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猫道 (1)

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月30日(日)19時14分41秒
  通報 編集済
  .

          猫道(ねこどう) (1) 2002-2009 




   氏の作品の中に猫が時々でてくることに気が付いたのはいつのことだ
   ろう。愛玩動物ではない。あくまでも観察対象としてである。
   告白だろうか、「我が儘でマイペースを押し通し、おまけに相手構わ
   ず毒舌を吐いては不興を買う」とあった。
   無口で神経質、だからこそ群れることを嫌い独り(一匹)を選び我が
   道を行く…。 自分の姿を猫に見たのだろう。
   猫道散歩ならぬ、「ねこどう」を貫き通す生き方をしてきたようにも
   見える。




窓辺にて-遠い昔の話 2002/4/25

    少年のころの話である。
    いつも側に一匹の犬と数匹の猫そして時には兎がいた
    飼っているようで、そうでないようで
    なんとも悠長な関係であった
    猫や兎の名前はそのときどきで変わったが
    犬の名は代々「ベル」であった
    「ベル」が死んだり、行方不明になると
    どこからともなく野良犬が住みつき
    「ベル」という名を引き継いだ
    不思議なことに彼らのほとんどが
    雑種のおとなしい性格の赤犬であった
    近所の子供にも親しまれ
    友人の妹に私のことを「ベルのようにやさしかね-」と
    形容詞として使われるほどであった
    大人になった私は家をでていったので
    「ベル」がその後何代続いたかは知らないままである




窓辺にて-吉行理恵詩集  2002/7/6

公園の向こうのビルディングの夏蔦はすっかり茶褐色の無惨な姿に
なってしまった。あのまま根を絶たれなければ勢いよく壁面を覆い
尽くして、涼しげな装いで人々の目を楽しませてくれただろうに。

「吉行理恵詩集」を三省堂で求めてきた。
本を手にとってみると、「立原道造」について傾倒していることを
知った。これもこの本を買う気になった理由でもある。
立原道造は建築を学び、パステル画をよくし、また詩人でもあった。
しかし二十六歳の若さで夭折したのが惜しまれる。
数ヶ月前東大の周りを散歩中、偶然弥生町に瀟洒な三階建ての
「立原道造記念館」をみつけた。絵や小さな建物のスケッチや詩集
を眺めながら、東大に学んだ彼のために隣接したその地に記念館建
てられたということは、よほど愛され、早世を惜しまれたにちがい
ない。

         流れ星

    猫は
    明るい星
    窓枠に 肘をつき
    部屋のなかを 見守っている

    日の中で
    綾取りを繰り返す 姉妹

    縁者たちにかこまれて
    お婆さんはうわごとを言う
    「うたたねしながら 死にたいわ」

    その瞬間 星が流れた

              吉行理恵詩集より




この暑いのに 2002/7/10

いつも事務所に出勤する近所の道筋にサッチーにそっくりのペルシャ猫がいます。
このクソ暑い中、目がどこについているのか、口はどの辺なのかも判らないほど深い毛皮を着
込んでいます。口のまわりはそのため、飲み物や食べ物をくっつけフェルト化しているのを見
ると気の毒になります。いっそのこと毛皮を脱いで、きりっと糊のきいた浴衣でもきて氷菓子
でもつつきながら夕涼みしたらどんなによろしいか、見るたびに可愛そうになります。




写真投稿の件 2003/1/19

写真をイメージスキャナーでとってJPG形式なおすと書きましたが、デジタルカメラで撮り
ますと自動的にJPG形式のファイルなります。

「うちの猫の高笑い」とか「どじな犬の失敗」とか、「1年遅れの還暦祝い」等、珍しい楽し
い身近の情報を管理者あてにE-mailでfileをどんどん送って下さい。(メッセージ
をつけて)

管理者のメールアドレスは画面の一番下にあります。




本郷界隈 2003/2/16

本郷は不思議な坂の街である。
 日頃は気づかぬのに、休日の朝や勤め帰りの夕方人通りがなくなると突然違う町並みに見え
てくる。嗚呼この道は坂だったかと初めて気付くのである。どのような路地も決して平坦では
ない。
なにげなく感じてはいるのだが、その勾配が微妙なだけに毎日通っていてもはっきりと意識す
ることがない。

