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本のある暮らし2

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月13日(木)05時54分5秒
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             本のある暮らし2  2007




「internet security」
2007/1/13

norton internet security(3台用)を購入。安物を買うつもりだったが、店員に相談したと
ころ、仕事でパソコンを使用するのであればちゃんとしたソフトが良いでしょうと言うの
で、前から使っていたNORTONにした。いささか起動やアクセスの重さが気になるが
しかたあるまい。¥9,800円なり。早速家のパソコンにインストールしてスキャンしたら、
スパイウエアーが2個も侵入していた。

フロイト全集第7巻「日常生活の精神病理学」
戦後短編小説再発見2 の2冊を購入
坂口安吾 「戦争と一人の女(無削除版)」
    ・シリアスな情況のなかに生きながら、妙に達観したとぼけの文章がいい。


田村泰次郎
2007/1/17

田村泰次郎の[鳩の街草話]を読む。
自堕落に生きている主人公が借金の金を用意するために七年連れ添った女を女郎屋に売る
話である。女は承知しているものの、いざとなった主人公は他の男に取られるという思い
で悔いてしまう。覚悟を決めた女の強さと反対に男の意気地なさが惨めである。


読書
2007/1/18

今読んでいる本は
・フロイト全集第17巻
・現代詩集Ⅱ アメリカ・イギリス
・戦後短編小説再発見2
・テニスン詩集

仕事はいつしてるのかと問われそうなほどたくさん手がけていて、いささか批難を被りそ
うだが、すこしづつ確実に読み進むのみ。「同人α」第10号に投稿する小説[シリーズ・
歪んだ風景-定年-パート3」も月末まで書かねばならない。また流行作家なみに4・5
日で追い込むやっつけ仕事になりそう。もう少し十分に推敲したいのだが、まあ参加する
ことに意義ありか。


読書
2007/1/19
「性の根源」
武田泰淳「もの喰う女」・吉行淳之介「寝台の舟」を読む。
最近は無頼の徒のものをよく読むなあ。戦後短編小説再発見2の副題が「性の根源」にな
っている故か?

その本の序に次のように書いてあった。変化・変貌する社会のなかで、家族や友人、知人
との人間関係がこれまでの堅固さ(これは幻想だったが)を失い、個人として社会に浮遊す
るという、寄る辺なき「生」を生きることの孤独だった。そして、この孤独感、孤立感を
発条として、人とつながろうとする精神、支え合おうとする意志が、言葉によるミクロコ
スモス、多くの短編小説を生み出した。

しかし私には坂口安吾・武田泰淳・田村泰次郎のようなこの手の小説は書けそうもない
が、私の大好きな室生犀星の「性に目覚める頃」みたいなものはそのうち書いてみたい気
がする。

今度の「同人α」に投稿する物語に出てくるホームレスの記述に必要な、7年から10年
前に載った週刊誌の記事の件で澤田君に電話した。どのようにしてその週刊誌を調べたら
いいかの方法を問うた。「大宅文庫」なるものが世田谷にあり、そこにはたぶんバックナ
ンバーがそろっているだろうということだった。そのほか国会図書館をインターネットで
検索したら各地区の図書館からアクセス出来ると書いてあったので、湯島図書館の司書に
「週間文春」「週間ポスト」「週間新潮」「週間現代」の7から10年前のものを調べてもら
っている。月末までその資料が揃うか問題だ。


読書
2007/1/21

風呂に入ってゆっくり布団の中で本を読みたいのだが、随分目を悪くしてから十分な光が
ないと文字が読めなくなった。読書の時の明かりの方向や角度は意外と大切な割に、照明
器具にいままで満足した認めしがない。ソファーに座って読む場合はフロアースタンドで
斜め後ろ上部から照らすのが理想的だが、布団に寝て読む場合はなかなかそれに適した器
具がない。きょう有楽町のビックカメラでスタンドを買ってきたが当分その置く位置や高
さの調整に四苦八苦するだろう。


読書
2007/1/24

「明くる日」・・・河野多恵子
・体の不具合をかかえ不安な毎日を暮らす央子(なかこ)は、夫の島田になかなか打ち明け
 られない毎日を過ごす。そして最後の手術のため入院する時夫と友人宛に二通の遺書を
 認めようと思っていた。そしてその内容について本当に落ちついた気持ちで言っている
 自分の姿を想像した。

