投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


『うろん』を食べながら

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 5月17日(水)10時42分45秒
返信・引用
  4月10日に亡くなった伯母が遺した仕事に取り組んでいます。

92歳と高齢でしたが、女性ですので僕が入りにくい領域も多く、家内が手伝ってくれています。

家内には手数を掛けますので、そんな時の昼食は家内の希望に添う様にしています。

赤坂門界隈は世代交代なのでしょうか、新しい店舗が彼方此方に出来ていますね。

最近、地下鉄赤坂駅近くのビル地階にうどん店が開店されましたので、家内の希望で行きました。

赤坂門付近は、うどん、ラーメン、蕎麦など麺類の店舗が多いですね。

ラーメンでは『しばらく平和台店』さん、蕎麦、うどん、丼物では歴史ある名店の『信濃庵 総本店』さんを始めとして、
うどん店でも『松島』さん、『釜切り』さん等の個性的な店が有りますが、新しく開店されたのは『八幡うろん』さんです。

初めて暖簾を見た時、『門幡』と書いてある様に感じましたので、『かどはた』だろうか?
『もんはた』だろうか?と思いましたが、どうやら『八幡』で『はちまん』と読む様です。

『うろん』とも書いてありますので、もしかすると北九州市八幡のうろんなのか?
とも思いましたが、『うろん』と呼ぶのは福岡だけなのか、北九州でも『うろん』と
発音するのか、僕には分かりません…。

とにかく入店しまして、僕は『南関あげうろん』、家内は『水田ごぼううろん』を注文しました。

『南関あげ』は、熊本県南関町の名産で、スーパーマーケットでも入手できますね。
僕は、このアゲを味噌汁や鍋物に入れるのが好きです。
『水田ごぼう』は、熊本県菊池市で古くから稲作が終わった後の裏作物として栽培されている、
色が白くて柔らかいゴボウです。

『うろん』には『こんにゃく寿司』が付いていて、これは稲荷寿司の揚げの代わりにコンニャクを使ってあります。

『うろん』は、福岡には珍しい『きしめん』の様に薄くて幅が広い麺でした。


昼食を終えて伯母宅へ戻り、作業を続けますと、引き出しの中から十数枚の記念硬貨が出て来ました。

伯母が意図的に集めた硬貨ではなく、お客様が支払われた硬貨の中から伯母が取り出しておいた硬貨だろう、
と思いましたが、中には1964年の東京オリンピック記念の百円硬貨と千円硬貨も有りました。

伯母は、『公正証書遺言に記載されていない遺品は、すべて僕の二男へ遺贈する』と
記入していましたので、この硬貨は、僕の二男に所有権が移る事になります。

もう45年近く前、僕が中学生だった頃に東京オリンピック記念の千円硬貨はコレクターの間で
7000円位で流通していた事を思い出しました。

念の為に、『記念硬貨買取ります』等の広告を出してある店舗へ問い合わせてみました。

『今は、もう記念硬貨を集める趣味は廃れてしまっていますから、
額面通りの金額にしかなりません。銀行へ持って行って下さい。』
が、問合わせた数軒の店舗からの回答でした。

買取の対象となるのは、金貨や平成の着色記念硬貨だけだそうです。

こんな事からも『昭和は遠くなりにけり』を感じますねぇ…。
 

どんたく

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 5月10日(水)09時44分22秒
返信・引用
  『どんたく』が終わりました。

天神でパチンコ営業をしている頃は、最悪の連休でしたが、現在は当時を思い出すばかりです。

しかし…、『どんたく』には家内の友人が舞台に出演しますので、
家内や家内の友人達と舞台を見に行く事になります。

芸達者な方達と違い、その方面に僕は全く不調法ですので、出演して何が楽しいのか理解出来ませんし、
まことに申し訳ない事ながら、観ても楽しいと思える事は珍しいですねぇ…。

しかしながら、まぁ付き合いの一つとして例年、家内と拝観に出掛けます。

家内の友人が踊るのは、『ベリーダンス』という中東が発祥らしいダンスですが、
幾らか肉体を露わにして体をくねらせ、男性を挑発する様な踊りですので、
家内の友人を対象として観るのは異性として抵抗が有りますねぇ。

