teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

新着順:69/92 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

ペンネーム考

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月13日(木)03時44分9秒
  通報
  .

              ペンネーム考



ペンネーム考 2009/12/4

 落書き帳、万華鏡、言の輪で使ったペンネームを数えてみた。そのときの話題や自分の
感じ方の傾向で使い分けていたようである。
それとやはり私はアナグラムのような遊びが基本的に好きだということだろう。
「斜光」「色眼鏡」「風の便り」「歩くハイマー(アルツハイマー病防止のために郷土を歩
こうクラブ)」「シネマ・デ・ジョイ(映画鑑賞会:シネマで楽しもう、死ぬまで楽しもう)」
などなどを考えたのだから・・・。

◆落書き帳
1.  Kazu.K:一番最初に使用した平凡なもの
2.  Tea Pot:詩、絵、小説などの鑑賞
3.  ランゲルハンス島の住人:ちょっと変な異端なことを書く時
4. 自己流捻千家(じこりゅうひねせんけ):非常に独断と偏 見に満ちたもの(特に伝統や
形式にあぐらをかいている活動にたいする批判)
5. Old Elegance:ちょっとスノッブ的目線
◆万華鏡
6. 磁気嵐:社会の不条理に対しての反発
7. 夜間飛行:磁気嵐のような毒を含んだ説法を改め柔らかな表現を目指して改名したも
  の
8. 沈黙星:どんな時に使用したか忘れた
◆言の輪
9. 赤松次郎:小説の主人公、私の分身
10. 叶 加目八:古賀という漢字を分解したものでだじゃ れ、軽口の時使う


       ペンネーム考1への感想
       これまで10ものペンネームを使っていたのですね。驚き。「分裂症」が気
       になりますが・・・
       みんなユニーク、言葉へのこだわりがよく伝わります。北氏との濃厚な?
       交友もわかるような気がしました。多分読んだ人も、見ていないようでそ
       の「ペンネーム」で内容を想像し、読後は不思議と納得していたのではな
       いでしょうか。「タイトル」だけではないのですね。
       漢字、カタカナ、ローマ字を駆使してうまく使い分けていますね。私も全
       部納得。ネームに対するコメントは描いたイメージとほぼ合致。
       好きなペンネームは「赤松次郎」と「Old Elegance」です。
       今後書く作品はきっとこの二種類のペンネームによる作風に絞られてくる
       ような気がします。
       私のペンネームはただ一つです。貴殿ほど雰囲気を変えた文章をたくさん
       書くことがなかったからだと思います。私の場合は、何気なくペッンネー
       ムの前に修飾語をつけて文章の雰囲気・内容の補強をし、ある意味でペン
       ネームを使い分けています。                Y




ペンネーム考その2 2009/12/6

  同人誌「斜光」を立ち上げてからまもなく、ペンネームは是か非かという一大論争にな
った。私はペンネームOKの論を張り、もう一人は駄目という。そこには「斜光」が同窓
生を主体とする同窓会誌であるという認識があったらしい。だから本名で書かないと作者
が誰か判らず、読む気がしないという。
 私は資金的にも公の同窓会に寄るところもなく、自立しているから完全な同人誌である、
読むか読まないかは作者を知っているどうかではなく、内容が面白いかどうかの問題であ
る、と主張した覚えがあった。たとえ彼の言うことに百歩譲ったとしても、個人名を「和
彦をかずひこ」とかいても「シズエをしずえ」と書いても、それは戸籍に載っている通り
の名前と違うという言い分に至っては、パラノイア的な極端さを私は感じた。そう言う人
は同じ思想や出身や年代の集団に固執し、多様な価値観を認める開放性に乏しい人だと言
わざるを得ない。
 結局は編集委員会の結論として、ペンネームを禁止はしないが、出来るだけ本名で書く
ようにしようという、玉虫色の結論で決着したのである。
  その時私が主張したのは、人はその時々で自分の気分に合った着物を着て楽しむように、
人間の複雑な心模様のもとに創作する文の作者名も、本名と別な思い入れのもとにあって
も良かろうという論法であった。確かに私達が創作ものを主体に本を作ろうとしたことに
たいして、同期生の動向を主体にする「情報誌」として考えるという目的の違いがあった
のだが、最終的に「斜光」は同窓生の情報誌に近くなり、私は「斜光」と別れて「同人α」
という純粋な同人誌に移行した。

