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本のある暮らし6

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月15日(土)08時24分53秒
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          本のある暮らし6  2010





お茶の水散歩
2010/1/22

昼に駿河台下の三省堂まで散歩する。 ロラン・バルト著の「喪の日記」が目についた。
鮮烈な言葉の印象に憑かれて買いたかったが3,300円、今の私の懐ではちょっと躊躇した。
代わりに中島義道の「人間嫌いのルール」という本の内容紹介が気に入って買った。
「人はひとりでは生きていけない」。その言葉を錦の御旗に、表向きうまくやるのが「お
とな」、できない人は病気と蔑む----他人を傷つけないという名目のもとに、嘘やおもね
りも正当化されるのが日本社会である。
そんな「思いやり」の押しつけを「善意」と疑わない鈍感さ。「人間嫌い」はそこに途方
もない息苦しさを感じてしまう人なのだ。
したくないことはしない、心にもないことは語らない。世間の掟に縛られずとも、豊かで
居心地のいい人間関係は築ける。自分をごまかさず、本音でいきる勇気と心構えを持とう。
PHP新書700円。



「sincere」と「誠実」
2010/1/23

中島義道の「人間嫌いのルール」の中に誠実さと思いやりということについて言及してあ
った。ルース・ベネディクトは「菊と刀」のなかで、 一つの逸話を通じて英語における
「sincere」という言葉と日本語の「誠実」という言葉のずれがあると指摘してあるとい
う。あることにたいして西洋人は自ら感じたことをはっきりNOと否定する。 そこには
相手に対する思いやりよりも、自分の気持ちに誠実であろとするから弁明の余地もないほ
どはっきりと言い放つのである。 日本ではおなじ否定でも婉曲に、あるいは懇切丁寧に
相手の気持ちを推し量りながら説明する努力をするという。このたびのホームページ上の
各人の表明はまさに西洋人の「思ったことをはっきり言う」ことが誠実、あるいはなんで
も開放的でよろしいという、短絡的な思い上がりである。
ここで問題なのは、言われた人がどのように感じるだろうかという日本的な良さである視
点が欠けていることであろう。



三次元空間を異なるベクトルで走る-2読んでの感想
2010/2/5

◆「三次元空間の異なるベクトル」に時間軸を加えれば四次元、ここまで行くと個々の考
 えはなお交わりにくい。お互いの真意を理解し合うためには多大な思考の質と時間が必
 要だ。だから、せめて論ずるときに同じベクトル上では無理にしても、お互いの姿が見
 えて、その軌跡を予測できる近さ、同じ時間が必要であると思う。そういう面では同じ
 場所に集い、一問一答えの会話がいいのではないだろうか。
◆池田晶子や中島義道は貴方のいう通り、まず疑うことから思考を始める。そしてその結
 果自らの考え「否定」または「否定の否定」をはき出す訳だ。
 このたびに限らず、吟遊視人氏の文は、彼の頭の中で消化した考えはいままでに余り見
 たことはない。 長岡さんの言われる通り、友人などの考えをただ載せているだけで、
 彼自身がどのように感じたのかが全くわからない。 Yさんの行動に一番早く言及した
「読者の一人」に置いても、友人の意見を下敷きに投稿したものでした。
 彼の得意な時事問題にしても、新聞や週刊誌のどこかで書かている情報や考えからほと
 んど出ることはない。もちろん社会派的な意見を選択はしているが、独自の視点から論
 ずるというふうには感じられない。
◆人間はなぜ生きるかという命題にたいして、埴谷雄高は「自同律の不快」と言った。こ
 れはいまの自分に満足できないということだろうか、簡単に自己を固定化することがあ
 らゆる可能性を閉じることだと考えて不快に思ったのだろうか。じつに難しい言葉を吐
 いたものだ。
◆優しい人達の多い中、一方私は人の見たくないものを敢えて暴き出すちょう悪爺さんの
 役を演じようと思う。中島義道ほどの「人間嫌い」までは徹しきれないが・・・。