 また坂道であれば当然下りが続くと思っているが、本郷の路地裏の坂道だけはすこし日頃の
思いこみと違う様相を見せている。一度下って必ずまた登っているのである。なぜ錯覚するの
か、どの場所が一番高い所か思い巡らしたことがある。

 私の観察によると、どうも本郷通りと壱岐坂の交差点あたりが一番高いような気がする。し
かしそれも確たる自信はなく今いる場所が一番高いような気がする。自分が立っている目の高
さだけこちらの方が坂の上と感じる。しかし少し進んで振り返るとこちらの方が坂上に見え今
来た道に向かって下っているように見えるのが不思議である。だから通りごとにこっちが高か
ったり坂下だったり感じてしまうのである。

 そしてしんと静まりかえった通りの常日頃と違った様相は新鮮で未知の場所に迷い込んだ趣
がある。私はそのような路地裏(猫道)を野良猫のように散策することが好きである。




写真を投稿してやってください 2003/8/27

実際の各氏は人格高潔、高邁、円満で決してそうではないのだが、いかにもこれから「飲み」
「打つ」「買う」に出かけそうな不良老年にみえるこの写真はいささか見飽きたと公園の野良
猫が
言ってました。どなたかこの暑さを忘れるような清々しい写真を管理者に投稿してやってくだ
さいませんか。                  管理者の代理人より




窓辺にて-猫道散歩 2003/9/8

 文京区は坂道の多いところである。夏目漱石の「三四郎」にでてくる「団子坂」、石川啄木
が通った「切通坂」「真砂坂」、樋口一葉の住んでいた「菊坂」など、ちょっと歩けばたちまち
明治大正の文学の世界に入り込む。

 今日は「鼠坂」(ねずみさか)のあたりを探検にでかけた。左に椿山荘を右にお茶の水女子
大を望む高台に挟まれた谷間を護国寺に向かって通る「音羽通り」の近くである。地図で今宮
神社を目標に定めたのだが、 大きな「音羽通り」よりももう一本右を走る高台の細い通りの
「鷺坂」(さぎさか)を選んだ。いつもの猫道愛好家としては当然の帰結である。

 「鷺坂」を北に向かってしばらく進むと八幡坂の手摺りの附いた階段へと続く。登りきった
ところに何やら由緒ある大きな古い洋館が木々の間に見え隠れした。住んでいるのか居ないの
か人影もない。猫がゆったりと道を横切る。

 私は以前にも車一台やっと通れるようなこの細いに迷った経験を思い出した。小石川植物園
の裏手の住宅街で行き止まりで苦労したことや、西片の辺もこのような路地が続いていたと思
う。高層ビルも見えず車の騒音もまったくない静まりかえった様子は「これでも東京のど真ん
中か」と驚くほかは無い。だから私は後ろから近づいてくる車に気を使うことなく散策できる
猫道が好きだ。

 今宮神社に着くだろうと考えていたのだが、どうも間違ったらしく一向にそれらしきものは
ない。どうせそれほど拘るほどの目的がある訳でもなく、そのまま歩いているとその路地の突
き当たりに地図を描いた看板が立ててあった。よく眺めているとあの古色蒼然とした屋敷の洋
館が音羽御殿といわれる鳩山会館であったことを迂闊にもその時気づいた訳である。左手に向
かって急な階段になっている鼠坂(ねずみ)に片足をかけて思案していると、まるで一昔前の
文筆を生業とするような和服姿の男が現れた。おまけにまだ残暑の厳しいなかコートまで羽織
っている。五十年前の時代を飛び越して現れたようすでひげの青々とした散切り頭が胡散臭げ
に私を見て通った。

 そう言えばはっきりと思い出せないがここ小日向や音羽近辺に有名な小説家が住んでいたと
聞く。この辺りには今でも時代が交差したような空気が漂っていて私を小説の世界へ引き込む
ようで、今宮神社の祭礼の太鼓の音が遠く高台の下から聞こえてきて、明治か大正の時代に紛
れ込んだような心地がになった。




努力をしてますが・・・。 2003/12/21

ギャラリーの写真、一週間に2・3度は取り替えるつもりですが、なにせソースが集まってき
ません。出かけるときはいつもデジタルカメラを携帯するのですが、たいてい食指の動く景色
に行き当たらず、また美しいなと思うような夜景なども当方の写す技術が不足していてうまく
行きません。旅行の時のすばらしい思い出の景色・庭の美しい花々の姿・ドジな犬・洟垂れ猫
などのほほえましい写真を募集します。掲載欄を管理者一人でまかなうのはちょっとしんどい
ので皆さんのご協力をお願いします。