「マッチ売りの少女」・・・野坂昭如
・肉体を売る若い娘の不幸な一生をじめじめした描写でなく、あっけらかんとした文章で
 つづっている。女事態は自分が惨めであるという自覚がなく、流れるままに生きそして
 死んでゆく。「嫌われ松子の一生」に似ている。

「密の味」・・・田久保英夫 ・途中で読むのを止めた。


八甲田の雪崩遭難
2007/2/16

八甲田の雪崩遭難のニュースに40数年前のことを思い出した。大学1年のころだったか、
体育の授業で山形の蔵王でのスキー講座があった。3泊4日の最後の日の課題として山頂
までリフトで登り、樹氷の中のツアーコースを降りてくることであった。ツアーコースは
ゲレンデとはちがい、ふわふわの雪の上を滑るのであるから、尻餅をつくと雪の中に体が
すっぽりと沈んでしまい、足だけが雪の上に浮いているのでなかなか起きあがれないので
ある。スキーを初めて習う人もそのような難しいことをさせるのであるから、指導員も無
茶なことをしたものだと後で思った。

山頂から各々の学生が勝手に滑り降り、そのコースの中程までは晴れていたのだが、急に
吹雪き出し目の前が全く見えなくなった。廻りには友人も一人もいない。私は谷に落ちな
いようにその場所に座り込んだ。もう少し長く吹雪いたら確実に遭難しただろう。そのと
き右の耳がチクリと痛んだ。聞こえが悪くなったので半年ばかりして耳鼻科にいったら鼓
膜が破れている、古い傷なので修復は無理と言われた。いまでも右の耳は難聴である。だ
から吹雪の恐ろしさを実感したとともに、死と隣り合わせであったのではないかと後で気
づいて恐ろしくなった。

藤沢周平の「隠し剣シリーズ」で「邪剣竜尾返し」というのがある。
不意に相手に背を向けることで一瞬相手の剣気を殺ぎ、その虚をとらえて、瞬転して必殺
の一撃を振り下ろすという技である。しかし、まじめな正義感のある好青年が藩の掟を破
った友人に、だまし討ちともいえる秘剣を使うことがはたして武士の魂を持っていると言
えるのか。・・・と考える私はまだ青いのですかね。さすがに作者もそのへんのところの
後ろめたさを感じていたのか、「あの剣はもう使わん」と主人公に誓わせている。しかし
この手の物語は総じて、いくらまじめに生きている武士を描いても、社会の仕組とはいえ
しょせん人殺しの罪は人間として免れられないし、後ろめたさがありはしないだろうか。
たとえ物語としてもそのへんの限界がみえてくる。


固有名詞の度忘れ
2007/2/17

フロイト全集7
固有名詞の度忘れについての論文で、しばしば起こる事例に心理学的な分析を施しが、そ
の結果、想い出すというひとつの心的な機能が不首尾を来すという、一定の特性があると
いう結果を得られた。なにかを単に忘れるというのではなく、間違ったことが想い出され
るということである。

「同人α」第10号「冬号」を今日発行した。夕方より東内夫婦、田村さんで手分けして70
部、第9号を10部製本。その後銀座にてうちあげした。途中より北島浩之君も参加。



戦後短編小説再発見3
2007/3/1

★昼の花火・・・・・・・山川方夫
★光る道・・・・・・・・壇 一雄
★逆光線・・・・・・・・岩橋邦枝
★贈り物・・・・・・・・丸谷才一
★首のない鹿・・・・・・大庭みな子
★ふたりとひとり・・・・瀬戸内晴美
★恋人・・・・・・・・・野呂邦暢
を読む「昼の花火」・「恋人」は宙ぶらりんの若者の男女間系を描いたもので、なかなか
よかった。


灯台へ
2007/3/10

イタリア旅行の間の仕事のフォローのために山本清志氏と引き継ぎ打ち合わせ。
それからこのシステムが良好であれば、毎年休暇が取れることになる。

■ 世界文学大系57 筑摩書房 この本はジェームズ・ジョイス、ヴァージニア・ウル
  フ、T.S.エリオットが納められていて、なかなか魅力的である。ただし、昭和35
  年出版のため3段組で文字は非常に小さく、夜読むのには辛い本である。
  今、ヴァージニア・ウルフ 「灯台へ」を読んでいる。