読書
2010/2/9

1.中島道義「人間嫌い」のルール 終了(16日が返却日)
2.池田晶子 14歳の君へ 終了
3.同上事象そのものへ!*1991初出版作品* 四分の一(9日が返却日)
4.バルトと記号の帝国  三分の一(9日が返却日)
「14歳からの哲学」から約三年後の著作だ。購入した本だから、ゆっくり読めばよかった
のが、なぜか読みたかった。「三年」を感じさせた。さらに優さしい表現、そして構成、
印刷の工夫もなされている。著者にとってはさぞや苦労と忍耐があったかと思う。著者は
14歳のみならず、大人に対しても「考えなさい、言葉はすごいものよ、言葉自体があなた
なのよ、言葉を大事にね、あなた自身が自然の一部、そして宇宙。」と、著者が最も苦手
する優しく判りやすい言葉で書き綴った作品だと思った。
*2006.12.25 『14歳の君へ』第一印刷
*2007.01.20 『14歳の君へ』刊行記念サイン会 リブロ池袋本店にて
*2007.02.23  死去
読んだ後で知りました。 万理久利2/8深夜記
追記:図書館へは行けそうもありません。池田読みかけは読み上げようと思っています。
                         2/9まだ明るい午後記



「煙滅」という本
2010/3/1

朝日新聞2010.02.28読書欄 煙滅 ジョルジュ・ペレック著
            塩塚秀一郎訳
 「評」:奥泉 光
これはとんでもない本であるという書き出しではじまる。どうとんでもないのかといえば、
1969年に発表された仏語の原作は、300ページを超える長さがありながら、「e」の文字
を一度も使ってない物である。いわゆるリポグラム(文字落とし)というやつなのだが、
仏語において「e」はもっとも出現頻度の高い文字であり、この制約は、日本語でいえば、
「い」段のかな「い、き、し、ち、に、ひ、み、り」を、「い」段に言っている漢字を含
め一回も使わないで書くのと同じくらい困難をもたらす。
そんなことをしてなんの意味があるの?と問うのは、小説を読んだり書いたりすることに
どんな意味があるのと問うこととおなじである。つまりそういうことをするものにこそが
しょうせつなのだ。小説は言葉のアートであり、だからそういうことをする意味が分から
ないという人は、小説でなく、「癒しの物語」とか「いい話」とかを求めているにすぎな
い可能性がある。



「邪馬台国の地」
2010/5/14

2010年3月28日の朝日新聞に面白い記事があった。
「日食ヒントか」邪馬台国の地-神話もとに天文学挑戦という長い表題である。
邪馬台国があったのは畿内か九州か、天文学の立場から論争に決着をつけられないかと、
国立天文台の2たりの学者が挑んでいる。
ようするに日本付近で皆既日食があった通り道を調べて、邪馬台国でそれが見えたのでは
ないかという推論をもとに調べた訳だ。推論の根拠は日本書紀で、天照大神が天の岩屋戸
に隠れ、辺りが闇の包まれたという神話の記述が具体的であることから、この描写は皆既
日食を差しているという解釈がある。岩屋戸神話は邪馬台国などの文明地で見られた皆既
日食に基づいているのではないかと推論した。
1~3世紀には53年、158年、247年、248年の4回の皆既日食があったことは計算上わか
っている。
53年3月9日は約20分の誤差で畿内も九州も皆既日食が見えるという。その外の年代の皆
既日食は畿内も九州も見られないので外れである。
歴史を証明するのにこのように我々には思いも付かないような色々の手段があることをし
って嬉しくなった。それぞれの専門家が己の技術を生かして、違う分野の真理に迫ること
はじつに楽しいことだろう。今回は畿内か九州かまだ結論はでないが、そのうち何らかの
文献や痕跡が見つかれば、一遍に解決するかもしれない。とにかく全く視点を変えた歴史
へのアプローチに感銘した次第である。