アクセス20000ゲット 2003/12/25

遂に20000番目のアクセスに成功。朝から狙っていたかいがありました。
楠葉さん、骨折したとはお気の毒に。徒然草第八九段の「猫また」に襲われての災難ではあり
ませんか。吉田兼好は現代に立派に通用する実に合理的な考えの持ち主のだと小生は思いまし
た。




ポケットパークの晩秋 2004/12/10

ギャラリーの写真は都会の中のポケットパークのケヤキの紅葉です。暦の上では冬の走りです
が木々の葉はいまだ晩秋の面影をとどめていて、これからははらはらと舞う落ち葉が楽しめる
ことでしょう。

この公園はヒチコックの「裏窓」に出てくる中庭を思いださせます。この時間の写真はうらぶ
れて寂しげな様子ですが早朝はホームレスがやってきて白い野良猫に餌をあげ、昼は若いサラ
リーマンが弁当を広げ、午後は小さな子供達が遊びにやって来ます。眺めていると色々人生の
縮図を眺めているようで飽きることがありません。




猫道散歩 2007/9/22

今日は神田明神まで行って、男坂を下り湯島天神まで回り道をする。最近は路地裏の「猫道」
をよく歩く。そして野良猫の生態を観察すると結構面白い。
野良猫は人間にたいして不信感があり警戒心がつよく、なかなか近づけない。つねに車の下や
狭い塀の間の逃げ込む場を意識しながら行動している。いくら近所の人が餌を与えている様子
でも野生の性質が抜けなくて、人が近づくと物陰に走り込む。
仕官先の庇護のもとに安定した暮らしと愛情をうけている飼い猫はその点、人間を敵と見なさ
ないので、近づいて触れてもすぐに逃げ出すことはない。写真は家の中から余所の猫を見てい
る5匹の飼い猫達。

      




里親募集中 2007/9/25
(抜粋)

◆ 早朝の散歩の時に電話代を振り込むために近所のセブンイレブンに立ち寄る。店
を出ると、とあるビルの壁面に「里親募集中」という子猫の写真のビラが貼ってあっ
た。血統書付きの高価な猫ではないようだが、将来下町の看板娘になりそうな可愛い
子猫である。
◆ 我が家のベランダから見るポケットパークの白の野良猫は、日がな一日空調の室
外機の上に寝そべり見事に怠けて何もしない。自転車でどこからかやってくる年取っ
たホームレスから食べ物を貰うときだけは、滑り台の上にお出ましになるのだが、夜
は餌を探すとか、縄張りを見回るとか真面目に仕事らしいことをしているのだろうか。
メールの返事を書くとか、部屋の掃除をするとか、忙しい私にその「猫の手」を貸し
てくれないだろうか。
◆ 動物が飼える環境であれば、犬もいいが私は猫を飼いたい。犬が飼い主に愛嬌を
振りまき忠誠を誓う姿をみるとどうも惨めに見えてきて、己の内にもそのような媚び
やへつらいが潜んでいるように思えて閉口する。
その点猫は実に自己中心的で、死んでも嫌なことはしない、出来ない、といった風情
が孤高の精神を保っているようにみえる。 打算と妥協の渦巻く今の世の中でその姿
を私は羨望のまなざしで見ている。

      




湯島天神辺りを散歩 2007/10/4
(抜粋)

◆ 久しぶりに晴れる。家の前のポケットパークに見慣れない虎模様の子猫がいた。
帰りにペコチャンの飴をやったら、美味そうに食べていた。
◆ この不二家の懐かしの飴は朝食前の散歩に必要な医者から勧められた「血糖値」
不足を補うためのもので、常に携帯しているものである。「血糖値」をさげる糖尿病
の薬を服用しながら、下がりすぎたらチョコレートや飴を舐めるようにという医者の
指導だが、じつに治療方法としては原始的だとあきれる。まるでマッチで火をつけて、
燃え広がるとポンプで消すようなものだ。