フロイト全集17
2007/3/11

■ 戦争神経症者の電気治療についての所見
  自分の生命に対する不安、他人を殺せという指示にたいする反抗、我が身を情け容赦
  なく押さえ込む情感に対する拒否感といったところが、戦争逃亡的性向を養う最重要
  の情動源泉であった。
  その苦しみの故に病気へと逃亡した患者を、健康な状態すなわち軍務遂行可能状態へ
  戻すために電気治療を施された。それは病気を治療されるほうが、健康な状態より苦
  痛で過酷であるということにより悲惨な電気ショック療法がとられた。

■ 夢学説の補遺
  夢には「欲望夢」「不安夢」「懲罰夢」の三つがある。

■ 女性同性愛者の一事例の心的成因について


戦後短編小説再発見3
2007/3/26

■ 病身        高橋たか子
■ オフィリアの埋葬  大岡昇平
■ 花火        山田詠美
■ 或る小石の話    宇野千代
■ 浮揚        高樹のぶ子

高橋たか子は実に上手い。恋人の病気をテーマに進む筋の中に主人公の一種独特の癖や好
みが描かれている。その平穏ななかのちょっと異常な感じがうまい。
宇野千代の或る小石の話は、一昔前の古風な男女関係が綴られていて、しっとりとした情
緒がいい。


ロイト全集4「夢解釈Ⅰ」
2007/3/30

フロイト全集4  20P、39P
■ 夢の内容は常に、本人の人格、年齢、性別、地位、教養の程度、馴染んだ習慣、これ
  までの人生全体で経験した出来事などに、多かれ少なかれ規定される。
■ 夢源泉を完全に列挙してみれば、結局四つの種類が数えられる。それらはまた、夢そ
  れ自体の分類にも応用されている。第一は、外的な(客観的な)感覚興奮、第二は、
  内的な(主観的な)感覚興奮、第三は、内的な(器質的な)身体刺激、第四は、純粋
  に心的な刺激源泉である。
■ 心臓病患者の夢は概して大変短く、驚愕を伴う覚醒で終わる。その夢の中では、ほと
  んどいつも、陰鬱な条件下での死という状況が役割を演じている。
■ 肺疾患の患者は、窒息、雑踏、逃走などの夢を見、目立って多くの人が、悪夢に襲わ
  れる。
■ 消化器疾患では、夢は、食物を摂ったり吐き気を催したりすることに関連した表象を
  含む。


フロイト全集4
2007/4/20

夢問題の学問的文献(H) P124
精神病という現象と夢という現象にはかなり広い範囲の一致がある。
■ ショーペンハウアーは「夢は短い精神病で、精神病は長い夢である」
夢解釈の方法 P134
■ 象徴的解釈
  夢内容を全体として視野にいれ、夢とは別の、了解しやすい、そして何らかの観点か
  ら見て類同的な内容で、一挙に代替させることである。
  閃きや直感にかかわるところが大きい。
■ 暗号方式
  夢を一種の暗号文のように扱って、個々の印を決まった鍵に従って既知の意味の印へ
  と翻訳することである。


埴谷雄高
2007/4/21

「没後10年あらためて埴谷雄高『死霊』を読み直す」の特集の「群像」5月号を購入。
埴谷雄高、稲垣足穂、武田泰淳は同じ志向をもつ。
埴谷は非合法の共産党活動に従事した末の不敬罪および治安維持法による起訴、その結果
としての豊多摩刑務所の独房-精神および身体の「洞窟」に閉じこめられること-という
体験が、「私」というものを徹底的に志向することを強いたのである。そしてそこで「私」
が「私」であることの不快、すなわち「自同律の不快」を耐え、そのことによって自らと
世界を変革するためのまったく新しい思考方法を見いだした。「不合理ゆえに吾信ず」。
「私」が「私」である不快を耐えるためには、この世界には決して存在することない、あ
るいは存在することに出来ない者たち、すなわち「死霊」たちをその場所、つまり「私」
という洞窟のなかから抽出してくる他に方法はなかったのである。-安藤礼二-評