「本能と知性」-ベルクソン
2010/5/15

岩波書店 思想12月号  フランス技術哲学の中のベルクソン  米虫正巳著より
ベルクソンは生命の進化において、動物の二つの分化が「本能(instinct)」と「知性
(intelligence)」という二つの能力の区別に対応しているという。
「生命に内在的な力」は物質に働きかけつつ自らを展開しようとするが、この力は有限な
ため、物質へ働きかける際して道具を作り上げ、その道具を介してより有効な働きかけを
行う」能力として本能を位置づける。生物にとって、「有機的な諸道具を利用し、構築さ
えする能力である」。
本能によって活動する生物は物質に働きかけるために道具を使用し組み立てるが、この道
具は「それを利用する身体の一部をなしている」ものである。生物は本能に基づいて自ら
の有機体的身体をそのまま道具へと変形して活用する。
それに対して知性とは,同じようの生命が物質に働きかけるために自らに道具を作り上げ
る能力ではあるが、自らの身体を有機的な道具として作り上げる本能とは異なり、「非有
機的な諸道具を製作し、使用する能力である」。
非有機的な道具を製作するということは、生物が自らの身体を変形して有機的な道具とす
るのではなく、非有機的な物質を加工して、それを道具へとつくりあげることである。
早い話が、人間以外の本能で動く生物は、鳥や魚や馬などは、飛んだり、泳いだり、走っ
たりする能力を自らの身体を加工して生きてきた。一方知性のある唯一の人間は、自らの
身体を加工することなく、洗濯機や自動車やパソコンなどの非有機的道具を作り上げるた
とういことである。このような定義は私に取ってなかなか面白いと思うのだが、うざった
かったかなあ・・・。



「サミュエル・ベケット」
2010/5/16

1906 年4月13日 - 1989年12月22日)は、アイルランド出身のフランスの劇作家、小説家、
詩人。不条理演劇を代表する作家の一人であり、小説においても20 世紀の重要作家の一
人とされる。ウジェーヌ・イヨネスコと同様に、20世紀フランスを代表する劇作家として
も知られている。1969年にはノーベル文学賞を受賞している。
   『名付けえぬもの』 『事の次第』 『伴侶』 『また終わるために』



三省堂へ
2010/6/17

昼休みに本を求めてお茶の水の丸善へいく。目的のものは在庫がなく、駿河台下の三省堂
まで足をのばす。散歩には坂道もありいい距離だ。それにしても今日は蒸し暑い。それと
もこの冬から寝汗をどっさり掻き、主治医に相談したら「微熱やだるさや他の症状が出な
ければ心配ない」とのこと。どうも考えて見ると糖尿病が発症してから汗を掻かなくなっ
ていたようだ。もともと古賀家は町田の伯父さんといい、私のお袋といい冬でも汗びっし
ょりになるくらいで、私もそれを受け継いでいたと思う。だから最近汗を掻くようになっ
たのは、昔の健康体に戻りつつあるのだろうか。
とにかく汗を掻き掻き三省堂まで行ってよかった。一冊だけまだ在庫があったので喜んで
買ってきた。ついでにもう一冊・・・。
佐伯一麦:「誰かがそれを」
岩波書店「思想」6月号:「来るべき精神分析のために」



本の紹介
2010/8/9

本『香水(パフューム)―ある人殺しの物語』 パトリック ジュースキント /著
出版社:文藝春秋 (2003/06)



誕生日
2010/8/10

今日は私の誕生日・69歳
8月8日銀座に行く。明日が私の69歳の誕生日だが、本屋に寄ってパウル・クレーの絵に谷
川俊太郎の詩を添えた「響きあう絵とことばのおくりもの」と言う題の絵本が気に入った。
細君は誕生祝いに費用を出すという。1500円
パウル・クレーについての私の知識は、近代建築の四大巨匠ル・コルビュジエ、フランク
・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、そしてヴァルター・アードルフ・ゲ
オルク・グロピウス、そのグロピウスが創立したドイツの芸術と建築の学校「バウハウス」
で、クレーは関わっていたことから始まった。
建築においては造形や構造は言うまでもなく、色彩や配色およびテクスチャーのことまで
学ぶものである。私はクレーの写実的な描写や遠近感をあえて押さえた作品の二次元の世
界に封じ込めたフォルムや色彩のシュールさが好きだ。油絵の生々しい情念ではなく一種
の観念として凝縮させた静かな思想。そういえばクレーの日本画の蒐集は数十冊に及んで
いたという。やはりその影響で平面のなかに観念を封じ込めたのであろう。音楽家でいえ
ばブラームスのような抑制された表現を感じるのは私だけであろうか。