◆ 野良の世界も子猫が自分で餌を探して生き延び、やがておとなに成長するには至
難の業であろう。真っ白とか真っ黒とかあるいは器量が抜群によいとかの特徴があれ
ば、拾われて安泰の生活を約束されるだろうが、どうもぱっとしない様子の猫は目も
見えないうちに捨てられるのが落ちだ。捨てられた猫をみるとたいてい野良猫特有の
模様のが多いような気がする。どのような模様の猫が野良猫になりやすいかいつか統
計でもとってみるか。




探偵家業 2007/10/5

◆ 犬は人に付き、猫は家に付くといわれる。そして猫は一寸した環境の変化でよく
家出するという。例えば家の模様替えをしたとか、奥さんの香水の種類を変えたとか、
ご主人が突然変な音楽に凝りだすとか、日向ぼっこの場所を横取りされるとか、日頃
人間には許容できる範囲の我慢も原始本能の強い猫にとっては許し難いことに違いな
い。
◆ さて、もう一つの職業を選ぶとすれば、私はフィリップ・マーローやエラリー・
クインのような探偵家業をやってみたい。時には変装し、時にはカーチェイスをし、
クライアントに依頼された捜索や謎ときをはたしてなにがしかの金を手にするのだ。
暴力的ではあっても「女性には優しく、男にはつれなく」なければいけない。
◆ 探偵の業務は、「調査」と「工作」に大別される。
素行調査 ・浮気調査・家出人探し・債務者探し・裁判の証拠収集・ストーカー対策
・過去調査・特殊工作・別れさせ工作・リストラ工作・統合失調症工作・痴漢冤罪工
作などである。そしてその経費はどれくらい掛かるだろうか。
素行調査・・・10万~500万・浮気調査・・・50万・家出人探し・・・50万~500万・
・・裁判の証拠収集・・・50万 ・ストーカー対策・・・40万・別れさせ工作・・・
200万・リストラ工作・・・150万
◆ 探偵が常に携帯している7つ道具とは、テープレコーダー・小型懐中電灯・折り
たたみ傘・日よけの帽子・メガネ・単眼鏡・ビニール袋・現金と運転免許証・ピンホ
ールビデオカメラ・CCDカメラ・暗視スコープ・盗聴器・盗撮カメラ発見キット・盗
聴プリケイ等など。
◆ ただ年を取ると例えば医者や弁護士のような、病気や恨みや怒りや情のもつれな
どの、人生の負の部分に立ち入る職業は結構時間も体力も気力においても強靱さを要
求され、その覚悟は半端ではない。世の中重労働に比例して報酬も高くなるのだから、
安くても適当にお茶を濁せる楽な仕事と天秤にかけると、結構人生のトータルのバラ
ンスはとれているように思えてくる。
◆ そして今更そのような難関の資格も取れないのと、もはや人々の人生の負を正し
て上げようという正義感も高揚感も湧いてこないので、猫や犬などの迷ったり家出し
たペット達を探す探偵がよかろう。それは村上春樹の「海辺のカフカ」に出てくる猫
探しを生業とする少し頭の変な老人がモデルだ。急がず騒がずマイペースでまるで猫
になったような気分で気ままに生きるように。だとすれば先に挙げた探偵の七つ道具
の他に、鰹節とかマタタビ・猫じゃらし・潜望鏡とか、猫の鳴き声も練習する必要が
ある。猫の集まる場所の地図も追々作らなければならない。
・・・などと考えながら茂みのなかに子猫を見付けて朝の散歩を終えた。

      




漱石山房 2007/10/8
(抜粋)

◆ 今日は昨日歩かなかった分を取り戻すべく、少し遠くまで散歩した。本郷通りを
東大農学部を通り越した先の角を右に曲がり、根津神社へと坂を下る。途中日本医科
大学の横道に入って「漱石山房」を覗く。「我が輩は猫である」の苦沙弥先生がうる
さがった野球をしている生徒達の運動場が今の日本医科大学の場所であったと思われ
る。「漱石山房」の実物は名古屋の犬山にある明治村に移設されていて、ここには近
代的なガラス張りの記念館になっている。しかし嬉しいことに、小唄の師匠だったか
失念したが、そこに飼われている「白」へまさに今逢いに行くところであろうか、我
が輩(猫)の彫像が塀の上を歩いていた。




「日記」について 2007/11/12
(抜粋)