 ペンネームはYが言う「「ごっこ」は少なくとも私にとっては本音を吐き出す恥ずかさ
からその形態をとることもあるし、本気で遊ぶ部分もあります」につながっていて、現実
の自分と自分を見ている自分を意識する所にある。これは江戸時代から川柳や滑稽本や語
呂合わせ、だじゃれといった文化につながるものである。行動や性癖や考えや好みをよく
観察して、人も己も客観視できる能力が豊でないと諧謔や機知として表現できない。その
意味では「ごっこ」や「だじゃれ」やペンネームの遊びを切り捨てる訳にはいかないので
ある。むしろ感性を育てるためにはそれらが必要なことだと思うのだが。

追:ここでまた日本語のしっとりとしたいい言葉を思いだしました。
迷える子羊「stray sheep」、三四郎や美禰子(みねこ)の心の内の揺らぎを思わせる、
「心模様」という言葉の響きがなかなかいい。




       ペンネーム考2への感想文 091206

      少し前から、「アルファ・システムについて」という題で自分なりの確認や
      問題点提起等についてきづいたことを書きとめてきました。引用が長くなり
      ますが参考まで

      同人誌投稿と書き込みサイトの再確認
      1. 斜光:佐賀高校同窓生でつくる。従って他の人間は会員になることはで
      きない。内容も、多種に渡る。 主目的は同窓生交流
      2. 同人α:文芸「作品」を対照とする。目的は文章鍛錬と作る楽しさを追
      求すること。 従って開かれた同人誌となる
      3. 万華鏡:斜光を基盤にしたおしゃべりサロン。内容は多種に渡る
      4. 遙かなる木霊:万華鏡からさらに分化したサロン
      5. 言の輪:主に同人αのメンバーからなるサロン。主目的は合評であるが、
      会員同士の おしゃべりサロンでもあり小作品の発表の場でもある。

      「斜光」立ち上げのペンネームをめぐる論争を読んでみて同人αとして進化
      していった様子が確認できたような気がしました。上記私の分析にほぼ間違
      いなさそうです。 (違っていたら指摘してください)

      目的が異なれば、おのずからペンネームについての見解も異なるはずです。
      それだけのことです。言っても無駄です。
      妥協するか独立かの二者選択。赤松さん、田村さん、大変なご苦労であった
      ろうと思います。

      ペンネームの捕らえ方、ほぼいっしょです。「読むか読まないかは作者を知
      っているどうかではなく、内容が面白いかどうかの問題である」そのとおり
      です。「創作」の究極はそこにあると思います。
      以前にも言いましたが、「一つの作品を書き上げたら、作者本人の手を離れ
      たものになる」と通じると思います。例えば「三つのお願い」オール・ド・
      エレガンス著 などは、私が作者を知らなくても、なんとなく手にして読み
      たくなる作品です。タイトルとペンネームから興味をひかれます。
      作者を知った上で読みたくなる本があることも確かです。実名を使うか使わ
      ないかわどちらでも良いことですが、ここでいう作者名も「実名」ではなく
      ペンネームであることが多くあります。
      10もの使い方をする作家を私は見かけたことがありませんが、「遊び心」
      のあらわれとして、タイトル、中味、と同様に変化させるのも「あり」だと
      思います。
      多分そのうち疲れてくるし、アイデアも枯渇してくるかもしれません。
      私は「ごっこ」が大好きです。時々、どちらが本当の私なのかわからなくな
      ることがあります。人間の頭の中は本当に不可思議です。   Y




ペンネーム考2への感想についての補足

 同人誌投稿と書き込みサイトの再確認
1. 斜光:佐賀高校第11期卒生でつくる、限りなく同窓会誌にちかい同人誌。従って他の
 人間は会員になることはできない。内容も、多種に渡る。 主目的は同窓生交流
2. 同人α:文芸「作品」を対照とする。目的は文章鍛錬と作る楽しさを追求すること従
って開かれた同人誌となる
3. 万華鏡:佐賀高校第11期卒業生(同人誌斜光の運営ではない)を基盤にしたおしゃべ
 りサロン。内容は多種に渡る
4. 遙かなる木霊:イマジン氏の個人のホ^ムページで佐賀高校第13期卒業生を基盤とす
 る。(立ち上げに関しては第11期のホームページのアイデアを提供した経緯がある)
5. 言の輪:主に同人αのメンバーからなるサロン。主目的は合評であるが、会員同士の
おしゃべりサロンでもあり小作品の発表の場でもある。
   以上思いついたところを補足しました。

今読んでいる池田晶子の本の中に目にとまった文がありました。
「科学は目に見える物によって目に見えない心を説明しているにすぎない。解説は決して
回答じゃないんだ」
「自分の性格を冷静に観察、分析して自覚することができるということは、自分のなかの
じぶんでない部分、自分のことを他人みたいに見ることができる部分があるということな
んだ」


286

 
 

新着順:69/92 《前のページ | 次のページ》
/92