彼女は多趣味で、他にも様々なカルチャー講座に通っているそうですが、
特にベリーダンスには御執心らしく、宴席やパーティー等の機会があればベリーダンスを
披露しているそうです。

また、家内とは中学の同級生ですが、僕の長男の大学の大先輩であり、
福岡市内で皮膚科クリニックの院長先生でもあります。

例によって踊りが始まる時間の少し前に舞台へ僕らが着きますと、
彼女は僕らを目ざとく見つけて、何故か僕の事を『パパ~、きょうも来てくれて有難う!』と
手を振りながら近付き、皮膚科の診察そのままに僕の手を握ったりします。

(特に意味は無いらしいのですが、皮膚科医の習性として彼女は傍にいる人の手を握ったり
体を触ったりする事が多いですね。)

そんなこんなで今年も彼女の舞台を二日間、堪能させて頂きました。

しかしながら、いつもの事ですが、目の遣り場に困る事も事実ですねぇ…。
 

つけ麺

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 5月 3日(水)09時14分31秒
返信・引用
  殆ど毎日、赤坂門の駐車場と駐輪場へ清掃と点検に行くのですが、最近は赤坂門付近にも外国人旅行者が増えましたね。

ガイドブックやスマートフォンを片手に歩きながら、同伴者と話しておられる姿を良く見掛けます。

また、駐車場や駐輪場の掃除をしていると、土地勘が有ると思われるのでしょうか、
ガイドブックやスマートフォンを持っておられても道に不案内な方から道を尋ねられる事
も増えました。

その方法も様々で、お国柄や人間性が良く出ている様に思います。

丁寧に英語や日本語で尋ねる方、黙って地図や店名を指で示し肩をすくめる方、
強引に腕を掴んで自分の方に引き寄せてガイドブックやスマートフォンを見せる方等など…。

こちらも困っておられるようですので、出来るだけ協力をする様にしていまして、
拙い英語で道順を説明していますが、中には説明を聞こうともせずジェスチュアーで
『一緒に来てくれ!』と示される方も少なくありません。

その様な方達が探してある店舗は、まず手頃な価格であるらしい居酒屋さん、
中々予約が難しいらしいモツ鍋屋さん、長い列が出来ているツケ麺屋さんですね。

そのモツ鍋屋さんには一度だけ行った事が有りましたが、ツケ麺屋さんには行った事が有りませんでした。

先日、家内の友人が某イベントに出演する事になり、その鑑賞?と駐車場と駐輪場の
清掃と点検を兼ねて赤坂門へ行きました。

思ったよりも早い時間に着き、清掃も捗りまして、昼食時になりました。

家内と何を食べるか相談しましたら、家内が『ツケ麺屋さんに行こう!』と言いますので、そうしました。

既に店外まで行列が出来ており、20分ほど並んだところで店員さんが
『はい、二名様ですか?どうぞ食券を買って下さい。』と案内されました。

僕は最もポピュラーらしいツケ麺、家内は四月限定の煮干ツケ麺を選びました。

大盛りは150円増し、との事ですが、200グラムの普通麺と300グラムの中麺は同じ価格、
との事でしたので、僕は中麺、家内は普通麺でお願いしました。

更に並ぶ事10分位で店内の席へ案内されて、やはり10分程度の待ち時間で注文品が供されました。

かなり麺は太めですが、ツケ出汁は温度が低めですので、猫舌でも犬舌でも大丈夫です。

しかし、やはり中麺の量は多かったですね…、もはや僕のトシでは普通麺の方が良い様です。

それでも完食しまして、残ったツケ出汁に割り専用スープを入れて、少し味わいました。

家内が食べたのは、画像二枚目の『四月限定 煮干し』普通麺で850円、煮干しが効いています。
僕が食べたのがスタンダードらしい、画像三枚目の『辛辛麺』中麺です。

一見すると唐辛子が山盛りですが、魚粉の上に唐辛子が盛ってあります。
魚粉の舌触りで好みが分かれるとは思いますが、いやはや大繁盛でした。
 

家内の車を買い換えました。

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 4月26日(水)11時28分46秒
返信・引用
  家内が使っている自動車も9年近くになり、走行距離は92,000キロを超えました。