◆ 備忘緑として
  診察予定日、人にあう日にち、時間、場所、電話番号などを忘れないために書き
  留めておく。
◆ 資料として
  日々の散歩などで得られる「変な看板」とか野良猫の生態とか、人間の表情とか
  服装や髪型などをカメラで記録して、いつの日か創作の為に資料として蒐集して
  おく。




診察日 2008/8/28
(抜粋)

検査の結果、血糖値及び高脂血症が見られるがこの数値も良い方向にむかっていると
のこと。もう少し歩かなければいけないと思った。また面白い看板や野良猫探しでも
始めるか。




山荘便り 2008/8/12
(抜粋)
◆今朝は早起きして山荘の木造の階段を防腐用の塗装を塗る。一番上のステップにい
た野良の子猫と目があった。この辺にも住み着いているらしい。




「黒猫と青春」*の感想 2009/9/8  *(同人α20号)

 先日、リチャード・ギア主演のハリウッド映画「HACHI 約束の犬」を銀座マリオン
で見た。「忠犬ハチ公」のリメークで、筋としては実に単純で判りやすい。しかし何
年も戻ってこない主人を待っている犬はじつにバカだなぁと思う一方、我ながらつい
ホロリとしてしまった。照れ隠しというつもりはないが、それが何故なのかと考えて
みた。

 それはこの犬が主人に寄せる絶対の愛・無償の愛だからではないか。
乳飲み子と親の関係に通ずるものだが、児童虐待、尊属殺人などの社会現象をみてい
ると、もはやこの無償の愛は人間関係に求めることは難しく、動物と人間の間にしか
認められない時代になってしまったのではないか。無償の愛は実は強者と弱者の間で
しか成り立たないのではないか。
 弱者は庇護されなければ生きて行けないし、強者はその弱肉強食だけの生き方のみ
では殺伐としていて心が満たされず、弱者の放つ癒しのオーラ・生体エネルギーを必
要とするのではないか。だからこの世の中は強者ばかり、或いは弱者ばかりでは人間
社会が衰退に向かうのではないだろうか・・・と考えた。

 私の少年の頃は、犬、猫、兎などの動物との暮らしは身近にあった。屋敷が広かっ
たせいか、迷い猫、迷い犬、迷う兎などが常にいた。今までのそれらの動物がいなく
なると次の野良が入り込んで来て、いつものように馴染んで住み着いた。猫の名前は
だいたい安直に「白」とか「黒」とか名付けられていたが、犬は柴犬などの雑種で赤
犬がほとんどで代々「ベル」という名前で呼ばれていた。猫も犬も顔中ひねくり回し
たり、髭を切ったり、目がねを書いたりといった悪戯をされたにも係わらず、よくな
ついていた。だから、もの言わない動物から癒される経験した私にとって、子供が動
物に接する環境を与えてやれなかったことが今悔やまれるのである。彼に弱いものに
対する考え方が育ったかどうかが気になるところではある。

 動物を擬人化した書き方が色々あって面白い。夏目漱石の猫は人間の行動や思考を
鋭く観察している。気むずかしい苦沙弥先生が雪隠で謡曲を呻ったり、隣接する学校
の生徒達がうるさいと大人げなく本気で怒ったり、寒月君の結婚に纏わる虚栄や功名
心などの俗世間の風潮を見聞きして「人間はなんと滑稽な生きものであるか」などと
と揶揄している。
 この黒猫と青春はそんな揶揄や苦笑の目線ではなく、実に素直で暖かい目で描かれ
ているから気持ちいい。きっとみどりさんの廻りには無償の愛が溢れているんだと思
った。




猫について 2009/9/23

 私も猫や犬は好きだけど、これだけ猫の魅力を綴られると、へそ曲がりとしてはい
ささか茶化したくなるのである。犬の愛想良さと違い、どちらかといえば----本当
に猫が一般に言われているような性格そあるかは判らないが---私も猫みたいに我が
儘でマイペースを押し通し、お負けに相手構わず毒舌を吐いては不興を買うのである。
 最近茂木健一郎の「化粧する脳」という本の中に「八方美人は知性の証」と書いて
あった。他人の表情や考えを読み取り、うまく話を合わせてコミュニケーションを円
滑にするという意味なのだろう。その点私には「八方美人の知性」は育たなかったと
言える。最終的な決断の決め手は「好きか嫌いか」なのだから。
 ところで、私がペットに接する態度は、皆さんのように慈しみ可愛がることはしな
い。ペットの気持ちになって物事を見たり考えたりはしないし、また出来もしない。
そうかといってなつかれなかったという訳でもない。ごく自然に一緒に暮らしたとい
うことで、改めてそのような個人的な事象を説明しようという意欲は湧かないだけの
話である。だから夏目漱石の「我が輩は猫である」の描く猫が普遍的な人間の性や社
会問題を抉り出したところがやはり面白く読み継がれる所以であろう。