梁 石日
2007/6/12

◆ 北君推薦の「梁 石日(ヤン・ソギル)」の「血と骨」上下巻を湯島図書館から借り
  る。


『知のモラル』
2007/6/28

知のモラル-小林康夫・船曳建夫著より
◆ モラルを問われるのは常に他者に対するものである。
◆ 行為としての知の責任は、なによりも他者が「よりよく生きる」ことに対して向けら
  れなければいけない。
◆ 知の全ての専門領域において、知がこのような言葉を奪われた他者-社会的な弱者、
  過去の他者、まだ存在していない未来の他者-と触れ合う場面で、ほんとうの知のモ
  ラルの問いが提起される。
◆ 相手をあくまでもコミニュケーションの可能性を備えた他者として扱い、他者として
  理解しようとすること。自分のコントロールを超えた土器時の世界を持っている人間
  として「ともに生きようとする」こと-そこにモラルの方向性がある。
◆ モラルとは「ともにある」ことへと開かれた他者の存在を認め尊重すること以外のな
  にものでもなっか。
◆ 詩人リルケがうたったように、動物とは異なる人間の人間らしいあり方は、なにより
  も世界に対するその「開け」にある。
◆ モラルはイデオロギーではない。自分に対して論理的に正しいという判断をもってし
  まっていることほど、モラルとして醜いことはない。
◆ モラルは他者に時間を与えようとすること。
  他者にコミュニケーションのための言葉を与えようとすること。
  他者にその未来への「開け」を与えようとすること。そのような気遣いこそがモラル
  である。


『知のモラル』
2007/7/1

◆ 「詩というものはうまい詩からそのことばのつかみ方を盗まなければならない。これ
  は詩ばかりではなくどんな文学でも、それを勉強する人間にとっては、はじめは盗ま
  なければならない約束ごとがあるものだ」
  「詩というものは先ずまねをしなければ伸びない。まねをしても、まねの屑を捨てな
  ければならない」-室生犀星『わが愛する詩人の伝記』
◆ 「明晰であることの一つは、手の内のカードを全て見せてしまう勇気と無縁ではない
  と思いました」-司馬遼太郎書簡
◆ 朝鮮文学
  中国の怪談本「剪燈新話」からとった、金時習(キム・シスプ/1435~93 )が書い
  た漢文の物語「金鰲新話(きんごうしんわ」があるが、それ以前の朝鮮における文学
  は見あたらない。またその後近代になるまでもたいして見るべきものは無いようであ
  る。


『知のモラル』
2007/7/2

知のモラル-歴史・神話を壊す知-小熊英二
◆ 知には2種類在ると考える。ひとつは、人びとに答えと確信を与え、敵を指示し、特
  定の方向に導く神話をつくる知。
◆ もうひとつは、問いを発し、立ち止まりながら対話をはかり、神話をこわす知。


『知の理論』
2007/7/11

◆ 今日は雨のため朝の散歩は中止。決めたことにたいしてあまり律儀にならないこと。
  他人に迷惑をかける訳でもないし、なにがなんでも達成しなければという脅迫観念は、
  精神的に、肉体的に逆効果を生むに違いない。
◆ 知の理論 P26 「限界の論理、論理の限界」
  学問的業績を評価された人は、必ずしも答えを見つけ「真理」に到達した人ではなく、
  より豊かな実践を拓いていく新たな丁番を創り出した人。何かある問題に答えた人よ
  りも、むしろ問題を創り出した人である。
20世紀のこの一冊:L.ウィトゲンシュタイン「哲学の探究」(藤本隆志訳、「ウィトゲンシ
ュタイン全集8」、大修館書店、1976
圧倒的な影響力をもった古典的著作として、そして試作の息遣いをともに体験しうる生々
しい現場として。しかし、読みにくい。