数年前の夏にはエアコンから温風が吹き出す、という故障が起き、
その際にディーラーの見積もりは15万円!だったのですが、僕が確認すると、
どうやらヒーターからの温風とエアコンからの冷風を制御するフラップ・モーターの故障ではないか?と、思えました。

取り敢えず、ディーラーへは修理に出さず、知り合いの電装工場へ入れました。

ディーラーへ修理に出すのでしたら、引取り納車も行って下さるのですが、
知り合いの電装工場には人手が有りませんので、久山町の工場まで運びました。

結果は、僕の予想通り、フラップ・モーターの交換のみの修理で、部品工賃消費税を合わせて18,000円で足りました。

昨年位からはオートマチックのギア・ボックスが不安定になり、停止寸前や発進間際に
大きなシフト・ショックが感じられ、ディーラーへ修理を依頼しましたが、
『試乗しても、特に異常は有りません。どうしても、と仰るのでしたら
ギア・ボックスを新品へ交換しますが、40万円ほど掛かります。』との事でした。

フツーのモータースでしたら『リンク品』と呼ばれる、廃車から取り外した中古品をオーバーホールしたモノに交換して
安く修理できるのですが、さすが天下のトヨタ系列では、その様な事はしない様でした。

それで暫くは、『やっぱりオカシイよねぇ。』等と言いながら乗っていたのですが、
今年の三月初め頃、エンジン・オイルの油面低下を知らせる警告灯が点灯しました。

ディーラーの話を聞きますと、『元々、このテのエンジンは少々オイルを食う傾向が有りますが、
それにしましてもメーカーの推奨通りに整備を受けられていますので、こんな現象は珍しいですねぇ…。』との事でした。

『もう9年近く乗っているのだし、走行距離も9万キロを超えた。10万キロを超えると中古車査定は付かなくなるし、
ちょうど年度末でもあるし、何か適当な在庫車が有れば買い換えようか?』
と、家内と相談が纏まり、営業マンの話を聞きましたら、

『今乗っている車より少し上のグレードの車両に多くのオプションを取り付けた車両が残っており、
年度末なので思い切った価格で出せます。』との回答でした。

早速、見積もりをお願いしましたら、グレードが上で豊富なオプションが付き、
しかも9年前の価格よりも安い金額が提示されました。

渡りにフネ、と早々に契約し、納車を待っているところに、伯母の病状悪化と死去が重なりましたので、
事態が落ち着くまで納車の延期をお願いしました。

納車の日、いつもながら世話になって下取りされていく車と新しい車の撮影をしました。

そして、姪が巫女として勤めている神社にて『車祓い』をお願いしました。

家内は嬉しそうですが、僕は何かブツけてしまいそうな気がしますので、まだ運転するのは怖いですねぇ。


画像一枚目が9年間も頑張ってくれた車両で、二枚目が新しい車両です。
これから9年乗ると、僕達の年齢は…、想像するとオトロしいですねぇ…。

新旧ともにナンバー・プレートは『3960』ですが、この数字は亡き愛犬『斬九郎(残九郎)』に敬意を表しています。
 

これからの事。

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 4月19日(水)11時06分32秒
返信・引用
  伯母が残して行った仕事をしています。

都市ガスを解約し精算、電気と水道は精算と名義変更、電話は休止。

郵便貯金と銀行預金、信用組合の口座凍結。

銀行と信用組合は元銀行員の二男が引き受けてくれましたが、伯母は注意深い性格でしたので、
幾つもの銀行と口座に分散されており、しかも一日の営業時間では2~3件の処理しか出来ない様です。