「沈み行く家-最終回」
合評ブログ用コメントより
 2009/10/5 *(同人α20号)
(抜粋)

私は体を動かす事が余り好きではない。病気になって医者から運動を奨励されて来た
が、それでも多少数値がよくなると、なるべく忙しいだの時間がないだのと言い訳を
作っては、サボタージュしているのである。何故そうなのか、ここで私は私なりに運
動嫌いの勝手な理屈を告白する必要があるだろう。
 もともと生き物はよほどの必要に迫られない限り、なるべく静かに暮らした方が理
にかなっている、と勝手に思っているのである。原始時代は食糧確保に苦労をしただ
ろうが、一度大きな獲物にありつくと、それを食い尽くすまで寝て暮らしたに違いな
い。それが自然な人間の姿ではなかったろうか。
 ましてや健康の為には運動が必要だという風評を信じて、過酷なまでに肉体を虐め
る根性は特に嫌いである。 また「健全な肉体に狂気は宿る」を見せつけられると
「健全な精神は健全な肉体に宿る」というのもちといかがわしい。 プロの運動選手の
七十歳前後で壊れてゆく姿を見ていると、読者はかなりこの運動不要論になるほどど
賛同されるであろう。
 また、自然の中に立つあの見事な大木を見よ、樹木は条件さえよければ寒かろうが
熱かろうがじっと同じ場所で数百年も生きているではないか。人間は何を求めて走り
回っているのか、必要以上の欲望に支配されているのではないか。いままで感心のな
かったおばちゃんおじちゃん達が、ある日突然目覚めて走り回るのを見ると、多くの
大衆はアルコールやパチンコ依存症のように、依存する対象を探し回っているという、
精神が壊れ始めているのではないか。
 とまあ、自分の怠けの理屈をこね回したのでありますが、ポケットパークを根城に
して一日13時間は寝ているいて仕事をしない野良猫が、私の理想であります。




「猫様々」*を読んで  2009/10/16 *(同人α20号)

 先ず題名の「猫様々」の読み方が気になった。「ねこサマザマ」と読むのか「ねこ
サマサマ」と読むのだろうか。読み進む内に亮子さんは大和の国の出身だから、多分
その両方の意味を込めたものの様な気がしてきた。このことは亮子さんの説明を待た
ねばならない。
 K君から借りた丸山圭三郎・著の「言葉とは何か」という本の中に、興味あること
が書いてあった。「外国語で話している理解できない言葉は単なる騒音としか聞こえ
ないし何の感情も生じない。そのように言葉はそれを話す共通の社会、共通の生活体
験といった文化の中でしか理解されないのである。例え同じ動物や同じ事物を語って
も、国や言語が違えば違った概念が生まれる」とあった。ここまでは私が何をいいた
いのか、皆さんには全く判らないだろう。早い話が、日本人の「猫」にたいする概念
と、フランス人のそれは違っているのではないかと思ったからだ。
 Rさんの参考資料のなかにイギリスやフランスの「猫」に纏わることわざがあった
が、Sさんの書かれたこの号の前書きをみると、猫だまし、猫撫で声、猫っ被り、
猫背、猫の額、猫づら、猫舌、猫脚、猫ババ、猫跨、猫股、猫間、猫火鉢、猫鮫、猫
の目のよう、猫目石、等々ことわざ、たとえは圧倒的に日本の方が多いと思う。
そこで私は日本の猫好きの人達は、「猫」をとても人間に近いものとして擬人化し、
いやむしろ家族や同胞のように考えている節がある。一方イギリスやフランスの人は
「猫」を人間と同列ではなくもっと野生の動物という認識がつよいのではないか。
「仕事猫」などの言葉があるくらいだから、ギブ・アンド・テイクの言葉が意味する
ものを考えると私はそう思った。

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