今日が本当の誕生日。8月9日。たいした関係はないが、長崎原爆記念日。
お茶の水に一月ぶりに散髪に行く。途中で近藤に会う。3メートルの至近距離で面と向か
ってもわからないで楽器屋に入っていった。私が濃いサングラスをしていたためか、5キ
ロやせたので面変わりをしたためか。それともあまりあたりを注意しないためなのか。ま
えから上の空の性格だったことは確かだ。楽器店のなかまで追っかけていった。ギターの
ピックを探しているらしい。肩をたたくとびっくりして「やせたなあ」といった。確かに
体重は減ったが、標準的な体重だと私は思っている。お茶でものむ暇があるかと問うたけ
れど、その時間がないということであったからすぐ別れた。
散髪のあと三省堂を覗く。岩波書店の月刊誌「思想」1800円と、今話題の「ハーバード白
熱教室」とおびに書いてあった、マイケル・サンデルの「Justice」という本を購
入。2300円。これはNHKの教育テレビで放送されていたものだ。これは自由主義と共和
主義の論争なのだ。



本の紹介
2010/8/23

岩波の「思想」
ヘイドン・ホワイト的問題と歴史学
W・G・ゼーバルト
「フィクションとは、歴史の抑圧された他者である」
アウステルリッツ(AUSTERLITZ)はW・G・ゼーバルトによる小説。「私」が旅先で偶然出
会った建築史家・アウステルリッツから、彼の波乱に満ちた生涯を聞く、という形式。他
のゼーバルトの作品と同様、写真やイラストが文章の説明という形ではなく、しかし引き
離すことの出来ない形で文章に寄り添っている。
2001年刊行。日本語訳は2003年、鈴木仁子訳で白水社から刊行。ISBN 4560047677



「英語支配を批判する」
  2010/9/5

2010/09/03の朝日新聞のオピニオンのコラムで、「幸せな奴隷」になってはいけない、気
づけば日本語が駆逐され周りが英語だらけでもいいのか、津田幸男筑波大教授は英語支配
を批判している。
「学校の英語教育はこれでいいのか。この夏さまざまな論が紙面に掲載された。英語が国
際共通語であり学習が重要だという認識は共通だった。しかし津田氏はそんな英語観は脱
するべきだと言う。英語は格差を拡大し、差別を生む道具になっている。
[happy slave」という英語がある。直訳すると「幸せな奴隷」。支配される側が支配さ
れていると観じない状態を言う。それが究極の支配である。ユニクロや楽天が英語を社公
用語にすると報じられているが、世間の人は「やっぱり英語は大切だ」と受け取り、英語
支配の構造が進んでしまう。中学・高校の英語は選択科目でいい。学びたい生徒だけが学
べばいい」と説いている。
私も生活の中で使いもしない立場の人が必死で英語を生涯学習するのを見るに付け、余計
な労力を使っているようであり、もっと大事なことを考える時間に回したらいいだろうに
と思ってします。単に日常会話程度でも一つの才能に見えてくるから不思議だ。しかしそ
のような人すべてが母国語で個性的な考えや思想を語れるという訳ではない。日本語でさ
え十分使えない人がなまじっかの英語でそのような思想を理解し語れるという訳ではな
い。まずは自国語を研鑽すること。英語などのメジャーな文化を崇拝することは、そうで
ないマイナーな文化はどんどん駆逐されて地球上から消滅する事になるだろう。そうなれ
ば画一化された価値観だけが残ってしまうだろう。
「楽天」などのIT産業は私に言わせれば、人間の生きる基本的な力を生み出すものでは
なく、いくら大きな会社にのし上がろうと装飾的な価値しか生み出していない。私にとっ
てはあってもなくてもいいような企業である。しかしその程度の会社ほどもてはやされる
のが現代だろう。