また、固定資産税の引き継ぎと納付、今年の所得に対しての仮確定申告というモノも有るそうで、
更に月極駐車場の契約者変更と振込口座の開設も有ります。


宗教的な行事では、四十九日法要と納骨が有りますが、納骨は生前の早い時期に伯母が納骨堂を
買っていましたので、心配は要りません。

現在、伯母は我が家の居間に設けた祭壇で、僕と二男の仕事を見守り待っているのかもしれません。

上記の作業と四十九日の法要が終われば、伯母が残した公正証書を実行しなければなりませんが、
その執行者として指名されているのは、やはり僕と二男です。


そんなこんなの中で、先日は二男の長男、現段階で僕の一番幼い孫の誕生日でした。

二歳の誕生祝いは、二男宅に長男一家、二男一家、それに僕ら夫妻で食事をしました。

食事は二男の妻が作った料理と、長男の妻が持ってきた料理を食べました。

息子達と嫁、そして孫達の顔を見ながら話をしながら、一人で生きてきた伯母の人生を思い、
そして自分の行く末を考えたりしました。
 

ついに逝く 道とは予て聞きしかど きのうきょうとは思わざりしを

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 4月13日(木)11時10分27秒
返信・引用
  ほんの少し前に、療養中の病棟で92歳の誕生日を祝って頂いたおばですが、まことに残念ながら
4月10日 月曜日 午後4時38分、容態が急変し、帰らぬ人となりました。

僕は午後2時20分から午後3時まで病室に居る時は、それほど悪くなく、『伯母さん、また明日来ますね。』と、
手を握りながら声を掛けますと、手を握り返して目が動きましたので、『まだまだ、大丈夫だろう。』と思いながら病室を出ました。

その後、午後4時過ぎに家内と二男が病室を訪れ、いつもの様に脚等を摩っていたのですが、午後4時20分頃から脚の色が変わり始め、
医師と看護師が来て下さった直後に息を引き取ったそうです。

家内と二男が看取ってくれたのは幸いでした。

当日の内に斎場へ行き、その夜は駆けつけた長男と二男が斎場へ泊まり、翌日の夜が通夜、そして亡くなった日の翌々日、
昨日が葬儀でした。

通夜の後も長男と二男が伯母の側に付いて夜を過ごしました。

昨日12日、お陰様にて葬儀、火葬と収骨を済ませました。
生前の伯母の言いつけ通り、通夜も葬儀も、ごく身内だけの参列でした。
 

忝なさに涙溢れる。

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 4月 5日(水)10時54分43秒
返信・引用
  昨年末に伯母が入院しましたが、伯母の行きつけだったクリニックから紹介されて入院した病院は救急病院でしたので、療養に相応しい病院への転院を勧められて1月に転院しました。

転院に関して、幾つかの病院を紹介されましたが、伯母の希望は、『家の近くでなければ嫌!』という事でした。

伯母の希望を満たす病院は、確かに伯母の家から僕のアシで10分以内ですが、当時は満室で、『空室が出るまでは他の病院へ入って待って頂く事になります。』との事でした。

ただでさえ家に帰りたがっている伯母に、転院の為に別の病院へ転院とは、どう説明すれば良いのもやら…、
と思案投げ首していました。

伯母が入院していた病院の地域連携室が、伯母が希望する病院へ連絡をして下さり、
その病院から面談の日時指定が有りました。

面談は本人とではなく、僕が受ける事となり、指定された時間に病院へ伺いますと、
担当医師、看護師長、看護師、ソーシャルワーカーの皆様がお揃いでした。

伯母の病状は連絡されており、面談の内容は僕と伯母の関係、伯母の性格、入院費の支払い責任、
伯母が入院した際には週に何度くらい面会に来る事が可能か、等でした。

一時間半位で面談は終わり、
『それでは、病室が空きましたらお知らせします。それまでは他の病院に待機入院、という事になるかもしれません。』
との事でした。

それも仕方ないなぁ、と思いながら、しかし伯母には何と説明して納得させるかなぁ?と考えながら、帰りました。

しかし、何と!その翌々日に、『部屋が空きましたから、明日から入院して下さい。』と、
天にも昇るような電話が有りました。

伯母に『希望通りの病院が見つかりましたから、転院しますよ。』と告げ、退院手続きをして、
地域連携室の方に御礼を申し上げ、転院先へ行きました。

入院の手続きを済ませましたが、さすがに療養専門の病棟ですので、
救急病院とは違う雰囲気で、病室は穏やかな空間です。


その病院で約二ヶ月が過ぎ、伯母は92歳の誕生日を迎えました。

病室のカレンダーには早くから『92歳の誕生日』と看護師が書いて下さり、
『お祝いをしますから、ぜひ来て下さいね。』と僕にも予告が有りました。


その日に僕と二男は病室へ行きましたら、医師と看護師が『♪ハッピーバースデー♪』と
歌いながら手作りのクス玉、ケーキ、帽子等を持って病室へ来られ、お祝いの手紙を下さいました。

