大な思いに、
心から敬意を表します。

中川氏こそ、平成の御代に於ける『大和魂』だと僕は確信しています。


♪2、時これ三十八年の 狭霧も深き五月末 敵艦見ゆとの警報に 勇み立ちたる我が艦隊


3、早くも根拠地後にして 旌旗(せいき)堂々荒波を蹴立てて進む日本海 頃しも午後の一時半

4、霧の絶間(たえま)を見渡せば 敵艦合せて約四十(しじゅう) 二列の縦陣作りつつ 対馬の沖にさしかかる

5、戦機今やと待つ程に 旗艦に揚がれる信号は 「皇国(みくに)の興廃この一挙 各員奮励努力せよ」

6、千載不朽(せんざいふきゅう)の命令に 全軍深く感激し 一死奉公この時と 士気旺盛に天を衝(つ)く

7、第一第二戦隊は 敵の行手を押さえつつ その他の戦隊 後より 敵陣近く追い迫る

8、敵の先頭「スウォーロフ(スワロフ)」の 第一弾を初めとし 彼我の打ち出す砲声に 天地も崩るる斗(ばか)りなり

9、水柱白く立ちのぼり 爆煙黒くみなぎりて 戦(たたかい)愈々(いよいよ)たけなわに 両軍死傷数知れず

10、されど鍛えに鍛えたる 吾が艦隊の鋭鋒に 敵の数艦は沈没し 陣形乱れて四分五裂(しぶごれつ)

11、いつしか日は暮れ水雷の 激しき攻撃絶間なく またも数多(あまた)の敵艦は 底の藻屑と消えうせぬ

12、明くる晨(あした)の晴天に 敵を索(もと)めて行き行けば 鬱稜島(うつりょうとう)のほとりにて 白旗掲げし艦(ふね)四隻

13、副将ここに降を乞い 主将は我に捕らわれて 古今の歴史に例(ためし)なき 大戦功を収めけり

14、昔は元軍(げんぐん)十余万 筑紫の海に沈めたる 祖先に勝る忠勇を 示すも君の大御陵威(おおみいつ)

15、国の光を加えたる 我が海軍の誉れこそ 千代に八千代に曇(くもり)なき 朝日と共に輝かめ♪


また、この本の発行日は、本年5月27日、日本海海戦に勝利した海軍記念日なのですから、
実に粋な中川氏の配慮です。


なお、海戦後に捕虜となったバルチック艦隊の水兵が、艦隊の出航当時からの動向と内部事情を
詳しく書き綴った労作が出版されています。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%84%E3%82%B7%E3%83%9E-%E4%B8%8A-~%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF%E8%89%A6%E9%9A%8A%E9%81%A0%E5%BE%81-%E3%83%8E%E3%83%93%E3%82%B3%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%82%A4/dp/4562045396
 

父の日

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 6月14日(水)11時51分23秒
返信・引用
  先日は、長男が岡山で開催されたリハビリテーション学会で講演を行ったそうです。

その翌日、『父の日』として、長男の妻の両親と僕ら夫婦を招いて夕食会をしてくれました。

あちらの御両親は御二方とも趣味がゴルフで、次の日は朝早いスタートらしく、長男も結構なテンポで接待してくれました。

画像一枚目は、岡山土産で名物の吉備団子ですが、何と!リハビリ学会用の特製品だそうで、団子に学会の文字が入っていました。

画像二枚目は、長男の講演内容を示すパソコンの画面ですが、門外漢の僕には全く理解できません…。

画像三枚目は、そのパソコンを見ながら長男の説明を聞いておられる、あちらの御両親です。

翌日に備えて、御両親は2030頃には帰られましたが、僕は相変わらず意地汚く2100過ぎまで残っていた焼酎を呑みながらクダを巻いておりました。

う~ん…、やはり学歴と知識の壁と差は大きいですねぇ…。


パソコンの画面を見ながら長男の説明に頷かれ、或いは質疑応答を繰り返される三人を傍観していますと、

頼もしいような、話題に付いていけない我が身が情けない様な、あちらの御両親が羨ましい様な心境でした。
 

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