去りゆくもの三つ
2010/9/20

このところ色々の事が終わってゆくのを見るのは一寸寂しい。
一つ目はフロイト全集を頼んでいる近所の本屋が店を閉めると言ってきた。しかしどうも
腑に落ちないのは、その後に10月から別の本屋がそこに入るということだ。この文永堂書
店はこの土地で随分長く続いた店だと思うが、店仕舞いの理由が判らない。
二つ目は、東大の弥生門を出て目の前にあった「立原道造記念館」が休館するという新聞
記事を読んだ。詩人で建築家の立原道造は24歳で夭折している。同じ職業という感慨も
あって、東大構内を抜け根津や谷中への散歩の途中、その小さな記念館を何度か訪れた事
があった。彼の詩や設計された住宅は私の感覚に近いもので親近感を抱いたものだ。
それに加えて、まんざら縁も縁もないわけではない。大川組の高木君から、彼の奥さんの
姉がそこの館長をしているということを聞いた。一度なにか話しかけた記憶があるが、あ
の人だったのだろうか。歩くハイマーの会でいつか私が本郷界隈の担当として企画する時
には是非立ち寄るつもりでいたのだが残念なことである。
三つ目は、久しぶりに息子と三人で会食をするために電話をして、どこにしようかと問う
たら「天丸」が今月末に店を閉めるというから、最後の食事をそこでしようという事にな
った。「天丸」は永谷園の直営店で銀座6丁目の角のビルの地下にある店で、天ぷら屋と
しては旨くて安い店であった。どうもパイロット店として永谷園が宣伝のために安く提供
していたようだ。私達は銀座では天ぷらはここ、パスタ、寿司はこことリーゾナブルな店
を決めていたが、その一つが無くなることは寂しい。これ等の店は一見さんには見つけに
くい地下にあり、長い間営業するにはなじみの客を大事にするために安くて旨い店でない
と成り立たないということだ。



「UP10月号」着
2010/10/11

駿河台下の三省堂でウィリアム・トレヴァーの「アイルランド・ストーリーズ」の次の一
冊があるかどうか調べたら出版していなかった。
次に蓮見重彦の「表層批評宣言」を探したがこれも在庫がなく、岩波書店の「思想」10月
号を購入。帰りにインドカレーを食す。



「趣味と道楽の狭間で-合評の返事その1」
2010/10/15

長岡さんの言われるように「翻訳に潜む危険」はまさにその通りであると思います。
これはWeekly Caricature (週刊戯評)という別のサイトに万理久利さんが載せたもの
で、あまりにもぴったりした内容なので紹介しよう。
  「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格が
  ない」というレイモンド・ソーントン・チャンドラーが書いた「プレイ
  バック」という本の中で探偵フィリップ・マーロウが答えた有名な台詞で
  ある。すぐに私はwikiで調べてみました。原本の英語では
    If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be
  gentle, I wouldn't deserve to be alive.
    作中のヒロインから、「あなたの様に強い(hard)人が、どうしてそんなに
  優しく(gentle)なれるの?」と問われて。
    翻訳では
    ●清水俊二訳は「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさし
   くなれなかったら、生きている資格がない」
    ●生島治郎訳は「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、
   生きている資格はない」
    ●矢作俊彦訳は「ハードでなければ生きていけない、ジェントルでなけれ
   ば生きていく気にもなれない」
   もう違っている。しっかりと、タフ微妙に違う。生きる資格がない、と生
   きていく気にもならない 、違う。
   翻訳は難しいし、読み手もそこを十分知らなければならないと思う。原書
   に当たるのが最高ですね。頭悪いし時間減っている私には無理だな。
   でも原書と翻訳、この違いだけは認識していたいと思います。

さて、本文のなかでの英語との対比について考えて見よう。
道楽: a loose life, debauchery, profligacy
       放蕩、不品行、浪費
これを見てもどうも日本語の「道楽」に対しての英訳、あるいは和訳において
も私の考えている意味にどうもぴいったしといかないと思ええた。 a loose
lifeのなかに「道楽」という行為の説明を読み取る事は出来ないのである。こ
れは辞書を作る人の考えや感覚で対比させる言葉を選んだとしか思えない。だ
から別の人だったら別の対比をしただろうと思った。
そのように翻訳されたものが果たして完全であるかは保証がない。同じ日本語
でありながら受け取る感覚は人様々であるから、用語の定義もまた難しいもの
がある。