話の辻褄
2007/9/23

◆ 自分から最も遠いカテゴリーの人が傍にいるときこそ、自分が何者であるか確信が持
  てる。それゆえファシストは自分と最も遠い人々のうちに同伴者を捜しもとめる。
◆ ニーチェの「超人」は彼と決して交わるはずのない「大衆」に対する嫌悪を自己超克
  の動力として必要とする。それゆえ、背理的なことだが、「超人」はつねに「大衆」
  が彼の傍らに付き添って、彼に嫌悪感を供与してくれることを要請せずにはいられな
  い。
◆ 「話のつじつまが合いすぎた話」は読者にとって印象が薄い。どういう訳か、輪郭の
  なめらかな、あまりにも整然とした記述は、私達の記憶にとどまらない。
  逆に、どこかに「論理の不整合面」や「ノイズ」や「バグ」があるテクストは、かな
  り時間が経ったあとでも、その細部まではっきりと思い出すことがある。それはその
  「不整合」を呑み込むときに刺さった「棘」がおそらくまだ身体のどこかで疼いてい
  るからである。私たちの記憶に残るのは「納得のゆく言葉」ではなく、むしろ「片づ
  かない言葉」である。うろ覚えであっても、決して忘れることの出来ないその種の言
  葉は、論理をもってしては「呑み込む」ことが出来なかったからであろう。
  -『私家版・ユダヤ文化論』-内田 樹
◆ これは私の見解だが、余りにも流暢で面白い非の打ち所のない完璧な文章よりも、拘
  りの・ぎくしゃくした・理屈っぽい描写の混じったものが妙に後に残るのは何故だろ
  う。山から海まで真っ直ぐな川をとどまる事もせず一気に流れ下る水よりも、淵や瀬
  や石・杭・中州などの障害物のあるなかを流れ下る方がずっと印象に残るとように。
  私がシンメトリーを基調とした西洋文化ではなく、ちょっと間を外したり左右非対象
  を基調とした日本の文化のなかで育ったせいだろうか。


「私家版・ユダヤ文化論」を読む
2007/9/30

この前亮子さんが書いてくれたイギリスのジョークにユダヤ人が登場するが、老獪でけち
な民族の代名詞として使われているのはなぜかと0-chanも疑問を呈していたのを見
た。丁度私もその話題と同じ時に「私家版・ユダヤ文化論」(内田 樹著)という本を見
つけたので少し勉強してみようと思った。

◆ その本にはまずなぜ何千年もまえから迫害され続けて来たかを考察してあった。紀元
  前十世紀に南北に分裂したイスラエル王国のうち北王国はアッシリア王サルゴン二世
  に紀元前七二二年に滅ぼされ、南王国はバビロニア王ネブカドネザル二世によって紀
  元前五八六年に滅ぼされた。それ以来亡国の民として世界中に散らばって行った。
◆ 「ユダヤ迫害にはそれなりの理由がある」という反ユダヤ主義の生じる根拠として、
  ユダヤ人が「キリストを殺した」という思いこみがあって、キリスト教世界では「賤
  民」として扱われ、土地の所有や農業への従事が禁じられていた。彼等には高利貸し
  や行商や芸能など、キリスト教徒からすると非生産的な職業(その当時の隙間産業)
  しか許されなかった。迫害され差別された社会の中でユダヤ人は勤勉で頭を使うこと
  を何世代に渡って励んだ結果、汗を流して生産に従事する国民よりも裕福になり、芸
  術や学術の面でも社会を牛耳るようになってきた。現代においてノーベル賞を受賞す
  る民族のなかでも突出してユダヤ人が多いことをみても判る。アーリア人(ヨーロッ
  パの白人)は老獪で賢いセム族(ユダヤ人)に騙されて自分たちの富を横取りされる
  と考え始めた。
◆ その中で「シオン賢者の議定書(プロトコル)」など「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」
  などの反ユダヤ文書が出回った。それは「死せる孔明、仲達を走らす」のような、何
  の根拠もない亡霊におびえるようなものであった。
◆ 皆が皆鉤鼻が特徴でシェークスピアの「ベニスの商人」に出てくるずるがしこく老獪
  なシャイロックのようなイメージではなく特別身体の特徴などはアーリア人とほとん
  ど変わらないし、宗教も全員がユダヤ教徒ということではない。
◆ 以上の本を読んでヨーロッパの人たちのユダヤ人に対する思い(怨念)が私には理解
  出来ないほど深いものであることが判った。それはたぶん自分たちの国家の中に紛れ
  込んで見えないユダヤ人による知の支配と富の搾取たいする疑惑と怨嗟によるもの
 で、大戦の後のイスラル建国は罪滅ぼしの大儀名分を装った、国体から体よく追い出す
  ことと、敵の姿いつも見える状態にしておくためのアーリア人の戦略だったかも知れ
  ない。そして反ユダヤ主義的思想が言われなき冤罪であっても、アーリア人にとって
  それが自らのアイデンティティを確認するためのものだったのかもしれない。