今まで独り暮らしだった伯母、恐らく何年も祝われた事が無かった誕生日なのでしょう。

とても嬉しそうでした。

本当に素晴らしい病院です。
 

学位記

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 3月29日(水)10時55分18秒
返信・引用
  御蔭様で、長男に『医学博士号』が授与されました。
17歳で医師を志してから、17年間の道のりです。
全く、良い指導者と理解者に恵まれた賜物として、心から御礼を申し上げ、また本人の努力を称えたく思います。

よく長男は、『僕らの世界では、医師であることは当然で、それから先に、何が出来るのか?を問われている。』と言っています。
僕自身は踏み込む事が出来ない世界ですので、彼らの事情は長男と嫁から聞くのみですが、同じ医師という職業でも様々な人種が存在されてある様ですねぇ。

また、長男は整形外科学会の専門医試験に合格し、晴れて『整形外科専門医』を名乗る事が出来る様になったそうです。
内輪の話ですが、『専門医』になれば、厚労省の基準に従い、診療報酬が一時間@1000円増額される、との事でした。
一般的な職業で、時給1000円は珍しいと思いますが、そんな中で1000円の増額とは凄いものだ、と改めて思いました。
診療報酬は細かく定められているらしく、例えば、救急治療時の心臓マッサージは一時間@6000円だそうで、
かなり体力を要する割には、報酬が少なく感じられる、との事でした。

何はともあれ、医学は日々進歩していますので、『もう、これくらいで良いだろう』という事は絶対に無く、毎日毎日が
症例の積み重ねと学習なのでしょう。
今後共、患者様と世の中の為、そして自分自身の為に研鑽を重ねる事を望んでいます。
 

必ずしも、1+1=2になるとは限りません。

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 3月22日(水)10時43分21秒
返信・引用
  『元々、それほど駐車場の需要が多い場所では有りませんので、駐車台数を2倍にしても
2倍の駐車料金を得る事は無い、と思います。』

『拡張工事期間は2ヶ月ほど掛かりますし、付近には小規模ながら時間貸し駐車場が増えていますので、
希望される駐車料金を得られるまでには相応の期間が必要だと思います。』

等々、危惧される点を縷々具申していましたが、
『分かっとる。君の言う事は良く理解している。しかし、時期的には今をおいては無いだろう?
ど~しても実行したい!是非、やってくれ!』との事で、始めた某駐車場の拡張工事でした。


拡張工事が終わり、再オープン後、一ヶ月が過ぎましたが、駐車台数と料金は、
拡張工事以前と余り変わらないのは、殆ど僕の危惧した通りでした。

しかし、僕の気持ちとしましては、『今から転勤や入学シーズンで人や車の流れが変わる。
黄金週間を過ぎれば、少し良くなるだろう。』という感じです。

しかし、『大金を掛けて駐車場を拡げた。看板も付けた。電光掲示板も思い切ってフンパツした。
勿論、幟旗だって出している。なのに、以前に比べて駐車台数が増えないのは、ど~して??
何が悪いの??』と考えられる御仁も居られるのですねぇ…。

だぁかぁらぁ、何度も何度も、冒頭の様に念には念を押して、
それを了解されたから、拡張工事を行ったのでしょう?

こちらは、平日は勿論、土日祭を問わず駐車場へ日参して、駐車台数と売上をチェックしているのですよ。

それを今更、『思うようにならんなぁ。』と言われましてもですねぇ、こちらは返答のしようがないのですよ。


そんなこんなの一ヶ月が過ぎ、『とにかく、何か妙案を出せ!』と厳しく言われ、
この道のエキスパートで相談に乗って下さっている、駐車場機器販売業者と現場で待ち合わせ、
何か対策を考える事にしました。

しかし、出来る事といえば限られていまして、
『電柱の管理会社と契約を結び、電柱に案内看板を取り付ける』、
『付近の住宅と契約して、住宅の塀に案内看板を取り付ける』くらいなのですが、
それだって毎月の契約料はバカにならないでしょうし、
何より時間貸し駐車場は数百円の商いなのですから、そんなに予算は掛けられません…。