読みたい本
2010/10/29

「流れとよどみ-哲学断章」大森荘蔵 産業図書
「忘れられた日本人」   宮本常一 岩波文庫
「論理哲学論考」 ウィトゲンシュタイン  岩波文庫



「アラン全集」
2010/10/30

今日は台風で雨。5年前この山荘を造るときから台風に縁がある。東京から現場に出かけ
るときはいつも台風がついてきた。だから慣れっこになっていて、折角の行楽に水を差さ
れてがっかりするという思いは余りない。返って一日中家の中で薪ストーブを炊き、昔の
髭面の己の姿をアルバムのなかから見つけ出したり、昔買った本への新しい興味を見いだ
したりと結構楽しいものだ。
私は本棚から褐色になって古びたアラン全集10巻を見つけ出した。「梁山泊」の仲間の
一人で、早世した徳重君が高校生のときにアランのことをよく話題にしていたのを思い出
した。彼がその時点でどれだけその本を詳しく読みこなしていたのか判らないが、体の不
調や親との確執などの数々の悩みを背負い込んでいた彼は、生きるための本質を掴みたい
という思いに駆られていたのだろう。
アランはペンネームで本名はエミール=オーギュスト・シャルティエといい、フランスの
リセ(高等学校)の教師となる。 過去の偉大な哲学者達の思想と彼独自の思想を絶妙に
絡み合わせた彼の哲学講義は、学生に絶大な支持を受け、彼の教え子達の中からは、後の
哲学者が多く輩出されている。女流哲学者のシモーヌ・ヴェイユは彼の教え子。
彼はまえがきで「もしこの本がだれか職業哲学者の批判の対象となってとやかく言われる
ようなことがあれば、そう考えただけでも、書きながらみいだした生き生きした喜びは台
無しにあるだろう。喜びというものがまれな今日このごろでは、書くよろこびといものが
本をつくる理由だと、私にはおもわれる」といっている。
それにしても、このような生活の中での、「記憶」「想像力」「自己愛」「野心」「誠実」
「正義」「時間」「空間」の身近なことの認識について、をフランスでは高等学校ですで
に教えていることに驚く。さてすこし私も腰をすえてもう一度読み直してみよう。



古本探し
2010/11/11

お茶の水の丸善へ注文していた冊子表紙用の厚紙を買いに行く。
ついでに駿河台下の東京堂まで行って次の三冊を購入。先日三省堂で在庫を調べて貰った
が無かったので、神保町書籍案内のインターネットで調べたら東京堂にあるとのことだっ
た。三省堂でも無い本があるのだなーと思った。もう一冊の蓮實重彦の「表層批評宣言」
は出版社でも品切れというので、結局は手にはいらなかった。古本屋を探すほか無いだろ
う。
「流れとよどみ-哲学断章」大森荘蔵 産業図書
「忘れられた日本人」   宮本常一 岩波文庫
「論理哲学論考」 ウィトゲンシュタイン  岩波文庫
帰りに50周年記念の同窓会のために散髪屋に言って帰った。
このたびはご注文いただき、誠にありがとうございます 。
注文番号: 822197
商品名: 表層批評宣言
価格: 1000円
著者: 蓮實重彦
出版社: ちくま文庫
出版年: 1995年
二十世紀文庫
227-0054 神奈川県横浜市青葉区しらとり台11-11-1209
E-mail:ADS02715@nifty.com
Tel:045-983-8276 Fax:045-983-8276




2010/11/16

ホルヘ・マリオ・ペドロ・バルガス・リョサ(Jorge Mario Pedro Vargas Llosa, 1936年
3月28日 - )は、ペルーの小説家。アレキパ出身。ラテンアメリカ文学の代表的な作家で
ありジャーナリスト、エッセイストでもある。主な作品に『都会と犬ども』『緑の家』『世
界終末戦争』など。1976年から1979年、国際ペンクラブ会長。2010年ノーベル文学賞を受
賞。「緑の家」木村栄一訳 岩波文庫 「嘘から出たまこと」 寺尾隆吉訳 現代企画室



「天声人語-言葉」
2010/11/27

2010/11/26日の天声人語に言葉について興味ある記事があった。
「この頃の国会の議論はまるで「ヒステリック症候群」的で「大げさな物言いや、汚い言
動で罵倒」する場面が多く見られる。言葉は魔物だから、自ら言い募るほど自ら酔っぱら
う。ゆえに言葉はますます尖って、盛大になるが、言っている当人の人望は下がるばかり
だ。清水幾太郎の名著「論文の書き方」に次のような一節がある。
「無闇に激しい言葉を用いると、言葉が相手の心の内部へ入り込む前に爆発してしまう。
言葉は相手の心の内部へ静かに入って、入ってから爆発を遂げた方がよいのである。言葉
は慎ましいものに限る、とこの碩学は言う」とある。
高見から見下ろすような侮蔑的なもの、相手を揶揄して己の優越を暗にしめすものなどの
悪意を感じさせる感情的な言葉は発しないように私も心しよう。

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