「逃げる」
2007/10/3

危機のモラル マレクラ島のフィールドから 船曳建夫著
◆ 地震、大雨、日照り、疫病、そして集団間の争い、殺人、姦通、そして儀礼上の侵犯
  といったものに対して解決しようと努力するが、どうしても解決出来ない場合は最後
  の手段としてその場から「逃げる」ということである。親族や知人の類を頼って一時
  的に避難することで問題の「無化」という解消法をとる。
◆ 近代社会観の源にあるホッブスの「リバイアサン」に見られる考え方からは、「逃げ
  ること」は社会(国家)を成り立たせている契約の放棄であり、社会を不成立に導く
  ものとみなされるであろう。はたしてマレクラ島における「逃げる」ことが社会を支
  える行為として成り立っているのか。
◆ 社会が割れて散り散りになった人々は、その先々で生きていくことで、社会性を回復
  し得る。その外側に別の人間集団を持たない社会はないから、人はある社会の外に「逃
  げる」ことができるのである。「亡命」と「難民」が人間の幸福の姿であるかどうか
  は別として、それらはある社会の外に出る選択の表現としてあり、こうやって逃げ散
  ることに、人間が社会的にいきるモラルに反する内容はないのである。
◆ 1995年1月の阪神大震災では6,000人以上の人が亡くなった。その瞬間は逃げるこ
  とは出来なかったが、その後「自分達の町は自分たちで守るのがよいのだ」という踏
  みとどまって集合して危機に対処する面が強調されすぎているような気がする。「逃
  げる」ことをどれだけ暗黙のルールとして、体が覚えて危機を回避できるか。社会の
  あり方として追及していかねばならない。
◆ ここからは私論だが、道徳や規則や狭い帰属意識や「こうあるべき」といった」あま
  りにも硬直化した思いこみを、己の本当の価値観や望みを見失わせるような自分以外
  の力によって動かされているのでないかという疑問をもち、 どこかでリセットして
  自己を解放する「逃げる」こともたまには考えて見る必要があるのではないか。

 *『リヴァイアサン』はトマス・ホッブズの著書で1651年発行。題名は旧約聖書に登
  場する海の怪物レヴィアタンの名前から取られた。正式名称は "Leviathan or the
   matter, forme and power of a common-wealth ecclesiasticall and civil"。
  この中でホッブズは、人間の自然状態を万人の万人による闘争であるとし、この混乱
  状況を避けるためには、「人間が天賦の権利として持ちうる自然権を政府(この場合
  は国王であり、この政府を指して『リヴァイアサン』と言っている。右の口絵に描か
  れている王冠を被った『リヴァイアサン』は政府に対して自らの自然権を譲渡した人
  々によって構成されている)に対して全部譲渡(と言う社会契約を)するべきである。」
  と述べ、社会契約論を用いて従来の王権神授説に代わる絶対王政を合理化する理論を
  構築した。


「ふるさとの川 城原川」の本を読んで
2007/10/20

 この作者が小さい頃より生まれ育った故郷の土地から豊かな感性と真実を見通す目を育
まれて、いまだにその自然に愛情を持ち続けていることに私は感心する。だから色々の事
情で故郷を離れ、ある意味で捨てたという苦い思いを持つ私にとっては羨望の眼差しを向
けてこの本を読んだのである。

 作者がそこから得た生きる知恵の確かさは、テレビや週刊誌などのマスコミや専門家、
知識人と言われる人達によってもたらされる情報に惑わされることなく、故郷の治水に関
わる施設の是非についての判断に目が曇ることはなかった。我々現代人はなんと軽薄で雑
多な情報を頭の中にため込んで、一見地味ではあるが連々と祖先から受け継がれ、生活に
根ざした本当の知恵を忘れさっていることだろう。