アレコレ考えながら駐車場機器販売業者との約束の時間に現場へ行ってみますと…、

『アッと驚く為五郎!』

満車でした。

満車の理由は簡単明瞭、近くの大学で卒業式が挙行されていたのでした。

それで、駐車場機器販売業者のアドバイスは、
『とにかく、付近に駐車場が増えていますので、長時間駐車される方の為に最大料金を
思い切って下げては如何でしょうか?
現在は1000円ですが、付近には800円の所も有りますので、いっそ600円にしてみましょう。』
との事でしたので、直ぐにオーナーへ電話連絡で了解を取り、その場で料金看板の修正を依頼しました。

早ければ、24日の金曜日から変更の予定です。

世の中には、フツーの算数が通用しない事が多いのですよ。
 

赤坂門

 投稿者:元・マンハッタンの釘曲げ屋メール  投稿日:2017年 3月15日(水)10時56分8秒
返信・引用
  既に、新聞やテレビ等で御案内とは思いますが、戦後直ぐに建築された、赤坂門市場は
昨年9月末で各店舗の退去が終わり、閉鎖されました。

その後、年が改まりましてからも特段に変化は無く、近くの駐車場を管理している僕へも
『跡地は、何が建つのでしょうね?』という質問が寄せられていました。

土地を所有されてある方は、医学博士で某大学の理事と教授も務められてあるらしい方
ですので、まるで僕には想像も付きません。

正しく、『燕雀、いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや』の世界ですねぇ。

僕も、親戚や両親が市場付近で商売を営んでおりましたので、この市場には少なからぬ郷愁が有りました。

あの頃、そう東京オリンピックの前後が、この市場が最も賑わっていた頃だと思います。

その頃の僕は幼稚園に通っていた位で、夕方近くになると市場は沢山の買い物客で賑わい、
幼児が市場の中を歩くのは危険さえ感じるほどでした。

魚屋さん、八百屋さん、米屋さん、花屋さん、小間物屋さん、お菓子屋さん、食料品屋さんが
軒を連ねて、当時は一通りの生活物資を調達できる市場でした。

僕は、殆どの商店主と顔馴染みで、特に鮮魚店の御主人には可愛がって頂きました。

昼過ぎの少し手隙の時間帯に、市場の中で歩くでもなし遊ぶでもなしにしていると、
魚を捌いている手を休めた御主人が、『坊や、ちょっと付いて来なさい。』と僕の手を取り、
市場内の通路を歩き、お菓子屋さんや食料品屋さんを覗き、
『ほい、何でも好きな物を取りなさい。』と、当時の価格で十円か二十円位の品物、
それはチョコレートであったり、魚肉ソーセージであったり、そんな物を買い与えて下さいました。

魚屋の御主人が買って下さった好物には、少しだけ御主人の手から魚の匂いが移っていたのを懐かしく思い出します。

勿論、僕の母親も毎日の食料品の大部分を赤坂門市場で買っていました。

件の魚屋さんからは、母親が河豚、伊勢海老、雲丹等を買う事も有りましたが、
御主人の手で丁寧に調理された魚類は美味しく、今では老いさらばえた母親も当時を思い出しては、
『当時としても高級だったけれど、そんなに高くは無かった。』と言っていました。


昨年9月の閉鎖間際まで営業されていた果実店も昔からの顔馴染みで、
僕は一週間に一度くらいは親戚の高齢者を訪問する際の手土産に果物を買っていましたが、
その果実店の方は市場閉鎖が決まってから、『どこかへ移らなければならないが、どこにしたものやらねぇ。』と迷っておられました。

幸い、大正通りを渡って、有名割烹の稚加栄さんの前にあるマンションの一室へ引っ越されましたので、
僕も相変わらず週に一度くらいの割合で、やはり親戚の高齢者へ持参する果物を買いに行っています。

そんな郷愁が沁みた市場ですが、愈々解体が始まりました。

前出の果実店の看板が外されると、その果実店の前身である店舗の看板が現れました。


それに合わせたわけでは無いのですが、昨年末から入院している伯母も永年経営していた
酒屋とタバコ販売を廃業する事となり、僕が代わりに諸々の手続きを行いました。

また一つ、昭和が遠くなりますねぇ。
 

/70