 我が国で散見する大プロジェクトの中には為政者サイドの思惑が全て住民のためと考え
ているとは思えない場合もみうけられることが多々あると私は思う。高潔さを忘れ去った
高級官僚やいかがわしい建設関係などが国民のためという大義名分を翳し、己の利益追求
のために画策しているいのではないかと思われる場合もある。だから我々庶民はそれが本
当に地域住民のためのものかをまずは疑って見る必要がある。
 結論を急がず、弛まぬ努力で疑問を明らかにする思考をすれば自ずと真実が見えてくる
はずだ。この作家のように臆することなく「自分の感覚」と違うことに疑問をぶつけて、
筋書き通りの物語を作り上げようとする者のデータの意味する暴き出すことは大切だ。

 以前に「佐賀城本丸周辺の環境と景観を守る会」の市民運動に参加した時すでに「自分
達の街は自分たちで考える」という市民意識が芽生え始めたことを実感したのだが、自分
達の身の回りのことを自ら判断し決定するという、自治意識を持つた作者のような人達が
多くなりつつあることを嬉しく思った。また自ら決定することは将来の地域にたいする重
い責任と義務を追わねばならないことは言うまでもないことである。しかし今までも為政
者がその決定にたいして充分に責任を負って来たとは思えない場合も多く見てきたのであ
るから、所詮そうであるなら、決して行政のプロや雇われ専門家に任せることをしないで、
その土地土地の政治は自分達の手で責任をもって参画することに果敢に挑戦して貰いた
い。そして近い将来望むべき地方自治の時代が到来することを私はこの本を読んで確信し
た。
 最後に、「治水について」という小難しいデータと官僚的な報告書だろうという、いさ
さか私にとって気が重い感じで読み始めたのだった。しかし読む進むに従って「おまえは
川から流れてきたとぞぉ」とか、私の場合は「悪かことすっと山からドーコが連れにくっ
ぞ」などとよく大人からおもしろ半分恐怖を植え付けられたことを、また「カラス貝は大
きくなると、夜、真っ赤な火を吐いて飛ぶらしかぞ」等々は小さかった頃の懐かしさを想
い出させてくれたとともに、育った環境に注ぐ愛情を綴った優れた文学作品にもなってい
る。


「Vanity of vanity all is Vanity」
2007/10/24

◆ 今日の朝日新聞に載った加藤周一の夕陽妄語に「空の空なるかな すべてこれ空なり」
  という言葉を「ソラのソラ」と読んだ雑誌編集者がいたといって呆れていた。なるほ
  ど旧約聖書に出てくる「Vanity of vanity all is Vanity」という言葉は私でさえ
  昔習った覚えがあり、allの後にaが付くのは何故か、そしてallは複数でなく単数名
  詞なのかというような問題であったように思う。
◆ そして加藤は、日本の雑誌編集者が「聖書」を見たことがないのは、西洋の読者層の
  大部分が生涯に一度も「論語」を見たことがないという事情と似ていなくもない。し
  かし「ソラのソラ」が日本語として意味をなさないのとは別のことである。「空の空」
  は日本語として十分明瞭である。敢えて「ソラのソラ」と読むのは、日本語の知識の
  貧しさと、そのことに対する注意不足をしめすものだといっている。たしかにこれは
  何だろう、何を意味するのかと疑問を感じて声にする前に思案しなかったのだろうか。


コンコーダンス
2007/10/25

◆ コンコーダンスといって、特定の作家の用語を索引出来る便利なものがある。例えば
  the concordance of the New Testament (新約聖書コンコーダンス)、や  compile a
  concordance to Shakespeare [=Shakespeare concordance](シェークスピア・コンコーダ
    ンス)、ワーグナーのコンコーダンス、ディケンズコンコーダンスなどがある。コン
    ピュータなどによるテキスト文中の全単語のアルファベット順リストで「愛」を索引
    するとシェークスピアの全作品の何処に使われているという事が瞬時に判るという。
◆ 白川静博士の「字通」は持っているが、ものを書く趣味のものにとってせめて「聖書」
  や「シェークスピア」のコンコーダンスは欲しいと思っている。しかし 5万円近く
  もする高価さについつい後回しになって、飲み代やそのたの身近な欲望に化けてしま
  うのが残念である。いつかきっと実現したいと思うのだが、もはやLOTOの大当た
  りに頼るしかないか。Ǜ

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